アニメ映画『紅の豚』から、何を思ったのか、日活映画『豚と軍艦』を連想した。宮崎駿監督は『豚と軍艦』から何かヒントを得たのだろうかと、とんでもなく考えが飛躍した。しかし、どう考えても題名のつけ方が漢字と漢字の間にひらがなを設けているだけで、2作の関連性は見つからなかった。しいて言えば、豚という漢字を使ったシリトリだけれど、作品としては『豚と軍艦』の方が早い。
『紅の豚』はイタリア空軍の優秀なパイロットが軍の方針に従わず、一匹狼になって空の海賊と戦う物語だ。しかし、なぜ彼は豚になってしまったのだろう。純真な少女の目には人間の男に見えるようであったし、その少女が彼にキスをすると元の男になっていたから、魔法にかけられたとも考えられる。男は何年も前から、彼を待っている女性がいることを知っているのに、飛行機乗りは命の保障がないためか、受け入れない。男の不器用さがちょっと切ない。
『豚と軍艦』を調べてみたら、1961年の製作になっていた。1956年の『太陽の季節』で始まった日活の青春映画は、次に石原裕次郎を主役にして『狂った果実』を発表し、裕次郎映画が続いた。私はまだ小学6年で、映画館の看板にドキドキした。裸の裕次郎に北原三枝が濡れた水着で抱きついていた。いくら映画が好きな私でも、とてもひとりで映画館に行けなかった。2作とも原作は石原慎太郎で、新しい世代の生き方を示していた。
すぐに肉体関係になってしまう。それでいて疎ましくなって、恋人を金で売ってしまう。全く無軌道でどうしようもないくらい不良で、ろくでもない連中たちだ。今では、日の丸や君が代をうるさい言う石原慎太郎だが、当時は「これがオレたちの新しい生き方なのだ」と嘯いていたのだからおかしいものだ。私が『太陽の季節』を読んだのは成人した後で、古い価値観を認めないという点で評価したけれど、大江健三郎を読んだ時ほどの感動はなかった。
そんな日活の青春映画とは全く違っていたのが『豚と軍艦』だった。監督は今村昌平で、主演は『太陽の季節』と同じ長門裕之だった。高校生の時に見たはずだが、筋は何も覚えていないけれど、ラストシーンが凄まじかった。豚が街中を這い回り、戦いに負けた長門裕之が便器に頭を突っ込んで死ぬというものだった。私に映画って凄いと思わせた作品だった。もうひとつ、高校生の時に見たフランス映画『太陽がいっぱい』は主人公が悪人、これもとても衝撃的だった。