友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「限界効用逓減の法則」

2010年05月15日 20時42分41秒 | Weblog
 良かれと思ってやったことがとんでもない結果になった。来週の火曜日から、友だち家族で台湾旅行に出かける。そこで鉢植えの木々への水遣りを頼むため、一緒にあった方がやりやすいだろうと、南に置いたあったバラの2鉢もルーフバルコニーに移した。午後になって、風がまた少し強くなったけれど、今日はもう昨日ほどの風は吹かないだろうと勝手に思い込んでいた。

 西日を避けるためのブラインドから覗くと、先ほどまで風に揺れていたバラの幹が倒れている。まさかと思ってバルコニーに出てみると、1.2メートルほどあった今年の幹が根元から折れている。とてもよい匂いの白いバラ(スノーダイヤモンド)で、楽しみに育ててきたものだ。折れた幹は根元の接木した部分よりも下、しかも白い花を咲かせている茎とはやや違う。どんな花が咲くのか、今年は見てみようと思っていた。

 白い花を咲かせているバラの幹よりも太く頑丈そうだったから、風のために根元からポッキリ折れてしまうとは思わなかった。それにしても余りにも可哀想なことをしてしまった。ルーフバルコニーに移さなければきっと花を咲かせたのに。そこでバケツの中で水切りをして、大きめの花瓶に挿してみた。このまま、つぼみが育てば花を咲かせることができるだろう。祈る気持ちだった。

 今朝の朝日新聞のbe版に勝間和代さんという経済評論家が「限界効用逓減の法則」について書いていた。最近、新聞やテレビによく出ている女性だ。朝日新聞はNHK同様に面白くなくなったが、こういうbe版や全面を使ってひとつの問題をいろんな人が論じる新聞作りは興味がある。勝間さんは、経済学のもっとも重要な法則である「限界効用逓減の法則」とは、「人間は新しい刺激に対して飽きっぽい」ということだと言う。勝間さんは例として、腹ペコの時に食べる最初のおにぎりは美味しいが、2個目3個目となると美味しく感じなくなることや、男女の間でも恋愛の最初の頃のワクワク感は徐々になくなり、夫婦になると、落ち着いてしまう。逆に一緒に暮らしていると、相手の嫌なところが目につき始め、限界効用を上回る嫌悪感を感じるようになると説明していた。

 それはそうだろうけれど、「法則」などと言えるのだろうか。感覚の問題であり、個人差は大きいのではないだろうか。食べ物にしても同じものを食べていてもいつも美味しいと言う人はいる。男女間でもいつまでもベタベタしている人たちもいる。それは一種の「努力」なのかもしれない。私はどちらかいえば、次のことに興味が移るよりも一箇所に長く留まってしまう傾向にある。個々の特殊性を言い出したらきりがないので、人間全般の特性として「限界効用逓減の法則」を述べているのだが、個々の特殊性が強ければ「法則」とまでは言えないだろう。

 良かれと思ってやったことがとんでもない結果になるのも何とかという「法則」だったような気がする。そんな風に「法則」を作って自己弁護しなければ「やってられない」ということなのだろう。人間は欲深いから。
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NHKが面白くなくなった

2010年05月14日 19時47分18秒 | Weblog
 もう3日も風が吹き荒れている。昼間は日差しが強く、暑いくらいだったけれど風は相変わらず強く吹いていた。今朝、孫娘がこちらで食事をすることになるかもとメールしてきたので、私は急いで帰ってきたけれど、孫娘は来ず、カミさんも友だちと出かけていってしまったので、結局ひとりで食事をすることになった。まあ、夜だからお酒のつまみがあればいいから、何か作って食べよう。作り出すと品数も量も多くなってしまうので、本当は誰かと一緒が一番いいのだが仕方ない。

 昨日、姉と話していた時、姉がいろんなタレントの名前を挙げるのだけれど、私はほとんど知らない。「あんたはテレビを見ないの?」と聞くので、「そんなことはないけど、でも知らんなあー」と答える。姉が見てるようなクイズやバラエティ番組を私は余り見ていない。雑学クイズや漢字クイズなどは面白いと思うし、時には教えられることもある。私も雑学は比較的よく知っている方だと思うけれど、「だから、何?」と思ってしまう。

 「東大出てても答えられんことってあるんだね」と、姉が真面目な顔で言うから、「物知りと学業の成績がいいのとは違うんだ。学業の成績の良い人は論理的に学ぶことができ、しかもそれを構築していくけれど、物知りはそういう論理では捕らえられない。知っていることはたくさんあってもバラバラなんだよ」と答える。「世の中で、本当に頭がいいねと言われる人は知識がパズルのようにつながっているのだろうね」と。

 姉は半分納得したような、また弟は適当なことを言っているというような顔をしていたが、それ以上には何も言わなかった。3人の孫のうちで2人は大学の工学部で、「バアちゃんとは話が合わない」らしい。それでも、家の電気製品を修理してくれるというから、孫たちもそういう面では姉を大事に思ってくれているのだ。バアちゃんと孫とが同じレベルで話し合えるなどということはまず考えられない。生きてきた時代の違いは大きすぎる。

 自分が歳を取りすぎたせいなのだろうけれど、この4月から模様替えをしたNHKテレビは全く面白くない。NHKがどうして民放と同じことをする必要があるのだろう。NHKは私たちから莫大な受信料を取っている。民放はコマーシャル料が入らなければやっていけないが、NHKは視聴率が低くてもかまわない構図になっている。であるにもかかわらず、民放に倣って「受け」ばかりを狙うのはどうしても納得できない。

 NHKは民放では出来ないことをやればいい。歌番組やクイズ番組やドラマや、そういうものをやるならば民放とは違う角度でやるべきだ。本当はそんなものよりも、民放ができないお金のかかる番組やなるほどそうだったのかと考えさせる番組を行なうべきだ。普天間の問題も単なるニュースではなく、世界が今どのように動いているのか、平和はどのようにしたな現実に近づけるのか、地球はこれからどうなっていくのか、そういうスケールから報道して欲しいものだ。

 民主党政権に交代したら、つまらないNHKになってしまったのも誠に皮肉だ。
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「あんたはいたかね?」

2010年05月13日 19時57分51秒 | Weblog
 フールバルコニーでのパーティーは断念しなくてはならなかった。風は収まる様子はなく、家の中でやることにしたけれど、友だちのこの決断は正しかった。風が止んだとしても昨夜は余りにも寒かった。諦めきれないカミさんは「午前中にコーヒータイムにするからぜひ来てください」と皆さんに呼びかけていた。日頃は人を呼ぶことにそんなに積極的でないカミさんが進んで計画したので、どうかなと思っていたら、心配したとおりの結果になってしまった。今朝も風は強く、とてもルーフバルコニーでお茶を飲むような状態ではなかった。

 午後7時を過ぎた今も、風は強く吹いている。朝方よりも寒く感じるほどだ。昼間はあんなにもよく晴れて暑いくらいの日差しだったが、気温そのものは平年並みであったようだ。これだけ、暑かったり寒かったりすると、いったい平年並みというのはどんな具合だったのか、分からなくなる。冬服で出かけた方がよいのか、夏服に変えていった方がよいのかも判断ができない。街を行く人々を眺めても、ミニスカートに半そで素肌丸出しの人もいれば、防寒用のダウンジャケットを羽織っている人もいる。

 来週はこのマンションの友だちで台湾へ旅行する。いつも一緒に行く夫婦が急にいけなくなってしまったので、皆さんにお願いして私の80歳になった姉を連れて行くことにした。「台湾には一度行きたかった」と言っていたことを思い出し、14年も歳の違う姉への恩返しである。高校3年の1月に父が亡くなった。高校の予備校化を批判していた私は父の死で、もう大学へ行くことはないと思った。残念という思いではなく、むしろホッとした。大学受験のための勉強は拒否するとして、補習は一切受けなかったし、勉強も落第しない程度でよいと勝手に決めていたので、大学を受験しても合格は無理だろうと思っていた。

 その私を姉は説得した。だから今日の自分があるのは姉のおかげであると思っている。大学は入学金こそ兄に払ってもらったけれど、後はひとりでできた。その兄が借金をつくり、保証人にもなっていて、大学2年の時に家は倒産した。私は大学の先生の家に住み込み、書生兼家庭教師を務める。大学4年の時は東京で暮らしていたが、最後の卒業制作のため帰ってきて、就職が決まるまでの1月から3月までを姉の家に居候させてもらった。東京で暮らしていた時、先輩に連れられて飲みに行った。そこで酔っ払って川に落ちた。メガネは無くした。洋服もダメにした。姉に書留でお金を送ってもらった。

 今日、姉のところへ旅行の詳細が届いたので持って行った。丁度、ひとり娘と言っても50歳になるが、その娘が目の手術をするために「今日は大学病院に付き添って行くことにしている」と言うので、「そんなことなら私が連れて行ってあげる」と3人で大学病院へ出かけた。その待合の時間の中で、姉は母が死んだ時、「あんたはいたかね?」と言う。「お父さんが子どもには見せない方がいいと言って、見舞いにも来なかったよね」と言う。もう50年も前のことだから忘れてしまったのだろうけれど、そんな風に印象は残るものなのだと思った。自分が関心のあることはよく覚えていても、そうでない部分は忘れてしまうのだろう。
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どうして風は止まないのか

2010年05月12日 15時19分06秒 | Weblog
 朝から、いや昨日の夜から、激しい勢いで風が吹き荒れている。ルーフバルコニーに置いている鉢植えの木々が可哀想なくらいに揺れている。咲き出した薔薇もこの風の中で、やっと花びらを持ちこたえている。このまま、風が収まらなければ、夕方からのパーティーの場所を考え直さないといけないだろう。我が家の上に住む友だち一家のお姉さんがアメリカから昨日帰国した。真ん中の娘さんだったかも一緒に来ている。

 その娘さんが「パソコンを使いたいが、英文にならないので教えてやって欲しい」と友だちが言うので、彼の家に出かけて行ってきた。他人の家のパソコンは操作がよくわからない。娘さんに「我が家へおいで」と連れてきた。娘さんは「ワタシ、ニホンゴ、チョットダケ」と言う。「大丈夫、分かるからいい」と日本語で言い、彼女を招き入れる。我が家のパソコンも動きは悪いが、操作は分かっている。

 インターネットにつなぐ。彼女は長い英文を打ち始めた。「早く打てるのね!」とカミさんは感心するけれど、私たちが日本語の作文が素早く出来るのと同じだろう。彼女は「ドウモ アリガトウゴザイマシタ」と言って帰っていった。あれから3時間近くになるけれど、未だに風は止まない。このままではルーフバルコニーでの歓迎会はできそうにない。困った。きっと、友だちは「大丈夫、止みますから」と言うだろう。運動会の時も、秋のバスツアーの時も、ゴルフの時も、友だちの予言どおりの天気になるから不思議だ。

 ここは待つより仕方がない。お天気が変わるのを待つのも、恋しい人からの便りを待つのも同じだ。じっと耐える以外にない。何時まで待てば良いのだろうかと時々西の空を見る。恋人ならば差し当たり、メールボックスを何度も見に行くのだろう。アーサー・ケストラーの『真昼の暗黒』を読み始めてしまったので、次女のダンナが好きだという村上春樹はまだ本棚に置かれたままだ。新聞の書評にあったこの本はスターリン時代の大粛清をテーマにしている。人は大きな力には弱い。

 風とか、雨とか、そういう自然の力の前では人は確かに無力だけれど、人はヒトそのものが作り上げた社会にあっても、その流れに逆らうことには無力のようだ。それがヒトの力以上の作用を生み出して、なんともならない仕組みとなっていくのだ。馬鹿馬鹿しい。ヒトが作り出した社会なのに、その動きを止められないとはなんという悲劇なのだろう。『真昼の暗黒』の主人公は、手にした権力が次の者が握れば反逆者になるというロシア革命の歴史の中で、自分の立ち位置を以外に冷ややかに見つめている。

 そうか、風が止むのを待つ以外に手はない。どんなに清く正しく生活したとしても、貪欲な生活であったとしても、自然は自然の論理で動く。なのに、ヒトは清廉な生活者には福が来ると言う。そうでありたいし、そうでなければ倫理が成り立たないからだろう。風はまだ止まない。
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モンローとバルドー

2010年05月11日 22時42分00秒 | Weblog
 私が若かった頃の女優と言えば、世界的にはオードリー・ヘップバーンとかエリザベス・テーラーとかマリリン・モンローとか、アメリカのハリウッドスターだった。「一番きれいなのはモナコ王妃となったグレース・ケリーと人は言うけれど、やはりオードリーじゃないかな」と私が言うと、カミさんは「オードリーはキュートよ。美人というより私に近いチャーミングな女性ね」と言う。その結論には驚かされるけれど、女性から見るとオードリーは美人には入らないのだろうか。

 キュートという点では、オードリーよりもモンローの方がはるかに勝っているように私は思う。モンローを肉体美だけを売り物にした女優のように思っていたけれど、実際に50歳を超えてテレビで彼女の映画を観てみると、改めて可愛い人なのだなと思うようになった。私はハリウッドの女優たちはきれいなのかも知れないが、魅力的だと思わなかった。子ども頃の私は、西部劇のジョン・ウィエンの活劇に憧れても、そこに出てくる女優はまるで付属品のようなものだった。

 祖母に連れて行ってもらって観た映画で、「忠臣蔵」だったと思うけれど、吉良邸に密偵として入っていた嵯峨美智子が捕まって責められる場面を覚えている。嵯峨美智子の小さくてきれいな足がろうそく責めを受ける。何ときれいな足首なのだろうと思うとともに、なぜか恥ずかしいくらいにエロチックだった。もう一つ、何時観た映画なのか覚えはないけれど、京マチ子という女優が戦地にいく恋人のために自分の乳房を石膏で形をとって渡す場面があった。とてもきれいでドキドキした。

 このふたりの女優に続いて、印象に残っているのはフランスの女優でブリジッド・バルドーだ。これは中学生になってからだけれど、まだモノクロの映画でバルドーの裸を見た。モンローの映画では何も感じなかったけれど、バルドーには性的な興奮を覚えた。それから多分大学生になってからだと思うけれど、やはりフランスの女優でジャンヌ・モローにも惹かれた。見た目の美しさよりも個性的でエロテックな匂いが漂う女優だった。

 高校生の頃の私は全く相反する二つの自分に分かれていた。キリスト教会に通い修道士のように厳格で、それでいて既成の権威に反抗し理想を求める陽の部分と、嵯峨美智子やブリジッド・バルドーに惹かれ性的な興奮を求める陰の部分とに。私はそれをとても恥じたし、あってはならないことだと考えていた。若い時というのは、そういう点で素晴らしいと思う。白か黒かと思っても、表と裏というように一体なものとは考えることが出来なかった。

 「美智子妃殿下はウンコもオシッコもしない」と本気で言う同僚の先生がいたけれど、そんな風に考えたいくらいに、崇高なものは崇高でありたいのだ。けれど、美智子妃殿下も妊娠されたように、人の営みに大した差などない。聖的なものも性的なものも併せ持っているから人間で、だからこそ悩みそして思索するのだと思う。
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美しき女優たち

2010年05月10日 22時49分35秒 | Weblog
 先日、NHKテレビのドキュメンタリーが女優の大竹しのぶを取り上げていた。大竹しのぶは子どもっぽい容姿と空気の抜けたようなしゃべり方から、変わった女の子だとは思っていたけれど、最近まで残っている女優では注目度が高い人だと思う。ドキュメンタリーが報じたところでは、「よく、あんな恥ずかしいことが出来ますねと聞かれるけれど、どうすればこの人になりきれるかと考えて演技しているだけ」と答えていた。確か、女優の寺島しのぶも同じようなことを言っていた。きっとふたりともその人物になりきってしまうのだろう。

 そういう点で、大竹しのぶも寺島しのぶもよく似た女優なのかもしれない。大竹と寺島は年齢が15も差がある。そうしてみると寺島しのぶという女優はもっと成長するのだろうと思う。昔の女優で田中裕子や秋吉久美子が出てきた頃は、脱ぎっぷりのいい度胸のある女優だと思った。年齢を重ねるに従って、味のある女優になっていった。そういえば、田中裕子にしても秋吉久美子にしても、どこかしゃべり方に甘ったるいところがあった。それも大竹しのぶに共通するように思う。田中裕子も秋吉久美子も1955年生まれだから、55歳になる。

 大竹しのぶは1957年生まれ。1993年に篠山紀信の撮影でヌード写真集を出している。さんまと離婚して何年目かの36歳くらいの時だ。同じく女優の樋口可南子が1991年に篠山紀信の撮影でヌード写真集を出しているけれど、彼女は大竹よりも1つ年下であるから33歳くらいの時か。今では共に、映画界にはなくてはならない女優になっている。樋口可南子の舞台を一度だけ見たことがあるけれど、この人は舞台よりも映画の方に向いていると思った。大竹しのぶの舞台は観たことがないが、先のテレビを見る限り舞台の方が合っているのようだ。

 このふたりの写真集について知っているのも、2冊とも買って持っているからだ。同じもので宮沢りえのものもある。なんとなく話題性から買い求めたものだ。宮沢りえが18歳の時のものといわれているが、今のような痩せた身体ではなく、美しすぎるほど輝いている。大竹しのぶも樋口可南子も30代の女体の美しさがある。美しいというのは形がよいのとはどうも違うようだ。若い女性はもちろん美しいけれど、年を重ねた女性もまた美しい。その違いと共通をどう説明すればよいのか、わからないけれど確かにそうなのだとしか言いようがない。

 映画「失楽園」で話題になった女優の黒木瞳は1960年生まれだそうだ。この人も大胆な演技で話題になったけれど、考えてみれば40前後というのは思い切ったことができる時期なのかもしれない。そんな時期を乗り越えた人は、40前後を振り返って、あれが自分のターニングポイントだと言うのだろう。40歳前後で大きく成長するとか転換することができた人と、できないままに来てしまった人がいるのかもしれない。

 映画「サヨナライツカ」を観た。中山美穂の肢体は美しかった。1970生まれの彼女は今その分岐点を迎えるのだろうか。映画そのものはよくわからなかった。「純粋な愛か、不純な愛か」と映画の広告にはあったけれど、愛は純粋なものであるが、不純なものでもあるのだから、映画を観ての判断は難しい。むしろ原作を読んでみたいという思いになった。
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修行が足りないのか、器が小さいのか。

2010年05月09日 20時12分59秒 | Weblog
 昨夜は欲張りパーティだった。長女の家は借家だが、小さいながらも庭付きである。アウトドア派のダンナはこの庭を芝生にしている。ここでバーべキューをやるためである。ボーイスカウトで鍛えた野外炊事の腕を生かし、早くも2台の七輪に炭火が起こされていた。テラスに臨時の電灯を設け、バーベキューは始まった。買って来た肉を焼き、いただいたタケノコも炭焼きで食べた。私はビールを飲みながら焼き手を務めたけれど、この時期の屋外バーべキューは寒くもなく暑くもなく、良い機会だった。

 欲張りパーティーとなったのは、子どもの日とカミさんの誕生日と母の日の3つを兼ねたからである。洋菓子店では「母の日」ケーキが並べられていたそうだが、孫娘はここに「誕生日の名前も入れてもらっていいですか?」とたずねたのだ。さらに、隣の男の子がケーキにこいのぼりをつけてもらっていたので、「このケーキにもお願いします」と頼んだのだ。ケーキは小さいながらも3つの役割を担ってロウソクに火が点され、この日の主役であるカミさんによって吹き消された。

 「食事を共にすることが人の最大のコミュニケーション」という話題から、話はどんどん広がっていった。とはいえ、そんな話題が好きなのは長女のダンナと私だけで、カミさんも娘たちもまたやっているくらいにしか思っていない。「人間が集団で生活をすることで、安全と食料を確保するようになったが、そういう例は猿はもちろんライオンにも見られる。けれど、食事をもてなすのは人間しかない」「集団でいることが合理的だと考え、それでいて個でいる方が有利と考えた奴が一番ずるい」「いや、個ではいられないのが人間じゃないか」「集団に属さない生き方の‥」。

 ここまで来ると、どうも酔っ払って話すことではないような次元だ。動物はいつも「求める」。エサであったり、安全であったり、異性であったり。人間もまた動物の仲間だから当然「求める」ものは同じだ。さらに意識的に集団のトップを「求める」者もいる。されは集団を形成して生きている動物の性質なのかもしれない。動物の中で人間だけが決定的に違うのは、「与える」ということだろう。

 食事でもてなすことも「与える」行為のひとつのように思う。人は思惑を持っての場合もあるけれど、そういうお駄賃を当てにしない一方的に「与える」ことを行なうことができる唯一の動物なのではないだろうか。人間は考えることができるとか、先を読むことができるとか、他の動物に見られない特性を持っているけれど、一番優れた特性は「与える」ことではないだろうかと私は思い至った。

 さてそうなると、私はこれまで「求める」ことばかりだったけれど、時には一度でも「与える」ことが出来たのだろうかと不安になる。ひょっとして、「与える」なんてことは人間の特性なのではないのではないか、そう考える方が楽なようにさえ思えてくる。修行が足りないのか、器が小さいのか。困った。
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優柔不断さや曖昧さがいけない

2010年05月08日 23時23分49秒 | Weblog
 「優柔不断さや曖昧さがいけない」と指摘される。そのとおりだと思う。私は妙にドライであったり、合理的であったりするくせに、ヘンに義理人情のところがある。その矛盾は自分でもダメだなとは思っているのだが、なかなか割り切れずにきた。今日も、先の選挙の話から「どうして応援したのですか?」と問われ、全く不合理なことを口走ってしまった。

 「私を、初めての選挙の時から応援してくれた90歳近いご婦人から『応援してあげて!』と頼まれて、断りきれなかった」と言ってしまった。事実としてはそうなのだけれど、そんなことは恥ずかしくって言えることではないのに、それを自己弁護に使ってしまった。「だって、候補者はあなたを裏切って自民党に入り、しかも次には民主党から立候補した変節漢なんでしょう。そんな人を応援する気になること自体が間違っているのではないですか?」。

 そう指摘されると反論の仕様がない。実際、政治的な信念もなくよくまあコロコロと変われるものだと思っていたのに、そんな人を応援することは納得できないのは当然のことだ。にもかかわらず、結果的には私は応援者だった。しかも最も中心となって応援してきた。候補者が私のところに来た時、まず自民党へそして民主党へ変わったことについて釈明するのかと思ったが、いきなり「政策について考えてくれればいいですから」と言った。

 この人は事態の重さについては余り深く考えない人なのだと思った。だから、首長としての器にはふさわしくないと感じた。それなのに、先に挙げた90歳近いご婦人からしつこく頼まれるとダメと言えなかった。本当はダメだとハッキリそのご婦人には伝えたのだが、彼女の方は私を口説き落とせると思っていた。それは私も感じていたので、なぜ応援できないかを説明したのだが、彼女にとっては相手候補は私を2度までも蹴落とした宿敵であり、今度は絶対に落としたい相手である。むしろ私になぜ倒したい気持ちがないのかと憤っていた。私には個人的な恨みはない。負けたのは私の力量不足であり、戦術の弱さだったとハッキリしている。

 選挙を戦う土台ができたころ、プロの選挙屋というグループがやってきて、かき回していった。その時点で私も90歳近いご婦人も手を引くことで一致した。にもかかわらず、私が事務所を休んでいるとご婦人から「すぐに来て!」と電話が入った。どうしてそこまで肩入れするのかと思いながら、彼女のために私も復帰してしまった。

 私は選挙を応援すると決めた時、私に求められた範囲を、手抜きせずにやろうと決めた。私が考える政策を彼が掲げて戦うのだから、応援することに矛盾はないと言い聞かせた。首長選挙で戦うには余りにも兵隊不足だったけれど、それでもできる戦術は駆使してやった。結果は敗北であったけれど、それでよかったと思った。プロの選挙屋というグループの選挙の仕方は昔のやり方で、何一つ参考になるものはなかった。むしろ、彼らが乗り込んでこなければ、スタッフの皆さんはもっと気持ちが昂ぶって、もっと良い選挙ができたのかもしれない。

 そういう意味でもカミさんが言う、「あなたの優柔不断さと曖昧さがいけない」という指摘は当たっている。
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草食系でいいじゃないか

2010年05月07日 19時44分22秒 | Weblog
 次女のダンナが「日本の若者ってホントに変ですよね」と言っていた。彼は3月にバンコクから帰国し、日本人の若者を部下に持ってビックリしたそうだ。彼の若い時は、何でもやってやろう、上司が驚くほど果敢に挑戦することが若者らしさであった。そういう若者が姿を消し、上司の指示を待っている、注意されたら凹んでしまう、何とも扱いにくいと言う。「ウツ状態で休む子もいて、こちらから話を聞いてやらないといけないんです」と話してくれた。

 「ああいうのを草食系と言うんですかね」と。昨日もNHKテレビ『日本のこれから』で、草食系が取り上げられていた。主に問題視されているのは、無欲な若者だった。若者というのであれば、男性も女性も同じように問題視されてもよいと思うのだが、どちらか言えば男性がヤリ玉に挙げられていた。「優しい」ことはそれなりに評価されるのに、「欲がない」ことがこれほどまでに非難されるとは、若者がかわいそうに思った。

 私の結論から言えば、年寄りはどんな時代であっても若者を非難するものだ。ここがいかん、これが足りない、何を考えているのかなどなど、昔から若者は年寄りに叱咤激励されてきた。若者が暴走すれば、年寄りは力で押さえつけてきた。今は、若者が暴走しないことをダメだと言っているのに過ぎない。何時だって年寄りからすれば、若者は不甲斐ない存在なのだ。けれども年寄りはいつか若者よりは先に死ぬ。そうして若者はまたいつの間にか年寄りになり、若者に不満を持つだろう。

 いみじくもゲストの漫画家が「先輩たちと若者がここで話し合えたことがよかった」と言っていたけれど、見ていた私としてはやはり何時の時代も変わらないものだと痛感できてよかった。年齢の上の人たちはある程度社会で成功した人たちだから、若者が出世しようとは思わないとか、恋愛するのも面倒とか、自分の好きなことだけやっていたいとか、そういうことが理解できない。そんな後向きな生活では喜びがないとか、生き甲斐を求めて生きることが大事だとか、もっとも凄かったのは、あなたたちが子どもをつくらなかったら、いったい誰がこの社会を作り上げてくれた人たちを支えるのですか、とビックリするような発言もあった。

 若者からすれば、そんなことは勝手でしょう。何を大切に思うかは人によりけりで押し付けられることではないでしょう。子どもをつくることも、どういう社会をつくることも、それはつくる側の意識の問題である。年寄りが口に出したところで、実際はどうにかなることではない。これからの社会はこれからの人たちがつくる。私たちが自分たちの社会をつくってきたように。人口が減ろうと、国家の生産力が低下しようと、人はそれに合わせて生きていくものだ。

 若い女性たちに肉食系が増えているのなら、それはそれで面白いような気がするが、それは私の勝手な思いなのだろうか。
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花粉症なのかな

2010年05月06日 19時59分12秒 | Weblog
 夕方から雨が降る天気予報だったから、種まきには丁度よいと思って、朝から作業に取り掛かった。一昨年までは、私が好きなサルビアの種を発芽させて植え付けていたが、昨年は補修工事のために植えられなかった。その一昨年の種をそのまま取っておいたので、それを撒くことにした。サルビアの種は1ミリほどの小さなものなので、花房をビニール袋に入れて乾燥させ、花ごと揉み解して、それを培養土に撒き、その上から土を少し撒いておく。

 農業を専門にする友人が、「サルビアの発芽率は悪い」と教えてくれたけれど、一昨年までは我が家の庭を飾るには充分すぎるほど育った。苗をカップに移して100本近く差し上げた。今年も同じようにうまくいくとは限らないのが自然相手の難しいところだ。3月に井戸掘りをしたところも、未だにトラブルが続いて完成していない。昨年、デイサービスを行なっている家で掘った井戸を今日見てきたところ、手押しポンプの方の水が出ない。呼び水を送ってやってみたけれど、やはり出ない。

 宿題が2つもできてしまった。井戸を掘ってと言われているところがまだ何件かあるが、トラブルが解決できなければ進むことができない。自然相手は難しい。私もこのところの農作業のためか、お昼ごろからクシャミと鼻水が止まらず頭がボーッとしている。おかしいな、私の花粉症は秋口が主で、初夏はなかったはずなのに。屋外で作業を始めるとなかなか手加減ができなくて、ついやりすぎてしまう。そういえば、身体が痛い。あれくらいの作業で痛くなるはずがないと思い込んでいたことがこの結果だ。

 来週に、私が親しくしている人のお姉さんがアメリカから帰国する。5年前にアメリカへみんなで行った時、一緒に旅してお世話になった人である。歓迎会をどこでやろうという話から、広さから考えれば我が家のルーフバルコニーが一番良いのではということになった。そのためにも、もう少し庭を楽しんでもらえるようにしておかなくてはならない。どうしようかと考えると楽しくなって、ついやりすぎてしまうのだ。

 お姉さんに最初に会った時、アメリカに長く住むということはそういうことかと思った。というのも、日本人でありながら顔つきはアメリカ人になっていたからだ。カミさんの友人も結婚して以来アメリカに住んでいるが、やはりアメリカ人の顔つきになっている。人が暮らすということはそういうことなのだろう。お姉さんもカミさんの友人も、日本語の発音さえアメリカ人のようになっていた。日本語を忘れてしまうと嘆いていたけれど、そういう順応性こそが人の生きる力なのだろう。

 お姉さんが家に来た時に、もちろんサルビアはまだ発芽もしていないけれど、どんな花を並べてあげると喜んでもらえるのだろうかと今から思い巡らしている。それにしても、この花粉症が治らないとなあー。明日の午前中はおたすけの会議で、午後は短歌教室がある。そのためにも元気でいたい。
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