友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

高校の文化祭を見た

2010年09月12日 19時02分16秒 | Weblog
 孫娘の高校の文化祭に行ってきた。50年前の私が高校生の時とも、高校の教員をしていた時とも、全く違っていた。入り口は改札口のようになっていて、一人ひとりチェックできるようになっている。チケットを持たない人は入れない。けれども逆に、チケットを持っていれば誰でも入ることができる。金髪で長髪、耳にたくさんのピアスをつけた高校生らしき人物も堂々と入場していったし、校舎に入れば、そんな目立った子どもたちで溢れていた。「凄いところへ入学しちゃったね」と言うと、「今はどこの学校もこんなものよ」と娘は言う。〈警備〉と書かれた赤い腕章をつけたグループが見回っていたし、さらにビックリしたのは〈風紀〉の腕章のグループもいた。私たちの時代でも〈風紀〉なんて係りはなくなっていたと思うけれど‥。

 1年生のクラスはゲームのような展示が多く、3年生は演劇が中心だった。2年生のクラスはやはりその中間と言うところだろうか。1年生のクラスで、ビデオカメラを使って映画を作り上映していたけれど、それは見事だった。私が教師だった時に、美術部の子どもたちが8ミリでアニメを作ったけれど、まだ技術的にも未発達であった時代だったが結構面白く作り上げていた。この1年生のクラスの作品が最優秀であったと思う。3年生のクラスの演劇を2クラス見せてもらったけれど、どちらも似た感じだった。絵本の「桃太郎」と「不思議な国のアリス」をモチーフに、高校生らしく脚色してあって、なかなかの出来栄えであった。大道具や小道具は随分凝っているのに、演技の方は練習不足であったり、逆にさすがに高校生と思うほどアドリブが効いていたり、そのクラスの雰囲気がよく伝わってきた。

 クラブの発表は余りなかったが、体育館での生演奏はアンプの調整が悪いのではと思うほどだったが、さすがに音楽を行なう長女のダンナは「わざとそうしているんですよ」と教えてくれた。不協和音による音楽表現は私が20代のころから始まったように思う。ビートルズの後、ロック音楽が生まれて、不協和音を追及する人たちも生まれ、音楽も強烈な自己表現が珍しくなくなった。これに比べると、文芸部や美術部、天文部などは相変わらずだった。表紙のデザインが素晴らしく斬新であったので、文芸部の部誌を1冊もらってきたけれど、中の作品は幼さが漂っていた。新聞部も生徒会のコーナーもなく、時代を象徴している気がした。

 ミニスカートの女子高生がいっぱいいて、皆同じように長い髪をくるりと巻き、つけまつげをし、目の下にはハートや星のシールをつけ、「まるで週刊誌に出てくるキャバクラみたいだね」とダンナに話すと、「今の子はそれしか売るものがないんですよ」と教えてくれた。一見すると女をむき出しにしているから、オトナっぽいようなのだが、私たちの時代よりも子どもっぽくなってしまったのかもしれない。座り込んで、パンツ丸見えになっていても、平気でいるのもそのせいなのだろう。暑い日だったから、彼女たちの薄いセラー服は汗に濡れブラジャーがそのまま見える。そういう見え見えの子で白のブラジャーはひとりもいなかった。

 孫娘は融通が利かない子だけれど、時代が全く違うのだから、それはそれなりにやっていけるのだろうかという私の心配に、娘は「やるんじゃーない」と答える。
コメント
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