友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夢なんか持てないでしょう

2013年02月02日 19時13分26秒 | Weblog

 友だちが私の友人の息子に、「付き合っている人がいるか、いないなら紹介する女性と付き合う気があるか、聞いて欲しい」と言う。友人の息子は36歳で、休みの日にはサイクリング自転車を担いで出かける姿を見かけるから、付き合っている女性はいないように思う。しかし、それは見た目での判断なので、両親に聞いてみるのが一番確かだろう。そう思って、「こんな話があるけれど」と友人のカミさんに話すと、「あの子はダメよ」と言う。

 「お母さんの考えではなく、息子さんの意思を確かめて欲しい」とお願いする。すると、「ノーサンキューだって」と返事がきた。女性嫌いとか女性恐怖症とかいうわけではないだろうが、結婚する意思はなく、したがって相手の女性の写真を見る必要もないというのだ。20代ならもっと結婚を意識していたのかも知れないが、30代も半ばを過ぎてしまうと、結婚に対する強い願望がなくなるのだろうか。

 そういえば以前私の知人に、とってもいい話と思う縁談があった。お見合いなどという形式ではなくても、会うだけでもいいじゃーないかと誘ってみたけれど、「幸せにする自信がない」と断られた。結婚するのに、不幸にする決意の人はいないけれど、幸せにする自信があるから結婚するという人も少ないだろう。先のことは分からないけれど、ふたりで何とか幸せになりたい、そう思って結婚する人が大多数だと思う。

 ドラマで「幸せにします」というセリフがよく出てくるけれど、もちろんその気持ちにウソはないだろうが、100%自信があるわけではなく、決意を表しているに過ぎない。若い人と話をしていると、結婚するにはある程度の貯金がなくてはならないようなことを言う。貯金があるに越したことはないが、金は無くても結婚は出来ると話しても、「それは無理でしょう」と極めて現実的だ。

 若い人は、結婚はこういうもの、家庭はこういうもの、まるで試験の答案のように確かな答えがあり、限りなく満点に近くなければ見送ってしまうようだ。危険な橋は渡らない。それで苦労するよりはこのままでよい。「愛」などという不確かなものは怖くて近づけないのだ。子どもの頃から、どうも先を読むクセが付いてきている。どうせやってもダメなものはやらないと決めてしまい、無駄な努力はしない。恋愛に憧れを持つのは高齢者で、今の若い人はそんなメンドクサイことに夢中にはならないようだ。

 若い人に「夢がないなー」と言ったら、「夢なんか持てないでしょう」と返ってきた。

コメント (2)
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