今日は七夕。このところ毎年のように雨降りで、星空を見ることは出来なかったけれど、久し振りに星を見ることが出来るかも知れない。都会の夜は明るくて、空を見上げても星を見つけるのは難しくなった。すぐに目に付くのは金星か土星くらいだ。子どもの頃はこれほど明るくなかったから、星座が何となく見えたように思った。秋から冬にかけては、今でも星空を見ることができるので、冬の星座の方が覚えていることが多い。
七夕伝説はロマンチックで、恋しているふたりには思い当たることも多いだろう。ふたりは1年に1度しか会えない。しかも雨が降って天の川の水かさが増えると渡ることが出来ない。ふたりは天の川の東と西の岸辺にたたずみ、切ない思いで川面を眺めて涙を流す。それでは余りにもふたりが可哀想というので、中国ではカササギの群れが飛んで来て、天の川で翼を広げて橋を作り、織姫を牽牛のもとへと渡す手助けをするという。ベトナムでは、7月はカラスが飛び立つ月で、飛び立ったカラスは銀河まで昇り、ふたりのために橋を作ると言われている。
恋には障害が付きものだけれど、可哀想なふたりを思って誰かが味方してくれる。今はダメでも必ず成就する、そう信じることが恋なのだろう。「星に願いを」と、今ではもう若い人たちは思わないかも知れない。いや、恋することすらメンドクサイと片付けてしまっている。恋することのときめきとか、やっとの思いで出会えた時の喜びとか、体験が無ければ分からない。体験は理屈を超えて理解できる。
「今年はクラス会を行います」と連絡してきてくれた今年で還暦となる学年の、美術クラブの生徒と南木曽の薮原高原へ行った時を思い出す。夜、みんなで草の上に寝転んで空を見た。空には星がいっぱいあった。空に入りきれないというくらいだった。しかも、どういうわけか、手を伸ばせば星を捕まえられそうだった。立ち上がれば、頭が星空につかえそうだった。想像を絶する星の数、その間をスーと流れるものがある。流れ星だ。幾つも幾つも、満天の星空で、流れ星が見えた。余りに星空が美しく、願いごとをすることも忘れていた。
子どもの頃の夜空は星が多かったけれど、この薮原高原で見た星空が一番見事だった。アメリカのロッキー山脈の高原で、真冬に夜空を見上げたけれど、そんなに多くの星は見えなかった。今日は猛暑の一日。暑い夜なので、ルーフバルコニーで食事をしよう。さて、星は見ることが出来るのだろうか。