友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

思いやりを少し

2013年09月17日 18時48分21秒 | Weblog

 台風一過の爽やかな一日になった。青空の下、小学校の運動場ではひっきりなしに運動会の練習が行なわれている。いつも思うことだが、こんなに練習する必要があるのだろうか。先生たちも子どもたちも練習でヘトヘトになりそうな気がする。そこまでしなくてもと思うのは、私が怠け者だからで、実際、下校してくる子どもたちを見ると元気いっぱいだ。勉強するより、運動場で身体を動かしている方が楽しいのだろう。

 テレビドラマ『半沢直樹』のセリフではないが、「作業だけならロボットでもできる」。仕事に心が伴わなければ、工夫も生まれない。子どもたちが毎日学校へ通うのも、工夫の出来る人間に育つためだ。工夫が出来るということは、生きようとする意欲を持つことで、生きていることが楽しい人間になることだろう。昨日、大阪市で小学4年生の男の子が、誤って増水した淀川に転落、濁流にのまれて350メートルほど流された。通りかかった中国人青年が飛び込み救助した。青年は「助けなければいけないと自然に思った」そうだ。

 中学からの友だちが交通量の多い交差点で目撃したことをブログに載せていた。目の前の横断歩道を腰の曲がった高齢の女性が右から左へと歩いていた。お年寄りの歩きは遅く、左折車線のところに来た時には信号は変わってしまった。すると先頭にいた小型トラックがけたたましくクラクションを何度も鳴らした。運転手は窓を開け、右手を大きく振って早く渡れと催促する。そればかりか、形相を変えてお年寄りを睨みつけ、罵声を浴びせていた。彼は何か哀しくなり、「ほんのすこしだけ、心に余裕を持てなかっただろうか」と書いていた。

 愛知県の交通事故は全国一だが、小型トラックの運転手のようにイライラしている人が多いからだ。私の体験で一番ビックリしたのは、踏み切りで警報機が鳴ったので止まった時、後の車が急加速して私の車を追い越し、遮断機の下りかかった踏切を渡って行ったことだ。どうしてそんなに急いでいたのかと思ったが、すぐ次の信号で一緒になった。交差点でも、前の車が停止したにも関わらず、それを追い越して行く車を見たことがある。事故にならなかったからいいけれど、そんな無謀な運転に巻き込まれるのは嫌だ。

 相手への思いやりが一番大事と思うけれど、企業戦士に言わせれば、「そんなことをしていたら勝てないどころか潰される」。本当に哀しい世の中だ。それでも子どもたちが大きくなる頃は、もう少し心に余裕が持てるような社会になっていると思いたい。

コメント
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