身を切るような寒さである。雪から雨に変わるという季節とは裏腹に、冷たい風が吹き抜けていく。フランスの作家、アンドレ・ジイドが亡くなったのはこんな風に寒い日だったのだろうか。高校生の私にとってジイドの『狭き門』は、青春の書だった。キリスト教に関心のあった私は、伊藤左千夫の『野菊の墓』の初恋に憧れていたものの、余りにも日本的な愛であるように思い、西洋の初恋物語を探していた。ツルゲーネフの『初恋』に続いて、『狭き門』に目が行った。
『狭き門』は聖書に出てくる言葉である。「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きく、その路は広く、これより入る者は多し」。キリストの言葉に共感しながら信仰心を持つことの難しさを感じていた私には、「狭き門より入れ」という言葉はすーと胸に入ってきた。世の中は何事も簡単ではない、その難しさを乗り越えていくことに生き甲斐があるのだ、そう思った。主人公も自分と同じくらいの若者で、『野菊の墓』と同じように、年上の従姉に恋心を抱いていた。
従姉も彼に好意を持っているけれど、母親の不倫とか妹が彼を好いていることなどから、身を引いてしまう悲恋の物語だ。確かに爽やかで美しい物語であったけれど、恋はこんなにも辛いものなのか、清貧的でなければならないのかと思った。ジイドはキリスト教の禁欲主義を批判していたのかも知れないが、ふたりの潔癖さの方が強く印象に残った。同じフランスの作家、スタンダールの『赤と黒』の方がワクワクする強烈なものがあった。
『赤と黒』を男友だちで回し読みして、「ジュリアン・ソレルになろうぜ」などと話していた。『狭き門』の主人公とは違って野心家で、出世を夢見て軍人となり、挫折すると聖職者になってなお上を目指そうとする。恋も出世の道具としか考えない。しかし、結末では愛を知って処刑になった。不道徳な生き方であるけれど、魅力的に思えた。ジイドよりもかなり前、『レ・ミゼラブル』の時代ではないだろうか。舞台は同じ時代だったと思う。
ジイドは第2次大戦の始まる直前の1936年に、ゴーリキーの葬儀のためにソヴィエトへ出かけている。多分、その頃のジイドは共産党員だったのかも知れない。ソヴィエトの人々を称えた紀行文を書いた。ところが翌年には「今日、ソヴィエト・ロシアで強要されているものは服従の精神であり、順応主義である。したがって、現在の情勢に満足の意を表しない者は、みなトロツキストとみなされるのである」と書いている。
共産主義革命後の在り方に関心があったジイドには、ソヴィエトの現実は虚構と見えたのだろう。「レーニンでも今日のソヴィエトに生き返ってきたら、どんな扱いを受けるだろうか」とも書いている。禁欲的な恋愛を描いたジイドの目は、厳しくソヴィエトの現実を見抜いていた。