友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名古屋市博物館でレオナルド・ダ・ヴィンチを観てきた

2018年03月07日 19時10分34秒 | Weblog

 小2の孫娘から往復ハガキの返信が届いた。それは3日に我が家で「ひな祭り」の食事をしたお礼だった。「パパちゃん、ままちゃん、きのうはたのしかったね。ごちそうもおいしかったよー。またいきます」とあって、カミさんと私の似顔絵が描いてあった。その私の顔の横に「パパちゃんへ」とあり、「はぐはやめて!」と書かれていた。エッ、なんでー。

 帰宅する時、私は玄関まで送っていき、両手を広げて孫娘の名を呼んだ。けれども、あの子は父親の後ろに隠れてしまい、ハグさせてもらえなかった。4歳の孫娘は「パパちゃん、だいすき」と抱きついてくるのに、小2にもなると恥ずかしいというのだろうか。子どもが成長するのは嬉しいことなのにちょっと寂しい気持ちにもなる。

 名古屋市博物館で開催されている『レオナルド・ダ・ヴィンチと「アンギアーリの戦い」展』を観てきた。25日までしかないためか、来場者は多かった。観光バスも2台来ていたし、背広姿の一行もいて、普通の展覧会とは様相が違う。中に入って、挨拶文を読んで、どういう人たちが来ているのかが理解できた。企画協力は東京富士美術館で、館長は池田大作さんだった。

 1992年に、友だちに誘われてイタリアへ旅行した時、やはりフィレンツェの街を歩くのは感激だった。シニョーリア広場で絵を描いていた青年の作品を買った。目の前のベッキオ宮殿は現在も市庁舎として使われているが、そこにレオナルドとミケランジェロの大壁画があったが、宮殿の改修で今は存在していない。けれど、多くの画家がレオナルドの壁画を模写したというのが、この展覧会の趣旨のようだ。

 レオナルドがルネッサンス時代のフィレンツェに居なかったなら、絵画の歴史も変わったかも知れないし、逆にルネッサンス時代でなければ全く違った人生だったかも知れない。レオナルドの影響はミケランジョロやラファエロなど、続く人たちに色濃く残っている。レオナルドよりも8つ年上のボッティチェリの『春』をウフィツィ美術館で観た時は、まさにルネッサンスと感じた。私をイタリアに誘ってくれた友だちは、2月にイタリアへ出かけて行った。今度はどこを見てきたのだろう。旅行話が楽しみだ。

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