友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

生きる場所が欲しかった

2013年07月30日 19時09分24秒 | Weblog

 再び梅雨が明けて、真夏がやってきた。今年はそんな体験を2度することになった。午前中、カミさんの友だちが出品している絵画展を観て来た。絵が好きなのだと素直に受け入れられる。私は好きで絵を描くことのないままこの歳になってしまった。大学で美術を専攻したのは、好きなことをやろうという安直な気持ちからだったけれど、入ってみれば絵のうまい人が何人かいた。絵描きを目指している者もいた。そんな中にいると、高い評価を受ける作品を描きたいという気持ちが強くなっていった。

 高校のデザイン科の教師になって、美術の教師を見渡すと、高校の美術の教師はほとんどが絵描きを本業としている。お互いにどんな絵を描くのか、興味津々である。みんなが驚くような絵を描かなければという思いがいっそう強くなった。「絵描きになるのか、教師になるのか、どちらかに決めなさい」とデザイン科の先輩教師に言われた。組合運動に顔を出していたので、踏切りがつかないでいたら、鉄パイプで襲われた。左膝と両手を砕かれ、絵描きも教師も諦めた。

 最近、絵が好きで描くことが出来るような気がしてきた。NPOの旗を作っていた時も、こんなことにどうして時間と労力を注ぎ込んでいるのかと思いながらも熱心に取り組んだ。出来上がりを見ながら、もう少し知識と技能があればもっといいものが出来るような気さえした。社会とのかかわりを求めて、地域新聞を作った。いや正確には、自分を発揮できる場所を作った。絵描きも教師も諦めたけれど、何か出来るものを求めた。自分が生きる場所が欲しかった。

 社会に働きかけることも、社会に評価されることも、疎くなった今は、自分の殻に閉じ篭って絵を描くことが出来るような気がする。暑中見舞いを幾人から貰った。先輩議員で、私と一緒に会派を組んでいた人は郡上に家を建て、家の前の川で魚獲りをしている写真が載せてある。「童心に 返る魚獲り 川遊び」とあった。中学の同級生からのものには「お互いどれだけの時間が残っているか分かりませんが、一日一日を大切にと思っております」とあった。

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