友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

悲しみはいつも駆け足

2013年02月10日 11時23分41秒 | Weblog

 悲しみはいつも駆け足でやって来る。昨日は、昭和5年3月9日生まれの姉を家まで迎えに行き、尾西市民会館が行なわれた『秋川雅史コンサート』に出かけた。家に着いた時は、ちょうどNHKBSの『日本のうた』が放映されていて、五木ひろしと秋川が文字通り熱唱していた。「これが終わるまでちょっと待ってね」と姉は言い、「五木ひろしの方が押されているよね」と満足そうに話す。そんなことがあったので、尾西市民会館に着いたのは開演25分前だった。

 駐車場係りの人に、「障害者用の駐車場はありますか」と聞くと、事前予約で既に満杯だと言う。それでも親切に、遠回りになるけれど大きな駐車場があることを教えてくれた。姉を玄関前で降ろして、車を教えられた駐車場に止めて会場へ向かう。随分人が多い。やはり姉くらいの年齢の人が目に付く。前から15列目の席に座る。秋川雅史後援会の会員でもある姉は「随分遠い席だね」とぼやくけれど、買い求めたのが遅かったから仕方ない。私の席の隣りの女性は双眼鏡を持参していて、見るたびに彼女のひじが私の身体に当たった。

 秋川さんは音楽講座も行なってくれた。そうだったのかと教えられることもあり、結構面白かった。2時間、最後は『千の風になって』であった。姉に言わせると「おしゃべりがとっても上手になった」らしい。あれだけ声を張り上げて歌うのだから、歌いっぱなしではどうしても嗄れてしまうだろう。アンコールの拍手に応えて、『翼をください』を歌ったが、持てる声量を全て使い果たすかのような歌いっぷりだった。

 駐車場から出るのは入る時よりも大変だった。一段落したところで家に電話をすると、カミさんが「終わったらすぐに電話するのではなかったの!」と嫌にとげとげしい。そして、「おじさんが亡くなったの。明日がお通夜なのだけれど、今晩行ってあげたいから」と言う。カミさんの母親の妹のダンナで、私の姉のひとつ年上だ。年末に挨拶に行った時は、友だちと温泉に行っていたくらいで、電話で話した時も「頂いたお酒は息子と飲むわ」と言っていた。

 昭和ひとけた世代が持っている、ちょっと照れるところのある人だった。鶴田浩二や植木等、野坂昭如や小沢昭一、何となく叔父さんに似ているような気がする。粋がって、三越のお菓子が食べたいとそのために出かけたり、温泉はどこどこがいいなどよく知っていた。息子たちに言わせると、「せっかちでじっとしていられない性質だった」。病気が分かって1ヶ月余り、急に旅立ってしまった。

コメント
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