当然のことだが、どの新聞もどのテレビ局も、東日本大震災を特集していた。改めて映像を見ると、凄まじさに身震いしてしまう。3・11、私もよく覚えている。建物が揺れ、地震だとすぐ分かった。けれど、まさか東北で発生したことまでは分からなかった。
井戸掘り仲間と、「震災に学ぶ旅」に出かけたのは平成25年の秋だった。既に震災の爪痕はかなり無くなっていた気がしていたが、こうしてたくさんの映像を見ると、まだまだ復興とは言えないようだ。いやむしろ、元通りには決してならない、そんな気がした。
移転したくても、そこでしか生活できなければ、踏みとどまって暮らしていく他無いが、どこでも生活できるのであれば、安全で安心して暮らせる場所に移るだろう。人は昔からそうして暮らしてきた。農業が主体になり、江戸時代のように檀家制度が出来て、土地に縛られるようになって故郷が生まれた。
けれど、産業革命以後は身体ひとつで働くようになり、核家族が生まれ、生活のスタイルは大きく変わった。行政は駅前開発とか被災した土地を整地して、新しい街づくりを始めるけれど、社会の要請が無ければ空振りに終わる。
私たちの若い頃は、「いつかはクラウン」のコマーシャルが流行ったように、車を持つことが夢だった。けれど、交通機関が発達し、車の維持管理は金がかかり、車は必需品ではなくなってきた。若者は車無しの生活を好み、年寄りは足代わりの車を手放せない。
人の求めるものが変化して、便利さよりも環境に優しいという価値観も生まれてきた。これからもっと変わっていくだろう。何を一番大事にするのか、きっとみんなが考える時がやって来る、そう期待したい。