昨日、街に出たら高校生が多い。卒業式だったのだ。60年前、生徒会長だった私は「送辞」を読んだけれど、翌年の自分の卒業式は何の感動も無かったから、一生懸命で考えた「送辞」だったけど、先輩たちは卒業式どころでは無かったのかも知れない。
私たちの頃は、1期と2期に分かれていて、1期校は3月3・4日が試験日だったので、受験する人にとってはそれどころではなかっただろう。私は1月に父が亡くなり、大学進学を諦めていた。兄が「国立なら授業料が安い。受験料は出してやる」と言ってくれたので、確実に受かるだろう2期校1本に絞って受けた。
大学も卒業式は行われたはずなのに、なぜか出席しなかった。すっかり忘れていたのか、そんな華やかな場に出たくなかったのか、記憶に残っていない。覚えているのは後日、指導教官で私の結婚式で仲人を引き受けてくれた先生から、「どうして来なかったのだ」と叱られたことだけだ。
卒業制作展も6枚のパネルを出品したのに、会場へ取りに行った時は無かった。誰かが気を利かせて片付けてくれたのかも知れないが、その後も誰からも何の連絡もなかったし、自分でも必死で探そうとしなかった。そんな、時間的な余裕も金銭的な余裕も無かった。
同級生たちは次々に赴任校が決まっていったのに、県教育委員会から連絡が無かった。自治会の役員だったから?そんなはずは無い、2年の時のわずか1年に過ぎない。3月の末近くになって連絡が来てホッとした。それから下宿を探したり、その下宿先が合わなかったりして、ドタバタ続きだった。