友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏至の夜は最も妖怪の世界に近づくという

2011年06月22日 22時05分50秒 | Weblog
 今日は夏至。各地で最高気温が30度を越す真夏日となった。青空の下、太陽がぎらぎらと照りつけるというわけではなかったのに、暑さでびっしょりと汗をかいてしまった。曇り空であったが蒸し暑く、息をするのも面倒な気がした。夏にはこんな風に、何もしたくない病になる時がある。友人にも体調不良に陥っている人もいるし、同年で亡くなった人もいる。そんな話を聞くとまだ自分は健康なのだなと思う。

 トヨタ自動車をはじめとする自動車各社が増産に向けて本格稼動するという。東日本大震災の影響で停滞していた国内生産を急回復させるものだ。「人をラインに多く投入し生産台数を上げる」ため、各社はそれぞれ期間従業員を大幅に増員する計画だ。トヨタは3~4千人も増員するという。景気が上向いて来た証拠だと言うが、景気がよいことがそんなにも大事なことなのかと思ってしまう。

 大量生産が生まれたのは産業革命からだ。それまでは極めて効率が悪く、全てを自分で作っていたか、もう少し進んで分業の仕組みが出来つつあった。刀も刃を造る人と柄や鞘を造る人とは分かれていただろう。着物も糸を造る人、布を織る人、縫い上げる人に分かれていたと思う。それが一気に大量に造られるようになって、物は溢れたけれど、1つの物の価格は安くなったかもしれないが、物の価値は変わったのだろうか。

 大量生産できるようになり、近年では物が溢れるようになったのだから、そんなに生産する必要はなくなったはずだ。労働の効率は極めて高くなった。つまり、これまでは8時間労働で社会を支えていたのであれば、これからは6時間労働でもよくなったはずだ。今、若い人たちは大学を出ても就職先がないというけれど、労働時間を短くすればより多くの人に働く場所を提供することにもなる。右肩上がりの時代の8時間労働をどうして維持し続けるのか、私には理解できない。

 トヨタなどが労働者を大量に雇用するというが、それは期間従業員というパート労働者でしかない。好きな時に好きな時間だけ働ける労働形態の多様性はあるべきだと思う。それはあくまでも働く側の希望であって、雇用する側が好きな時に雇って好きな時に解雇することではない。雇用は最低でも1年単位でなければならないだろう。そうでなければ働く側に生活の目途というか、もっというなら生涯設計が立たないではないか。

 期間従業員はどれだけの単位での雇用なのかわからないけれど、そもそも会社は個々の従業員と雇用契約を交わすわけではなく、派遣会社との契約である。この労働形態を無くさなくてはならないと思う。なぜ労働組合はこうした労働形態を許すのか、私には理解できない。ひどい会社ではパート労働者を1ヵ月単位で働かせるところもあると聞く。全く使い捨てである。人は物を使い捨ててきたけれど、人そのものも使い捨てていることに憤りはないのだろうか。

 夏至の夜は妖怪の世界に最も近づくそうだけれど、人間そのものが妖怪になってしまっていないかと思う。
コメント
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