友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

映画『つやのよる』

2013年02月14日 19時34分43秒 | Weblog

 男と女の愛の形に、定形を求めるのは無理だ。直木賞作家の井上荒野さんの原作を映画化した『つやのよる』を観た。映画としてはもうひとつ洗練されていない気がした。小説を読んでいないからいっそう映画の出来がよく分かると思う。映画のポスターを見た時、主人公の阿部寛を中心に左右に3人ずつの女優がいた。それに阿部寛は上半身裸で、女優たちも艶かしい姿だったから、ひとりの男を巡る6人の女の物語と早合点してしまった。

 主人公の妻「艶」(正式な妻ではないのかも知れないが)は危篤状態にある。主人公は妻が関係した男たちに危篤だと知らせる。ここから映画は展開していく。艶が12歳の時に、いとこの男から暴行を受けた。その男はそれを小説に書き、作品は賞を受ける。けれども男は見舞いにも通夜にも行かない。小説家の男は彼を引き上げてくれた評論家の女との関係が続いている。受賞祝賀パーティーの席で評論家の女は、小説家の妻から「もう若くないのだから」と言われ、ふたりは取っ組み合いのけんかを演じる。

 艶が結婚したことのある前夫は、かなりのお金持ちのようだ。なぜ、離婚したのかと問われて男は「出来なくなったから」と答える。その男と関係を持っている若い女がいる。女は不動産屋に勤めていて、その会社の社長とも関係を持っている。女は言う「初めてセックスする時は、わくわくするのに、いつの間にかつまらなくなってしまう」と。前夫は艶を病院に見舞いに行くが、若い女に「早く帰って来て」と言われて帰ってしまう。

 艶がメールで出会っていた男は亡くなっていた。その男の妻は、真相が知りたかったのか、病院までやって来る。主人公はその女に、ふたりのセックスを連想させるに充分なメールのやり取りを聞かせる。主人公の住む街では、艶は「男狂い」で知れ渡っている。艶は若い男を追い回していたが、その男を好きな女がいて関係もある。けれど男は「結婚は考えたことがない」と言う。しかも男を訪ねて女が子連れでやって来るが、「何しに来たのだろう」と言う程度にしか考えていない。

 主人公には妻と娘がいた。妻と娘は病院に見舞いに行く。妻は病室で、寝たっきりの艶の胸を開いて乳房を見る。そこには歯形が残っていた。それは誰の歯形だったのだろう。艶は奔放に生きた女性のようだ。男を求めて次々と恋をした。それが艶の愛する形だった。主人公は嫉妬しながらもそうした艶を見守った。それが主人公の愛する形だった。しかし、主人公はなぜ艶が関係した男たちに危篤を知らせたのだろう。通夜の場で、主人公は棺の中の艶に言う。「知らせてやったが誰も来なかった。お前を愛したのはオレだけだ」。

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