友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

彼は家族の談笑を大事にしてきた

2010年09月05日 21時53分19秒 | Weblog
 夕方、女の先生がひとり、小学校の運動場で黙々とライン引きをしていた。明日からの運動会の練習を行うために、わざわざ日曜日に出てきたのだろう。夕方になったのは、もちろんこの暑さを避けるためだったかもしれないし、クラブチームが使い終わるのを待っていたのかもしれない。彼女はライン引きの道具を持って器具倉庫へ何度も往復していた。切羽詰っていたのか、責任感からなのか、真っ暗になるまでひとりでライン引きを行なっていた。

 テレビではこの炎天下の中、菅直人さんと小沢一郎さんが街頭演説を行っていた。民主党の代表選挙なのに、投票権のない民衆に向かって演説をする。これをテレビが報じるは何か不思議な気がする。違和感がある。いきつけの床屋で、「うんざりする」と40代の男性が言っていたが、私もそう思う。いつから、次の首相となるであろうところの政党の代表選挙が、街頭演説で行われるようになったのだろう。選挙活動の前倒しのようなものだなーと思う。

 一緒に映画を観ようと、60過ぎのおじいさんが恥ずかしい気がしたが、誘ってみた。映画の後で、一杯やりながら話すのもいいかと思ったからだ。けれども、「その種の映画は興味がないばかりか自分は苦手なものだ」と返事が来た。私にストリップショーやブルーフィルムの上映を教えてくれたのは彼だったし、団鬼六という作家も杉本彩さんのブログも彼が教えてくれた。彼は高校時代には吉行淳之介を読みふけっていたが、吉行は文壇の人たちとの座談で「性豪家」を自慢していた。

 私は彼をいわば人生の先輩のように感じていたけれど、それは彼の大柄な風貌からそう思っていたに過ぎなくて、身体の割には繊細な神経の持ち主だったことを最近は特に知るようになった。私も彼と同様に、人間に対して興味を抱いてきたけれど、彼は小説家・重松清の作品に惹かれていったように、人と人の結びつきの喜びや暖かさに関心があった。私は小学校の高学年からキリスト教に興味を持つようになり、そこから人間の原罪が何かを知りたく思ってきた。

 彼は人間のつつましく清楚で嬉々として生きる姿を追い求めたけれど、私は人間のどろどろとした得体の知れない部分へと関心が移っていった。彼が家庭を大事にし、家族こそが宝だと考えるのはよくわかる。彼の出発点は自分が養子であることにあった。中学・高校時代、彼の家に遊びに行って私が感じていたのは、家族は血のつながりではないということだった。我が家は血のつながった3世代が一緒に暮らしていたけれど、彼の家のような穏やかな空気はなかった。

 人はいつも自分に無いものに憧れる。私から見ると血なんて憎しみ以外の何者でもない気がしていたのに、彼は血のつながった家族の談笑に憧れたていたのだ。彼は私にストリップやブルーフィルムを教えてくれたけれど、そういう世界はヘドが出るような嫌な世界、彼が求めるものとは反対のものだった。彼が好きな演歌はそのことを確かに証明している。彼は優しいし暖かい。彼が大事に思うものは全ての人が大事に思うものだ。人生の最終に向かい、人は自分が何を求めてきたのか、ハッキリして来たと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする