聖火リレーが25日、福島県のサッカー施設から出発した。約1万人のランナーが日本の各地をつなぎ回り、7月23日の開会式で国立競技場の聖火台に点火される。「密にならないように」と組織委員会は言うけれど、「祭りを見るな」とは言っているようなもので、沿道は応援する人でかなり密になっていた。
聖火リレーが始まったのだから、東京五輪の開催は確実になったのだろうか。私はオリンピックの開催に反対ではないけれど、このコロナ禍で開催して良いのだろうかと心配している。私がオリンピックで気になることがもう1つある。何のために開催するのか?
オリンピックは古代ギリシアに倣って、その間は戦争をしない、つまり「平和」のための祭典だった。なのに、国別対抗戦になってしまい、どの国がいくつメダルを取るかばかりが強調されている。国では無く、個人やチームが称えられてこそスポーツ競技の意義がある。
聖火が灯されたのも、聖火リレーが始まったのも、そんなに長い歴史ではない。聖火台は1928年のアムステルダム大会でのスタジアムの設計者の発案と言われているし、聖火リレーは8年後のベルリン大会から始まった。1936年と言えば、ヒットラーの時代である。
オリンピックは国民の心をひとつにする良い機会であっただろうし、聖火リレーはその高揚感を作り上げただろう。「祭り」はどこでも、何となく楽しいし、一体感を生み出す。選手が持てる力を発揮して戦っているのだから、見ている者が感動しない訳が無い。
勝ち負けをスポーツで決るのであれば、戦争なんか必要ない。そのためのオリンピックなら大いに賛成だ。みんなで盛り上げたい。きっといつか、そういうオリンピックになるだろう。