友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

父親の役割

2011年06月20日 19時09分59秒 | Weblog
 10日間ほど我が家に帰って来ていた次女が今日、茨城県へ帰って行った。中学時代の友だちやバンコクにいた時の友だち、こちらで会いたいと思っていた人、そして何よりも姉と姪っ子に会って長い時間話せたことがよかったと言う。ダンナは仕事で忙しく、家に帰って来るのは遅い時間が多く、まともに話す時間がないという中間管理職の典型的な家庭である。専業主婦で子どもがいないから、テレビしか話し相手がいない。「週に2から3日働きたい」と言うのも、あまりにも人恋しいということらしい。

 30代や40代の専業主婦の多くは「孤独」という難病に悩まされているらしい。「孤独」とか「寂しい」と突きつけられても、ダンナたちとしてもどうしようもない。仕事はどんどん厳しくなってきているし、妻を労わる気持ちはあっても時間的にも精神的にも余裕がないのが現実だろう。働きに出たり、同じ趣味や愛好の仲間に出会えたなら、少し気持ちも和らぐかも知れないので、「働くのはいいのじゃーないの」と励ました。家の中にばかり居たのでは確かに気が滅入るだろうし、それでは友だちにも巡り合えない。

 社会で働いている主婦は、社会とのつながりもあり、自分が社会的にも評価されていることで不安はあるけれど満足もある。専業主婦はダンナしか評価してくれないばかりか、夜遅くしか帰宅しないとなれば評価そのものがなくなる。居ても居なくてもどうでもいい存在なのだろうかとマイナス思考が広がってしまう。そして、自分の人生は何なのか、自分は何のために生きているのか、そんな風に考えてますます落ち込んでしまうようだ。

 次女がこちらに居たおかげで、私は「父の日」を祝ってもらい、手提げカバンとパジャマをプレゼントしてもらったし、日頃はなかなか食べられない牛肉を存分に食べさせてもらった。ワインを飲み、牛肉を食べながら、父親とはどういうものなのだろうと思った。50代までの私は、私を前面に押し出すことが多かった。それはあなたたちの父親はこういう考えのこういう美意識の男なのだということを伝えなきゃーという意識が強かった。理解するとか納得するとか、そんなことよりも、何を話したか何を強調していたかが主眼だった。

 昨日はふと、黙ってにこにこしていることが父親の役割なのかも知れないと思った。娘や娘のダンナたちとは生きて来た時代が違い、求めて来た価値が違う。それが世代の違いなのだから今更何を言うことがあるだろうかと思ってしまったのだ。それは吉本隆明という思想家が、『老いの幸福論』で子育ての話を書いているが、あまりにも当たり前のことばかりで、親と子というものは特別な存在でありながら全く普通の関係なのだと思ったからだ。子どもたちが普通に幸せに生きていくことを願うけれど、だからと言って親には自分の人生があり、家庭というつながりはあるけれど、人は個として生きていることに変わりない。
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