オリンピックの開催地が東京に決まったというだけで、株価は上がっているそうだ。そこへ東京オリンピックの経済効果は3兆円という試算が発表されると、「いや、そんなものじゃーない」と言う経済評論家が現れ、「開催までの7年間で、相乗効果を含めれば100兆円あるいは150兆円になる」と言う。それをまた、別な経済評論家が「そんな浮ついた数字を国民の誰が信じるか」と批判する。
結果なんてきっとどうでもいいのだろう。みんながこんな風に、東京オリンピックについて、ああだ、こうだ、と言うことが目論見なのだと思う。生活必需品が満たされている社会では、購買力はどこにあるのか、何を購入するのか、「風」のようなものだと私は思っている。流行がそうだろう。人は本当にひとりでは生きていられないのだと思う。みんなと同じものはいらないと言う人でさえ、みんなと違う欲しいものがある。
株は事業を展開する時、金を集める必要から生まれた。でも、今日、新聞の紙面を割いて報道されているのは毎日の株価である。一昨日いくらであったものが昨日はいくらになったかを知る。上がったとか、下がったとか、株を持っている人は一喜一憂している。株価が商品になったのだから、当然買って儲けようとするし、売って儲けようとする。そのためには株価が絶えず変動しなければならない。自然に生まれた変動と恣意的な変動があるのも当然だ。
株価の高騰に合わせるように、安倍内閣の支持率も上がった。これもオリンピック効果なのかも知れない。社会はこのように「風」に流される。「風」に乗ろうとする人もいる。「風」に逆らう人もいる。安倍首相は福島の原発での汚水漏れは「完全にコントロールされている」と言い切った。どのようにコントロールされているのだろう。汚染水は海に流れ、そのうちに薄まると、それをコントロールされていると言うのだろうか。不思議な国だ。