カミさんの叔母さんの見舞いに行って来た。叔母は87歳の誕生日を迎えたばかりというから、同じ3月生まれの私の姉よりも1歳年下になる。先月、見舞いに行った時よりもさらに痩せていた。それでも不思議なことに、先月よりも目の動きはよかった。看病している従弟は「先週末から食べられなくなっている」と言う。いくつもの点滴を受けてベッドで寝かされている。今週の水曜日に姉を見舞いに行くが、姉はどんな具合だろう。
カミさんの弟の義理の母はもう十数年も施設で暮らしている。義弟は毎週日曜日に見舞いに行き、外に連れ出して食事を一緒にしている。3年前までは、年末年始に家へ連れて帰り世話をしていたが、施設のようなベッドではなく畳の部屋なので、起こしたりあるいは入浴させたりすることがうまくいかず、「とうとう諦めた」と言う。「老々介護や施設の職員の苦労がよく分かる」と話す。
「(義母は)僕を見ればすぐに名前を呼んでくれるのに、連れ合いの名前がスムーズに出てこない」と言う。叔母も私たちには本当に優しい眼差しで見るのに、毎日看護している従弟には厳しい目を向けるし、私の姉も最愛の娘に向かって、「あんたダレ?」と言ったり、「イジワルな子」と貶したりする。何を言ってもいい相手だから、スネて甘えたいのだろう。
姉の方が早いかと思ったが、叔母が一番早く逝くのかも知れない。終戦を10代で迎え、戦後の自由な雰囲気の中で結婚し、家庭を持った3人の女性。きっといろんな困難があったかも知れないが、それでも新しい時代を謳歌して生きてきたと思う。長生きは出来ないと少女時代に思った女性たちも卒寿が目前だ。
叔母の居る病院は緩和ケアを行なっていて、10日の誕生日を祝う写真がいっぱい飾ってあった。見ると叔母もVサインをしている。話すことは困難でも耳は聞こえるから、「じゃー、帰るね」とカミさんが言うと、じっと見つめて放さない。ひとりになるのが嫌だと伝えているが、どうすることもできない