友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自立へ

2013年02月21日 18時34分11秒 | Weblog

 排水口に落ち葉が入らないように、金網で囲った箱型のものを置いている。その端のところにアゲハチョウのサナギがいた。羽化しなかったから、秋にここに辿り着いた越冬するサナギなのだろう。春から夏の幼虫はサナギになっても、そんなに日数をかけずに蝶になって飛んでいく。けれども、秋の終わり頃のサナギは冬を越すものがある。雨風がかからないような場所を選んで身を落ち着かせる。

 サナギは外敵から身を守るために、茶色の植木鉢に身を置くものは茶色の、緑の葉の近くのものは緑に、枝のような鼠色のところには鼠色の、サナギになる。金網を最終の地に選んだサナギは確かに雨風を防ぐ場所にいるけれど、どうして緑色をしているのだろう。果たしてこのサナギは春には蝶になれるのだろうか。雪の積もった日も、風の強い日も、サナギは揺れながらもじっと耐えていた。春には蝶に変身出来ることを夢見たはずだ。

 長女の娘もこの3月で高校を卒業する。一家は長女の職場に近いところに引っ越すようだ。今年の7月で4歳になる次女の方は、ますます賢くなってきた。職場の保育園から一般の保育園に変わるらしい。一家の引越しは高校を卒業する長女の新しい出発のためでもあるようだ。母親である長女は彼女の自立に期待している。しかし、親と子は難しいところがある。自立を強く求めれば、家庭から追い出されると取られかねない。かといって、早く家を出たいと言えば、家庭に不満でもあるのかと取られてしまう。

 親が子どもの自立を考えるのも、子どもが親からの自立を考えるのも、当然なことだと思うけれど、そのタイミングや思いはなかなか一致しない。娘は自立の意味が分かっているのだろうかと長女は心配している。孫娘が小学校の時に、長女は離婚し、孫娘が高校生になる時に再婚した。長女もジジババも彼女が孤独にならないようにと気を遣った。だから甘ちゃんでちょっと世間知らずなところがある。親元から離れて暮らすといくらかかるのか、分かっていない面も確かにある。

 学費は長女が出すと言うから、一人暮らしの生活費だけれど、それがしっかりとつかめていない。「ジジババにお金を出してもらっては自立にならないとママは言う」らしいが、それはこっちがダメならあっちでもいいという孫娘の安易さを叱ってのことだ。子どもたちが結婚するまではいろいろと面倒をみたけれど、それは親としては当然のことだ。孫娘の自立を応援するのも、長女の負担を軽くしてやりたいからだ。家族が助け合わなくて誰が助けてくれると言うのだろう。

 いつまでも親元で暮らせば、孫娘の安直性は改善されない。おそらくそれを長女が一番よく分かっているだろう。春には蝶になれ。サナギのままでは死んでしまうぞ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする