友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いけばなの師範になった甥っ子

2010年09月18日 19時44分43秒 | Weblog
 私は正直である。私はと言ってしまったが正確には、私の身体は正直であると言い直した方がよかった。もちろん、私は正直であるように努めてきた。社会人になれば、特にお金が絡むような取引になれば、「ウソも方便」と考える人もいるけれど、私は「正直が一番」でやってきた。決してウソは言わない。ただ、初めから100%正直で行くのか、少しずつ出していくのか、それは相手に合わせていく。ウソを言えば、そのウソがバレないようにまたウソをつく。すると、ホンの小さなウソだったのに、大きく信用を失うことになる。それならば、ウソは言わない方がいいというのが私の経験である。

 そういう「心の問題」ではなくて、身体はどうしようもなく正直である。このところ、朝晩はかなり涼しくなった。すると今朝から鼻水である。身体が重く、鼻水が止まらない。まだ、花粉症という言葉が一般化していない時は、風邪かな?と思っていた。それが季節の変わり目に必ず表れると、なんだー粉症かと納得するようになった。けれど、どうも身体が疲れている時に顕著なのだから、風邪だと考えていいように思う。まあ、そんなことはどうでもいいことだけれど、要するに秋になってきたわけである。空を見上げれば、高いところにスジ雲がある。金木犀の枝にまだ小さいけれど、花房が形成されてきている。もうすぐお彼岸だけれど、ヒガンバナは準備ができているのだろうか。

 生け花の先生をしている甥っ子が、展覧会の招待券をくれたので出かけてきた。甥っ子は風貌が兄貴にそっくりだ。いや兄貴よりも品のある顔立ちをしている。話し方もゆったりしていて、決して相手を押し込めるような言い方はしない。私は兄貴とは13も歳が離れているので、子どもの頃のことは知らないが、姉からはこんな話を聞いた。「あの子は身体が大きかったから、かけっこをすればダントツに一番だったのね。それが運動会の時、先頭を走っていたのに途中で止まって、みんなが来るまで待っているのよ」と。ああ、兄貴らしいと思った。兄貴は人と競うことが苦手な優しい人だったと思う。甥っ子もそんな兄貴の血を受けているようだ。

 甥っ子は公務員だけれど、どうして生け花に興味を抱くようになったのだろう。この甥っ子の下の弟は日展の彫刻家になった。彼はどちらか言えば、風貌は私に似ている。私と同じように野心家なのだろうけれど、野心ためには手段を選ばずというタイプではなく、上手に時流に乗っていくことができない。まあ、それは我が家の血筋なのだろう。気の毒だけれど、私をはじめ甥っ子たちも「まあ、こんなものじゃーないですか」と身の不運を恨むような気配はない。だから社会的な意味での出世はどうも望めそうにないが、落ち込んで自暴自棄になることもない。きっとまわりが大変な思いをしているのだろうけれど、それも我が家の血筋なのでご容赦いただきたい。

 せっかく展覧会に出かけたのに、甥っ子の作品展示は明日と明後日であった。場所を確認すると入り口付近だ。一番人が集まるところである。どんな作品なのか、もう一度見に行ってこようかと思っている。
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