友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

真面目に考えているのだが‥

2013年09月03日 21時41分30秒 | Weblog

 日曜日に続いて、今日も井戸掘り。「水が出てきたぞ」と、穴の中から大きな声がした。見ると確かに水だ。おそらく昨日降った雨水が湧き出してきたものだろう。それでも新しい事態が生まれるのは励みになる。希望の兆しである。そんな少しのことでも、続けていけば出来るという気になってくる。今日は借りていた井戸掘りの道具をいったん返すために出かけた。けれども、工夫と発明が大好きな仲間のひとりが、また新しい道具を作ってきた。それで、試しに掘ってみようと言うことになり、結局5時まで作業を続けることになってしまった。

 夢中になると止まらなくなることは誰にでもある。井戸掘りの仲間はそういう人が多いのか、「切りのよいところで止めよう」と言うのだが、熱中していると「ああ、もう少し、もう少し」と止める気配がない。熱中していてなら仕方ないと思うが、怠惰なだけで、なかなか止められない人々がいる。昔、議員の時、役所の幹部がこう言った。「入りをもって、出るを制す」。これが自治の基本だと得意になって言うのだ。「収入をもって、支出を決める」。確かにそうだけれど、「実際は違うじゃーないか」と借金をしている点を詰めると、「いいじゃーないですか、市民がその福祉を望んだのだから」と開き直った。

 国の借金は今年で1千兆円を越えるという。来年度予算はこれまでの最高額になる。国も地方も役人はきっと、「いいじゃーないですか、それで景気がよくなれば」と言うだろう。福祉を求めていることを逆手にとって、役人はどんどん肥満になっていく。食えない国民はますます痩せていく。国の将来、地方の将来、まるで夢のような未来を語るけれど、それはいつも絵に描いたモチなのだ。モチでいいのだ。それで未来に望みを持ち、ひたすら勤勉に働く人々が育っていくなら、借金がどんなに増えようと知ったことではないのだろう。

 井戸掘りの道も厳しいけれど、これからの社会がどうなっていくのか、年寄りは孫たちの時代を心配する。けれども、役人と一緒で、「その時はもう死んでしまっているから関係ないが」と小さく反省する。「ごめんなー、じいちゃんに力が無くて」。井戸掘りをしながらも年寄りは真面目に考えてはいるのだ。

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