イタリアの総選挙の結果を見て、人間の社会は難しいと思った。財政危機に陥ったイタリアは、経済学者のモンティ氏を首相に据えて、財政再建に取り組んできた。退職年齢や年金支給年齢の引き下げ、不動産増税などを行なった。けれども国民は「金の取りやすいところから取っただけだ」と手厳しい。正社員の地位を危うくする労働市場改革は進められたが、政党補助金の削減や議員特権の見直しは進まない。景気は冷え込み、就職難は深刻化した。
どこの国も、どんな時代でも、既得権益にメスを入れるのは難しい。しかし、今日の世界は革命ではなく、政治でこれを実現しなくてはならない。同業団体、中小企業、労働組合など、それぞれが既得権益を守るために既成政党と結びついている。いや、政党政治という民主主義はそれぞれが利益代表を議会に送り、権益のぶつかり合いを演じている。こうした政治の仕組みから、次への1歩が求められている時代だと思う。
モンティ首相の財政再建作策が国民にとっては極めて不人気なことは選挙結果が物語っている。買春事件や汚職疑惑など、スキャンダルまみれだったベルルスコーニ前首相が、税金の還元や景気の拡大などのばら撒き策を掲げて、大量の票を得た。国家が立ち直れなくなるというのに、まだ債務超過策を支持したのだ。お金持ちばかりでなく、お金のない人も、「増税だけではたまらない」というわけである。
だからこそ、「経済、政治。連中がやってきたはすべて失敗した。代償を払うのは庶民ではなく彼らだ」と言う、お笑い芸人が創設した「5つ星運動」に急速な支持が集まった。しかし既成政党の批判だけでは、支持は受けても、事態を変えることにはならない。どのような政策を打ち出すのか、それとも、そもそも、全く違う次元から解決策を提起するのか、注目される。
またまた、莫言著の『白檀の刑』になるけれど、青島を占有したドイツが北京に向けて鉄道を敷く。日本が満州鉄道を敷くのと同じで、これを梃子に清国での権益の拡大を狙っている。中国の庶民が抵抗するが、袁世凱は民衆の蜂起を抑えようとする。それは軍事力の差を知っていたから、ここで蜂起すればたちまち列強に清国が乗っ取られると見たからだった。けれども、庶民にはそんなものは見えない。
目先のものだけでなく、もっと先のものまで、人々が見られるようになれば、賢い選択が出来るだろう。その訓練の場に今はあるのだろうけれど、それはいつも、多くの犠牲の上にしか成り立たないのだろうか。