友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

単純作業が充実感を与えてくれた

2018年03月09日 17時52分20秒 | Weblog

  家外はかなり強い風が吹いている。今日は珍しく忙しかった。午前10時に、先日行った同年の集いの決算報告をプリントしてくれた友だちと喫茶店で会い、封筒詰めをして手渡しするグループに分け、残った25通は私が配ることにした。打ち合わせを終えて喪服に着替え、斎場へ向かった。

 「何をお手伝いしたらよいですか」と聞くと、「受付をお願いします」と言われる。受け付けは斎場の女性職員がテキパキとされている。「指示していただければ、やりますよ」と言ってみるが、どう見ても私がそこに居たらあしてまといになりそうだ。困っていたら、知り合いが「こっちを手伝ってよ」と声をかけてくれた。

 正に人目に付かない裏方で、香典袋の金額を確かめ、表に書き込み、それを別の女性職員が集めに来て金庫(?)に仕舞い込む。受け付けの職員が香典袋と氏名の票をを私たちのところに持ってくると、袋を開けて金額を確かめ、袋の上に氏名と金額の書かれた受付票をホッチキスで留めて、次の人が番号のところにその金額を記入する。

 昔は葬儀が終わってから、喪主の親戚などの人を交えて香典袋を空け、金額を確かめたように思うが、今はこんなシステムで手早く処理しているのかと感心した。裏方の仕事をしていると、葬儀の進み具合が分からない。職員の人から「お焼香に行ってください」と言われて、やっと席を立つことが出来た。お金を数えていた私たち3人が焼香の最後だった。

 お手伝いが出来て、なぜか充実した気持ちになった。家に戻って、今朝、仕分けした残りの人たちの住所を確かめ、回る順番を決めて車で出発した。2時間で全てを配り終え、再び充実した気分になった。こういう単純なことが自分には合っていると思う瞬間だった。

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