今日の宮司の話を聞いて、なるほど神道とはこういうものかと思った。宮司は言う。「神様が天上で行なっていることを地上で具現することが神の道」と。神社というものが、よく分からなかった。新年を迎えると、神社に行ってお参りする。そのお参りの仕方も、各神社によってまちまちだったものを、明治になって2礼2拍手1礼に統一されたと知った。神社には大きな樹木をご神木と呼んだり、岩や滝などを神が宿るところと定めたりしているところもある。
私は子どもの頃、祖母や母から「神様はどこにでもいて、見守ってくれている」と教えられた。森羅万象あらゆるものは神の化身と日本人は考えてきた。それは農業が自然の恵みと恐れによって育まれたからだろう。日本人は四季の変化を敏感に感じ取り、豊かな色彩を数多くの名称をつけて表現した。雨や雲、空、時刻の変化にも名前を付けた。自然に対して実に細やかな観察眼を持っている。
宮司は「まつりとは非日常のこと」と言うが、この時ばかりは大いに飲み食い語ったことだろう。「神人共食」。神様と人が一緒に食事をする、だから「いただきます」なのだと。食物を得たことへの感謝、それは太陽であり水であり自然である。また、料理してくれた人への感謝でもある。「みなさんの子どもたちは感謝の気持ちが少なくなってしまっているが、ジジババが孫にキチンと教えていかなくちゃーね。文化は隔世で伝承されていくものです」。
神道は教義があるものではなく、日本人が長い暮らしの中で培ってきた慣習を儀式化したもののようだ。自然を恐れ、あらゆるものを神として敬い、亡くなった人までも神にしてしまった日本人の死生観による相乗作用が、神道となった。明治政府が儀式性の強い神道を、国民の心をひとつにするものとして利用したし、宮司が言うように「神社が戦争を煽ったわけではなく、国民がそうしたのですよ」と思う。国民全員が「神国日本」を信じていたわけではないが、そう受け止める素地が日本人にはある。
神社も寺院も厳正な信仰の場という意識が日本人には欠けるけれど、逆に言えば、全てを受け入れる信仰こそが日本人の遺伝子にはあるのかも知れない。そんな気がした。