東京で桜が開花した。マンションの周りの桜の蕾も大きく膨らんできたが、開花はまだ先のようだ。ルーフバルコニーのチューリップもかなり背が伸びてきた。この暖かさで、我が家のスイセンはいっ気に咲き始めた。ピンクの椿は今や満開である。新しい命が生まれた。カミさんの弟の長女に男の子が誕生した。知らせの電話をかけてきた義弟は、嬉しくって仕方ない陽気な声だった。
来月8日に市長と市議の選挙が告示される。以前では考えられないほど、既に何人も駅前で、スパーの隣で、街角で、チラシを配ったり演説したりしている。元は地域推薦で候補者を決めていたから、街頭演説やチラシで政策を訴える人はいなかった。私が地域新聞に携わっていた時は、選挙事務所を回ると、近所や支持者の人たちが代わる代わるやって来て、食事をしていく違法な選挙だった。
ある人は選挙に「400万円使った」と愚痴っていた。大半は支持者が勝手に飲み食いした請求書や領収書の支払いに使われた。そんな違法な選挙がまかり通っていたが、私が首長選に立候補した時から「大きく変わった」と言われた。誰でも政治活動は出来るから、政策や考えを書いたチラシを配布し、街頭に立って訴える。これが今では当たり前になった。
政策を書いたチラシを見ると、誰もが同じ主張をしている。福祉や教育、地域の活性化など、同じような文言が並ぶ。候補者は自分だけが正しいことを掲げていると思っているが、表現の違いはあっても中身に大きな差はない。どこで自分らしさを強調するのか、それには人柄を見てもらうしかない。街頭に出て、チラシを配り演説を繰り返す。これ以外によい運動は見当たらない。
これまでは事前に運動しなかった現職の市長も、市長の愛称を名付けた街宣車を走らせている。私に選挙の指南を求めたふたりも必死に地域を回っているが、まだまだやり切れていない様子だ。「休んでいるヒマはないよ」と尻を叩くが、まだ必死さはない。選挙は自分が必死にならなければ勝てないのに。