友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

頼まれたら断れない

2013年07月16日 18時39分00秒 | Weblog

 また、私の「頼まれたら断れない」悪いクセが出た。昨日の朝、選挙中の友だちから電話があり、「今日来て欲しい」と言う。この日は、知り合いが出演する混声合唱団の発表会の日で、これも見に行ってあげたかった。「頼まれたら何でもいいのね」と皮肉を聞くが、よほど用事が無い限りは行こうと思っている。確かに小さな街で行なっている合唱や演劇や合奏など、そんなにレベルが高いわけではない。もちろん、全国レベルの人もいれば、世界を舞台に活躍している人もいるし、これからの活躍が見込まれる人もいる。

 私自身は、文化活動に一生懸命で取り組んでいる人を応援できればと思っているに過ぎない。街のあちこちにそういう人たちがいることが、街全体のレベルを押し上げるからだ。何万円という金額のチケットを払うような合唱や演劇や合奏と、好きでやっている人たちのそれとはかなりの差がある。そんなものにお金を払いたくないと考える人がいてもいいと思う。それでも応援してあげようと私は思うだけのことだ。正直に言えば、つまらないものは眠くもなるし、時には苛立ってくることもある。

 選挙はもう中盤で、今更、人がどうこう出来るものではない。終盤になればさらにイライラしてきて、結果を悪くするばかりだ。「楽しんでやりましょう」というのが私のモットーで、関わってくれる人たちへのお願いである。私の経験では、候補者がまず何を訴えたいか、その課題をキチンと持っていることだと思う。辻々に立って、短い言葉で訴える。団体や政党からの支援・協力を持たない私たちの選挙はこの方法しかない。せっかく家屋から出て来て、聞いてくださる人がいる。「行って握手をして」と候補者を促す。

 彼の選挙は初回から見て来たけれど、次第に応援者は増えている。事務所に来てくださる応援者に対応できる余裕が無いのが惜しい。何もかも、候補者が自分ひとりで引き受けているための限界だが、それも彼の個性なのだろう。「議会改革の必要」「市民の声を届ける」だけなら、多くの候補者が口にしている。市民にとって、その違いを的確に判断するのは難しい。「話し方が優しい」「人柄が信頼できる」。政策や主張とは無縁のところで市民は決めている。そうした点で、友だちは多くの支持者を得ている。

 好き嫌いが強く、わがままで、包容力に欠ける、そんな負の部分が私には気になるが、当選を重ねていけばもっと大きな人物に成長していくだろう。彼と彼のカミさんの、精神安定剤の役割だと思って、「泊まっていって!」を受け入れ、ビジネスホテルに宿を取った。そして今日の午前中、街宣車に乗った。

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