昨夜、もうすぐ2歳になる孫娘がやってきた。2歳にならない幼児なのに、大人の気持ちをよく捉えている。幼児なんてものはみんなそうだと思うけれど、カミさんはこの子は特別に能力が長けていると言う。長女にそっくりな気がするのだが、「もっと美人じゃない」とまで褒める。要領がいいだけではないのかと思うけれど、大人の気を引くのが上手だ。1歳を過ぎたか過ぎない頃から、他人の手で育てられているのだから、幼児であってもその処世術は自然と身に付いていくものなのかも知れない。この子の父親が「赤子が可愛いのは生き残るための手段」と言っていたけれど、おそらくそんな風に神様は赤子に生きる力を授けてくれたのだろう。
先ほども高2になる孫娘から電話がかかって来た後で、もうすぐ2歳になる孫娘から「ママちゃん」と言ってかかって来た。「パパちゃんだよ」と言うと、うんとトーンが上がって「パパちゃん」と言う。それからが大変で、内容のよくわからない話が続く。聞いている単語の1つ1つから、ああこんなことを言ったのだと思って答えると、ますます彼女はコミュニケーッションが出来たと思って話を続ける。おしゃべりなのは母親である長女と同じだ。長女もひとりでしゃべっていた。まだ、下の娘が生まれる前か生まれてからか定かではないから、3歳か4歳頃だと思うけれど、寝る前にひとりで何やら話していた。話している内容を録音しておきたかったくらい物語になっていたように思う。
私は長女が生まれて、かなり元気な、言ってみれば腕白な子だったので、男の子が好むような車とか電車とかいったおもちゃを買って与えてみた。けれども全く見向きもしなかった。ところが人形には興味を示し、人形を相手に食べさせたり着替えをさせたり寝かしつけたり、それもおしゃべりしながらやっていた。生まれた時から、男と女の違いがあるのだと思い知らされた。長女が眠るまでの時間、人形を相手に何を話していたのか録音しておいたならきっと面白かっただろう。その話し方は40何歳になった今でも変わらないような気がするのは私だけだろうか。
自分のこれまでの人生を振り返ってみても、人間はそんなに大きく変わらないように思う。いやそうではなく、全く子どもの頃の自分とは似ても似つかぬ人間になってしまっているとも思う。人間としても駆け引きや、好き嫌いを面に出さない術や、損得への思いや、上げたら数え切れないほどの醜さも身につけてきたと思う。清く生きたいという気持ちと己の欲望に忠実でありたいという身勝手と、いろんな自分が存在している。矛盾しているけれど、それが人間何じゃーないかと開き直っている。2歳にならない孫娘と高2の孫娘を比較して見ていても、やはり当たり前のことだけれど、高2の孫娘の方が大人だなと思うし安心して見ていられる。2歳にならない孫娘の方が純真なだけ危うさを持っている。
吉本隆明氏が『老いの幸福論』で、親はいくつになっても子どもの責任を負うことになるということを書いていた。子どもに向かってああせよこうせよとは言わなかったとも書いていた。「子どもが殺されたら、僕はどうするか」という章の内容は、私はちょっと違うなと思ったけれど、「子育ての責任を社会に負わせる愚」という章は、もちろんそうだけれど、でもなあと思う部分が多かった。いずれにしても、20歳過ぎれば親の責任は果せたのではないかと思う。
先ほども高2になる孫娘から電話がかかって来た後で、もうすぐ2歳になる孫娘から「ママちゃん」と言ってかかって来た。「パパちゃんだよ」と言うと、うんとトーンが上がって「パパちゃん」と言う。それからが大変で、内容のよくわからない話が続く。聞いている単語の1つ1つから、ああこんなことを言ったのだと思って答えると、ますます彼女はコミュニケーッションが出来たと思って話を続ける。おしゃべりなのは母親である長女と同じだ。長女もひとりでしゃべっていた。まだ、下の娘が生まれる前か生まれてからか定かではないから、3歳か4歳頃だと思うけれど、寝る前にひとりで何やら話していた。話している内容を録音しておきたかったくらい物語になっていたように思う。
私は長女が生まれて、かなり元気な、言ってみれば腕白な子だったので、男の子が好むような車とか電車とかいったおもちゃを買って与えてみた。けれども全く見向きもしなかった。ところが人形には興味を示し、人形を相手に食べさせたり着替えをさせたり寝かしつけたり、それもおしゃべりしながらやっていた。生まれた時から、男と女の違いがあるのだと思い知らされた。長女が眠るまでの時間、人形を相手に何を話していたのか録音しておいたならきっと面白かっただろう。その話し方は40何歳になった今でも変わらないような気がするのは私だけだろうか。
自分のこれまでの人生を振り返ってみても、人間はそんなに大きく変わらないように思う。いやそうではなく、全く子どもの頃の自分とは似ても似つかぬ人間になってしまっているとも思う。人間としても駆け引きや、好き嫌いを面に出さない術や、損得への思いや、上げたら数え切れないほどの醜さも身につけてきたと思う。清く生きたいという気持ちと己の欲望に忠実でありたいという身勝手と、いろんな自分が存在している。矛盾しているけれど、それが人間何じゃーないかと開き直っている。2歳にならない孫娘と高2の孫娘を比較して見ていても、やはり当たり前のことだけれど、高2の孫娘の方が大人だなと思うし安心して見ていられる。2歳にならない孫娘の方が純真なだけ危うさを持っている。
吉本隆明氏が『老いの幸福論』で、親はいくつになっても子どもの責任を負うことになるということを書いていた。子どもに向かってああせよこうせよとは言わなかったとも書いていた。「子どもが殺されたら、僕はどうするか」という章の内容は、私はちょっと違うなと思ったけれど、「子育ての責任を社会に負わせる愚」という章は、もちろんそうだけれど、でもなあと思う部分が多かった。いずれにしても、20歳過ぎれば親の責任は果せたのではないかと思う。