友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

憎悪から殺人への連鎖は断ち切れないのか

2018年09月03日 18時07分27秒 | Weblog

  8月に読んだ小説のひとつにボリス・ヴィアンの『お前らの墓につばを吐いてやる』がある。どう見ても現代ではないと思いながら読み進めると、最後の「訳者あとがき」に1946年に出版されたとあった。新聞の書評欄で紹介されていたものなのにずいぶん古い作品なのだと思ったが、河出文庫は2018年5月初版印刷となっている。

 1946年は第2次世界大戦が終結したばかりで、アメリカの公民権運動はまだ起きていなかった。私が小学生の時に読んだ『アンクルトムの小屋』では、黒人奴隷は「家畜」の扱いだったし、第2次大戦に駆り出された黒人たちは最先前線に送られたし、パイロットにはなれなかった。それでも黒人に子どもを産ませた白人はいたし、黒人の血が何分の1かの白い肌の黒人もいた。

 『お前らの墓につばを吐いてやる』の主人公の青年はそんな白い肌の黒人だ。弟が白人の娘に恋したために殺されたことから、彼は復讐を決意して街にやって来る。街の不良どもの人気者となった彼は、次第にターゲットの白人姉妹に近づいていく。でも、なぜこの姉妹がターゲットなのかが私には分からない。小説は多くのページをセックス描写に割いているが、これほどしつこく表現する必要があるのかと思うほどだ。

 人種差別への憎悪は殺人になっていくが、それでは結局、憎悪から殺人への連鎖となり、断ち切ることは不可能としか思えない。1950年代から60年代に沸き起こった公民権運動で、人種差別は廃絶されたのだろうか、トランプ大統領の発言に見られるように、まだまだ差別は無くなっていないことが分かる。人間が生きている限り、誰かを差別してしか生きられないとしたなら、本当に悲しく情けない。

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