今日は立春。暖かな春がもうそこまで来ているような気がする。朝からシトシトと雨が降っている。これからはひと雨ごとに暖かくなるのだろうか。いやいや、まだ寒さに震える日が何度かやってくるだろう。それでも植物は何を感じているのか、春への準備を進めている。チューリップの中には、土中から芽を出してきたものがある。1月になってバラ鉢を植え替えたが、枝から新しい芽が吹き出そうとしている。
66歳で歌舞伎役者の市川団十郎さんが昨日亡くなった。同じ2月3日、慶応義塾の創設者である福沢諭吉も66歳で亡くなっている。私が福沢諭吉を知ったのは「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉からだ。子どもの頃、ラジオの番組で「ルーテルアワー」を聞いていた時、その冒頭でこの言葉が流されていたように思う。でも実際は、「天」ではなく「神」だったかも知れない。そのため私は、福沢諭吉をクリスチャンだと思い込んでいた。
アメリカの独立宣言も、フランスの人権宣言も、「人間は生まれながらにして平等な権利を有している」ことを謳った。要するに全ての人が平等となったのだ。人間が皆、平等であると叫ぶようになってわずか250年ほどしか経ていない。科学と技術の著しい進歩を遂げ始めて250年というわけである。日本人に限ってみれば、人は生まれながらに平等と実感できるようになったのは戦後社会からだろうから、わずか68年ということだろう。
この市の議会が発行している「議会だより」を見ていたら、相変わらず遠方へ視察に出かけていた。沖縄県への視察では、宮古島ではエコランド構想を、また名護市や那覇市ではまちづくりや市街地再開発をテーマにしている。沖縄の人々の暮らしや思いを、どこでどのように見たり聞いたりしてきたのだろう。議会では議員定数を減らし、議員報酬を上げるらしい。それどころか政務調査費の引き上げも検討されている。しかも引き上げられるのは党派だけだと聞く。議員は皆、平等の原則はどこへ消えたのだろう。
平等にやってくるのは死だけかと話していたら、人の死のあり様も不平等だそうだ。手厚い看護などは要らないからコロリと逝きたいなどと言うけれど、それでは病院が儲からないからそうさせてもらえないようだ。だから自分の終末についてはきちんと意思を伝えておかなくてはいけないと言う。住み慣れた家で死にたいと言う人もいたけれど、それでは周りの家族が困るらしい。最終の迎え方も、お金や家族の絆や環境で大きく違うと言う。