友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自殺と軍事法廷と

2013年07月17日 19時27分14秒 | Weblog

 名古屋市の中学2年の男子生徒が死亡したのは、「いじめによる自殺の可能性が高い」と市教委も校長も言っている。その通りだろう。彼は思ったよりも繊細な神経と強い自己顕示欲を持っていた。担任の若い女教師は彼を庇って、「死ぬ勇気も無いのに、死ぬなどと言うものではない」と諭した。死ぬなどと考えてはダメと伝えたかったのだ。このクラスでは日常用語のように、「死ね」とか「きもい」とか使われていたようだ。ふざけてのことだが異常である。それを無くすために、ふざけの中心になっている生徒としっかり話し合うことが必要だったと思う。しかし、これは女教師にとっては一番難しいことだったのかも知れない。

 一生懸命に事の解決に当たろうとして努力しても、空回りになってしまうことはある。言葉は難しい。「キレイだね」と率直に言ったつもりでも、「バカにしている」と受け取る場合だってある。発する側はそんなつもりでないのに、受け止める側では全く違うことになってしまう。今朝の中日新聞に、自民党の改憲草案の「国防軍」について特集があった。「防衛相の経験もある石破茂幹事長は出演したテレビ番組で、審判所設置に強い意気込みを見せた」とある。審判所とは軍事法廷のことで、その必要を石破茂幹事長は次のように語る。

 「現在の自衛隊で、隊員が上官の命令に従わない場合は、自衛隊法で最高でも懲役7年が上限である。出動せよと言われたときに、いや行くと死ぬかもしれないし、行きたくないなと思う人がいないという保証はどこにもない。だから(国防軍になったときに)それに従えと。それに従わなければ、その国における最高刑に死刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。無期懲役300年なら300年。そんな目に遭うぐらいなら、出動命令に従おうって」。「重罰を科すために審判所は必要」と説く。

 審判所は軍事法廷なので、非公開で行なわれる。「旧日本軍」の場合は、戦地や戒厳下では弁護人もなく密室審理で行なわれた。上官の命令が絶対である軍隊では、事実を明らかにするというよりも軍の規律を維持し、組織を守ることが軍事法廷の目的であるので、不当な判決が下されることが多かった。自民党草案では、「上訴できるか否かは不透明」(中日新聞)である。私はそんな社会に生きたくない。新聞各紙は参議院選挙を予想して、「自民、改選倍増の勢い」と分析している。ますます暗い気持ちになる。

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