この土地で生まれた人も、他所からこの土地へ来た人も、皆が仲良く暮らしていけるといいね。そんな話から、還暦を機会に同じ学年の人たちが集まったらどうかというので、「60歳の集い」が開かれた。あれから8回も集いを重ね、昨年からは他所から来た私が会長を務めることになったのも不思議な縁だ。本来なら9回目となる今年の集いを古希の祝いとするのだが、学年を単位に出発したので、「満年齢でやろう」と勝手な解釈をして、来年に延ばしてしまった。
集いの幹事が集まって話していた時、誰彼となく「もう古希かね。早いものだね」と言い合った。「こんなにまで長生き出来るとは思わなかった」と言うものの、「どこも悪くない」と言う人はひとりもいない。一番多いのは不整脈で、その次が高血圧症で、「両方とも引っかかっている」と言う人も多い。70歳近くまで生きてきたのだから、身体のどこかに疲労が生じていてもおかしくない。最近亡くなった市川団十郎さんや中村勘三郎さんは私たちよりも若い。「自分よりも若い人が亡くなるケースが多くなった」ことも話題になった。
そういえば、政治の世界もいつの間にか、私たちよりも若い人がトップの座に就いている。大阪市の橋下市長は43歳、2回目の当選を果たした松阪市の山中市長は37歳だ。首長は年齢の高い者がやるという風潮はなくなった。むしろ、若い人が目立つようになってきた。まだ議会の議員の平均年齢は地方ほど高いかも知れないが、そのうちに議員の構成も大きく変わる時代が来るのかも知れない。
私が社会人になってしばらくした時、大学紛争が世界的に広がり、バリケートが築かれたりした。あの、いわゆる全共闘世代はどこへ行ってしまったのだろう。ドイツでは、学生運動の指導者たちは地方へ移り、環境問題などの課題に地道に取り組んでいったと聞く。彼らは地方議会の議員となり、やがて国政を動かすほどになりつつあるらしい。フランスやイタリアではどうなったのだろう。アメリカでも学生たちの反戦運動が盛んだったが、クリントン前大統領もヒラリー夫人もその学生運動の体験者だ。
日本の学生たちは、自分たちが何をしたかったのか、それを今どのように整理し受け継いでいるのだろう。時代は大きく変わり、私たちのような60年安保世代と全共闘世代に挟まれた世代は、このまま何事もなく、常に狭間に置かれたまま生涯を閉じるのだろうか。確かに私たちの時代は終わった。そして全共闘世代も再び頭角を現すことなく終わった。優れた連中が生まれなかった世代なのか、現すことが出来ない世代だったのか、時代は何事もなく流れていく。