友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人生は「たまたま」だと思う

2011年06月26日 22時29分18秒 | Weblog
 「お姉ちゃんは本当に凄い人だよね。だって看護師は自分の天職だと言い切れるんだから」と次女が言う。どんな職業に就くか、子どもの頃はいろいろと考える。けれども中学から高校へ進む段階である程度の幅も決まってくる。普通高校と専門高校では次に進むのに後者であればさらに限られてくる。それでも、普通高校の生徒と同じ大学へ進む人もいる。何になりたいか、ハッキリしている子はいいけれど、漠然としたものであれば「大学へ行ってから考えればいい」と大学へ進むことになる。

 こんなにたくさんの人が大学へ進む国は他に無いのではないだろうか。もし、入学試験で全ての人生が決まるようなら大変なことだけれど、実際に生きてきてみれば何てことはないように思う。たかが試験、たかが一時のこと、嫌ならば何度でもやり直せばいい。子どもの頃から、これになると決めてやり遂げられる人は少ないだろう。多くの人が「たまたま」受かった学校で、またその次に「たまたま」就いた仕事で、何となく努力するようになるものだ。仕事が合わないとか上司とうまくいかないとか、いろいろな理由で転職する人もいる。

 何が自分の天職なのか、考えたところで「ハッキリこれだ」と言える仕事に巡り合える人はそんなにいないだろう。何となくやっているうちに、仕事が次第に面白くなってくるのがおそらく圧倒的ではないだろうか。どんな仕事であっても、成し遂げるのは面白いことで、だんだんと仕事にのめり込むようになる。中学からの友だちも進学したかった高校が受験できずかなり落ち込んでいた。それでも大学へ進学し大学祭の役員などを務め、民間会社の営業マンとなって水を得た魚のように働いていた。

 大学を中退した中学からの友だちは、同じ中学の友だちの会社で働いた後に、もう少し大きな会社に勤め、営業に回った。何億円という額の商談をまとめ、営業が天職のような友だちもいる。「たまたま」巡り合った仕事が人生を決定付けることはいくらでもある。次女は結婚して専業主婦の道を選んだ。彼女は小さな時から、掃除や洗濯などの家事が好きで、大好きなダンナのために料理を作ることに憧れてきたのだから、その夢を実現させたわけだ。しかし、専業主婦にちょっと物足りなさを感じているのかも知れない。

 「パパは何が一番自分に合っていた?」と次女が聞く。「学校の先生も、新聞作りも、国会議員の秘書も、地方議員も、みんな面白かったし自分に合っていると思ったよ。一番嫌だったのは、学生の時のアルバイトでやったデパートの鴨の味噌漬け売りだね。ぜんぜんお客が来なくて、売れないことがこんなに苦しいのかと思った。叔父さんのところの料理店の仕事も、歯科医の技工の仕事も、仕事は面白かったけれど、先の楽しみが無かったから続けることは出来なかった」。たまたま私はいろんな仕事をさせてもらった。自分から望んだこともあったが、多くは偶然の成り行きでそうなった。

 長女が看護師は天職と言っていると聞いて、我が子なのに「立派だな」と感心してしまった。長女も次女も今が一番楽しい時かも知れない。ガンバレと言いたくなった。
コメント
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