友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

コロナ禍の生活も1年経つと

2021年03月07日 17時02分15秒 | Weblog

 コロナ禍の生活になって、1年は経った。昨年の今頃は、誕生日会の人たちと富山へ美味しいものを食べに行っていた。けれども、その次の「桜を見る会」は中止した。市の夏祭りなどの行事が中止となったので、私たちもこれに倣い、何もすることが無くなった。

 美術館巡りをしていた友だちは「ひきこもり生活」と称して、家のパソコンで美術館や博物館巡りをしている。美味しいコーヒーを楽しむために、夫婦で通っていた店にも最近は行っていないようだ。みんな自粛生活だなあーと思っていたら、カミさんの友だちは名古屋の農業センターへ、あるいは稲沢の植木センターへ、梅の鑑賞に出かけている。

 犬山の大県神社や岐阜市の梅林公園、名古屋城や大高緑地、知多市の佐布里池など、きっと見頃になっていることだろう。梅は桜ほどの華やかさは無いが、それだけになんとなく春がきたことを感じさせる。昔の人は梅を愛したけれど、庶民の生活が安定してきた江戸時代からはもっぱら桜が主役になった。

 陽気が違うし、桜の花の下の方が気楽に酒が飲める。貴族のように歌を詠みながらではない、庶民のバカ騒ぎが許される風情が桜にはある。人は先の見えない我慢には耐えられない。どこの国にもバカ騒ぎが出来る「祭り」があるのは、人が創りだした「噴出の場」なのだろう。法律など無くても、人は善と悪とをわきまえているのだ。

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