鏡に映る自分を見て、「老けたなぁー、そろそろ旅立ちの日が来てもよいはず」と先日、ブログに書いたことで卒業生に叱られた。「先生の喜寿とボクたちの古希を祝うクラス会をやる予定でいるんですから、元気でいてくださいよ」と。
自分のことばかり気にしていたが、この子たち、そう古希を迎える卒業生のためにも、元気でクラス会に出られるようにしなくてはと思う。私が新卒2年目で担任した子が古希になり、担任の自分は喜寿となる、「そんな巡り合わせなんて、滅多にないんですから」と励まされた。
私も彼らも、還暦を迎えた時は、決して年寄りになったとは思わなかっただろう。65歳の時も、若い時と何も変わらない気がしていた。古希の時は、少し年寄りの仲間に入ってきたのかなとは思ったが、まだまだ若い気になっていた。卒業生の中にはいまだに現役で働いている人もいる。
75歳になった昨年は、よくここまで生きてきたと思った。私の人生プランでは、75歳が終着点のはずだった。自分では充分に生きてきたので、未練はないつもりだった。昨年の正月に仲間内で一杯飲んでいて、どういう話からそうなったのか分からないが、最後の恋が話題になった。
最後の恋が成就しなくても、せめてそんな思いが感じられる時がやってこないかと期待したが、コロナ禍と一緒で全く何も見えない。「求めよ さらば与えられん」とキリストは言った。私の人生の先に、何があるのだろうか。当たり前のことだが、死ぬまでは生きていこう。