友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日は「父の日」

2010年06月20日 22時17分22秒 | Weblog
 今日は「父の日」である。子どもたちが独立してからは、余り意識することが無かったけれど、今日は娘ふたりからメールが届いた。「いつも感謝しているよ」という内容だけれど、感謝されるようなことをしていないだけにちょっと照れる。「ちゃんと、ダンナのお父さんにもメールしておくんだよ」と返信してから、あの子たちのことだからキチンとやっているのにまた余分なことを言ってしまったと思った。

 孫娘は来週からは期末試験が始まろうというのに、今日は水泳の試合とかで、「先輩と一緒に食事をしてから帰ります」と連絡があったらしい。長女はそんな娘を「だんだんと大人になるあの子がかわいいです」とメールに書いて寄越した。そんな風に受け止められるあなたこそ立派な母親じゃないのと私は感心した。娘たちが立派な大人になったということは、それだけ私は年老いたということだ。サムエル・ウルマンに言わせれば、「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う」「理想を失うとき初めて老いる」と。しかし現実は、人は年齢と共に老いる。

 もちろん、生き方としてはサムウエルが言うとおりだ。「20歳の青年よりも60歳の人に青春がある」ことも人によってはあり得る。分別臭い年寄りのような若者がいる。好奇心の塊のような老人もいる。青春を論じるなら、見掛けよりも中身だと言えなくも無い。けれどもやはり、肉体は必ず老いていく。若々しい肉体の人もいれば、年齢よりも老けた肉体の人もいるが、その差はたいしたことはない。私は精神年齢も肉体年齢も若いつもりでいたけれど、どうも最近では歳相応になってきたように思う。

 私の父親は小学校の校長だったが、世間知らずだった。世相に疎いというか、人間には悪い人はいないと思っていたところがある。お金については全く無頓着で、真面目に働けば自然とお金が入ってくるように思っているような人であった。世間を知らないと書いたけれど、戦争で日本は負けるだろうと思っていたような人であったし、60年安保闘争で日本は変わるだろうと期待していたところのある人だ。聖人かと言えば決してそうではなくて、同じ職場の若い女性教師を熱烈に恋していたそうだ。

 母はそんな父に時にはヒステリーを起こしていたそうだけれど、私が知っている二人は仲良しで、母は父を認めていたし、父も母を愛していた。母が現実的な人ならば、父はこの世の人ではないような不思議な人であった。私にとって父は、友だちのような存在で、同志のように包み込んでくれる人であった。怒ったり非難したり馬鹿にしたり、そういうことが全く無かった。私は、多分、父からすれば勝手なことをしたこともあると思うけれど、一度も叱られたことが無かった。黙って見守るというのが父の態度であったし、私が高校生の時に文芸部の友だちに頼まれて散文を書いた時は、「なかなか、いいね」と褒めてくれた。

 書くことが好きなのは父親の血を受け継いでいるのかもしれないが、父親を乗り越えることを目標に生きてきたのに、結局どうだったのだろう。そんなことを言うとまだ決まったわけではないと娘たちに叱られそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅に出たいという気持ち

2010年06月19日 17時26分46秒 | Weblog
 今晩は久しぶりの誕生日会である。台湾旅行以来だから、台湾での写真などを持ち寄り、また大いに話が盛り上がるであろう。私たちのような年金暮らしは、決まったお金しか入ってこないので、特別な喜びはないけれど、借金もないから、支出を節約してお金を積み立て、旅行へと出かける人たちは結構いる。国内のバス旅行でも、女性たちのグループか夫婦連れが圧倒的だ。海外旅行となると、定年後の男性たちがたまにはグループで参加することもあるようだ。

 旅行は日常から解放されるから、「旅に出たい」と願うのは女性が多いのかもしれない。先日のクラス会でも女性たちの愚痴は圧倒的に「どうしようもないダンナが毎日家にいる」ことだった。家にいるので3度も食事を作らなくてはならないことへの不満である。家庭生活は共同作業であると理解はできていても、男たちはこれまで外で働いてきたから、家事をどのように負担したらよいのかわからないし、心の中に家事は女の仕事という意識があるのかもしれない。

 退職後のダンナを家庭に落ち着かせることはカミさんの手腕だと思う。けれど、女性たちに言わせれば、そんな面倒なことまでしたくない、せめて濡れ落ち葉のようにべったりとまつわりつかないで欲しいということらしい。そこで、ダンナが家にいるならば自分が外へ出かけた方が良いとばかりに、サークル活動や趣味の仲間や学校の友だちやイヌ友なども生まれて、せっせとお出かけになる。男は友だちをつくることに長けていないので、家でテレビを見ているか外へ出かけてもパチンコなどでヒマを潰すことになる。

 アンナ・カレーニナも『人形の家』のノーラも、チャタレー夫人やヴォバリー夫人も、そこで生きていることはどういうことなのかと考えたのだろう。男たちだって、何も考えないわけではないし、女たちだって、みんながみんな考えるわけではないけれど、男も女も多くの人の結論は「考えたところでどうしようもない」というものだ。そうでなければ、アンナやノーラやチャタレーやヴォバリーのように、日常生活に身を置くことができなくなると知っているからだ。

 「人と接することで自分を知ることができる」と、言っていた人がいたけれど、自分を知りたいというよりも、本当は人と接することに人は憧れるのかもしれない。旅をするのも、知らない土地の知らない風景や物を見たいというよりも、知らない人との出会いを求めているのかもしれない。そこまでいうとちょっとオーバーだなと自分でも思った。まだ見たことのない景色を見たり、建物や史跡を見たりすることは心躍るものがある。だから、旅をしたいという気持ちはもう少し次元が違うのかな。

 旅はひとりで気ままに行くか、気心の知れた仲間と馬鹿なことを言い合いながら行くのがよい。食事の時のひとりは余りにも寂しすぎるので、お酒を酌み交わす仲間がいる方がいいなと思う。さて、そろそろ時間だ。カミさんが「何をしているの?」と叫んでいる。私も何かお手伝いをしてこよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日でお別れ

2010年06月18日 22時54分12秒 | Weblog
 我が家の庭の鉢植えのデイゴがたくさんの花をつけてきた。沖縄の県の花になっているデイゴとも、鹿児島県の花になっているデイゴとも違うようだ。沖縄のデイゴと鹿児島のデイゴはもっと花が密集している。インターネットで見ると、鹿児島のデイゴはアメリカデイゴ(カイコウズ)というものらしい。我が家のものはサンゴシトウ(珊瑚紫豆)という種類のもののようだ。同じデイゴでも花の形や咲き方に違いがあるが、花が開かないという特徴は同じと思ってもよい(?)のかもしれない。

 台湾へ旅行した時、台中や高雄で、美しいというか見事というか、大きな緑の樹木に赤い鳥が止まっているような鳳凰木という木を見た。赤い花ばかりか黄色もオレンジ色もあるそうだが、南国特有の色合いに心惹かれて、チャンスがあればその見事さをぜひ写真に撮っておこうと構えていた。ところが台湾の西側から東側へ移ると、とんと見当たらない。場所によって違うのか、そもそも人の手で公園や道路などに植えられたものだったのか、私の探し方が不十分だったのか、東側でも台北でも見つけることができなかった。

 沖縄にはデイゴを唄った歌がある。歌謡曲にも歌われたことがあったような気がする。赤い花は血のようにも見えるし、炎のようにも見える。美しいというよりも妖艶な雰囲気がある。そこで、今日の短歌はデイゴを詠ってみた。
   わが庭のデイゴは花の開かぬを空に向かひて広がりおる
   赤々とデイゴの花は燃えるがに僅かな時を楽しむごとし
   めらめらと燃えるごとくに咲くデイゴもっともっとと恋するやうに

 笹百合や桔梗のように、野山の草むらの中でひっそりと咲く花は美しい。あるいは以前ならどこでも見られたドクダミやムラサキツユクサも清楚な輝きがある。それに比べて南国の花は大きく存在を誇示しているようだ。派手な色合いや形は、幼くもあり可愛らしくもある。どういう花を愛するかはその人の好みであるけれど、同時にその時の年齢や心情によっても異なるような気がする。若い時なら勢いがあり大きく輝いているような花を好むかもしれないし、老いてくれば小さくても優しく微笑むような花を好むかもしれない。その逆もまたあり得るだろう。

 短歌がどのような題材を好むものなのか、私は知らずに短歌教室に通ったけれど、自然や心模様を淡々と詠ったものが多いようだ。私が短歌に興味を持ったのは、俵万智さんの『サラダ記念日』だった。「あんなものは歌ではない」と言う人もいるけれど、私には石川啄木の歌と同等に感動的だった。こんな風に日常の出来事を普通の言葉で表現してもよいのだと思い、それなら自分も作ってみようという気になった。たまたま通った短歌教室は文語体での表現が基調だったので戸惑ったけれど、短歌とはどういうものかを教えていただいた。

 先輩女史にお礼を述べ、今日で教室を退室することにした。
   一年余通い来したる教室に感謝を込めて別れ行くなり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すまないねぇー」

2010年06月17日 20時38分29秒 | Weblog
 菅直人新内閣が発足し、わずかに所信表明とそれに対する代表質問が行なわれただけで、通常国会は昨日、閉会となった。民主党と自民党の攻守の立場が入れ替わったけれど、全くやり方は同じだ。民主党にはどんなに時間を割いても徹底的に討論する姿勢を見せて欲しかったが、これまでの自民党と同じ手口で、ダンマリを決め込み、数の力で閉会してしまった。馬鹿馬鹿しいというか、情けないというか、憤懣やるかたない。

 今日は真夏日となり、頭も身体もボーとしている。しかし花たち、紫陽花もバラも元気だ。ランタナも今年の花は小ぶりだけれど咲き出した。今朝、6時に目覚ましがなったので、起きようと思ったのにそのまま眠ってしまった。このところ一度も夢など見たことがなかったのに、次に目が覚めた6時10分までの間に、夢を見た。それもヘンな夢だった。

 中学では一度も同じクラスになったことがなかったけれど、一緒に学校へ通っていた友だちにばったり出会った。それも東北かどこか田舎の大きな温泉宿だった。彼はそこで大工をしていた。「あれ、じゃーないの?」と名前を呼んだと思ったけれど、名前などはなかったのかもしれない。お互いに50年ぶりの再会を喜んだ。その時、彼は「すまないねぇー」と言う。「大学を卒業した中で、オレが一番土地持ちになっちゃった」と謝る。聞けば、あの山もその隣の山もあの土地もみんな彼のものだと言う。「いいじゃないの、人生はいろいろあって」と、私はそんなことは気にするなと慰める。

 いったいあれは誰だったのか。先日のクラス会で、一緒に学校へ通っていた友だちが今は不動産屋をやっていると聞いたけれど、だから彼が出てきたのだろうか。それにしても、お金持ちになったのに、「すまないねぇー」となぜ謝ったのだろう。一緒に通っていた彼とそんなに議論はしなかったけれど、同じ中学からの友だちとは、高校生になってあるいは高校を卒業して、よく人生論などを戦わせた。それは若い時によくある青臭い論議であったが、そんな中で、人生の喜びは物質にあるのではなく心にある、というようなことを話していたから、お金持ちになったことを恥じたのかもしれない。逆に、お金持ちになれなかったことに対する自嘲なのか。

 菅直人首相は団塊世代である。言ってみれば、全共闘世代だ。大学生のみんながみんな、全共闘に加わって警官隊とぶつかっていたわけではないけれど、それでも体制や既成のものに対するアンチの雰囲気はあった。積極的に反体制にかかわらなかったとしても、心情的に共有するものがあったはずだ。菅さんは学生運動ではなく、ベ平連の運動でもなく、市川房枝さんの運動に参加したのはどういう理由なのだろう。そして菅さんは年を重ねる毎にどんどん現実主義者へと変貌していった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相手に接すれば自分を知ることができる

2010年06月16日 22時25分59秒 | Weblog
 南アフリカで行なわれているサッカーのワールドカップで日本チームが初戦に勝利した。あれほど岡田武史監督を批判していたマスコミが揃って賞賛している。サポーターの中にも「悪口ばかり言ってごめんなさい」と謝っていた人もいたし、批判したことは忘れて、「最高の監督!」と褒める人もいた。人間の心理はこんなものかもしれない。期待していたのに、練習試合では4連敗と全く振るわなかったので、監督が悪い、作戦が下手だ、選手の使い方がなっていない、などなど言いたい放題であった。

 それが初戦に勝ったら次も絶対に勝つだろうというような雰囲気が支配している。スポーツを熟知しない私が偉そうなことを言う資格はないけれど、スポーツなのだから勝ったり負けたりして当然なのではないのか。一生懸命に練習を積み重ね、技量を磨き、チームワークを高めたなら、絶対に勝てない相手にだって、万が一ということがあっていい。スポーツは筋書きのないドラマだと誰かが言っていたとおりだ。小が大を制すれば拍手喝さいとなる。奇跡の逆転ほど人々を興奮させるものはない。

 民主党が常勝軍団の自民党から政権を奪い取った時も同じようなものだった。だから民主党への期待は膨らんだが、鳩山・小沢問題でいっきに幻滅してしまった。期待が大きければ大きいほど、幻滅感も大きくなるから、岡田監督への八つ当たりのような言論も生まれる。それがたった1つ勝利しただけでコロリと評価は変わってしまうのだから、人間の心の動きは怖い。群衆はそれが常だから仕方ないけれど、マスコミはどうしてもっと高い位置からものが見られないのかと思う。マスコミが群衆と共にあるようなら、役割は果していないと同じだ。

 先日も飲みながらみんなで話していた時、その蘊蓄に仰天し、これはメモを取っておくべきだとばかりに紙とペンを借りて書きなぐった。この日も、アイディアを思いつくとすぐに書けるように枕元に紙とペンを置いてあるという人がいた。こういう方法論もいいアイディアであるが、もう少し人生における議論が交わされたはずだと、当日のメモを見てみるのだけれど、脈絡がつかめない。「人生は長さではない。中身の問題だ」とか「人は生きているのではなく、生かされている」とか、「欲望は生きている限りある」とか、そんな殴り書きが羅列してあるが、どういう繋がりだったのか、思い出せない。

 思い出せたことは、「自分を知ることは、相手に接してこそできる。いろんな人に会うことで自分を知ることができる」。この結論から何が導き出されたかというと、「それではぜひ、こういう機会(つまりは飲み会)を設け、大いに語り合おう」ということだった。よく知りもせずにただ期待して、応えないとか裏切られたとか、そんなスケールではなく、大いに語り合うことで相手を知り、己を知る、この地道な努力こそが平和への近道であると、実に世界的なスケールの発想が生まれてきたのだ。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同じことが起きていても

2010年06月15日 22時08分48秒 | Weblog
 いよいよ本格的な入梅になってきた。シトシトと降るというよりも一気に激しく降るのがこの頃の梅雨のようだ。それでも、紫陽花に雨が降り注いでいるのを見ると、入梅の季節だなあと思う。蒸し暑く身体がベタベタしてくる。そういえば、次女夫婦が居たバンコクもこんな風にジトジトベタベタしていた。雨は全てを流し去ってくれるのか、それとも微生物を増やし病原菌を繁殖させるのだろうか、そんなことを思ったりもした。

 私にできた湿疹は虫刺されが原因であった。念のために皮膚科にも行った方がよいというので、受診したが、やはり「草むらとかに入りませんでしたか?」と聞かれた。庭には9人もの人がいたのに、どうして私だけに湿疹が出たのだろう。半袖シャツの人がなんともなくて、長袖シャツを着ていた私がなぜ刺されるのか、不思議な気がする。先生が言うには、虫の毛は目には見えない小さなもので、空中を浮遊していて、シャツの布くらいは通過してしまうのだそうだ。

 それにしても、同じ場所にいた8人はなんともないのに、どうして私だけに湿疹ができたのだろう。これは私の推測だけれど、風邪菌のいる同じく空気を吸っていても、風邪を引く人もいれるが引かない人もいるのと同じことだろう。たまたま私は、虫の毛にアレルギー反応が強く出たのだろう。それは体質なのかもしれないし、身体が弱っていて抵抗できる体力がなかったのかもしれない。右腕だけでなく右足にも湿疹ができたのも、虫の毛が足にも刺さったのか、それとも毛の菌(?)が身体の弱いところに表れたのか、そんなところだったのだろう。

 人間の身体は不思議だ。あるいは身体だけでなく心も不思議だ。今日は6月15日。私が高校1年の時、安保闘争で全学連が国会に突入し、樺美智子さんという女子大生が亡くなった。私はこれをテレビニュースで見、そして翌日の新聞で知った。凄いことが起きているとは感じた。その後であったけれど、私の通う高校でも新聞記者の人がやってきて全校生徒の前で話したが、その内容までは全く覚えていない。話し方が下手であったのか、私自身に興味がなかったのだろう。

 同じことが起きていても、人によってその受け止めや反応は違う。また同じように反応したとしても、次に起こす行動は違う。それが現実で仕方がないことかもしれないけれど、悲しくある意味では腹立たしいことだ。けれどもまた、みんながみんな同じように受け止め同じように考え同じように行動したとしたなら、それも怖いことではないだろうか。なかなか一致しないために、人は一致しようと努力をする。少なくとも好きになったもの同士ならばその思いは強い。

 同じところにいて、同じ空気を吸い、同じような生活をしているなら、互いに分かり合えると考えるのが普通だろう。そう努力するように人間は定められているはずだ。それでもやはり、一人ひとりは違うし、違うからこそ求め合い理解しようとするのだろう。雨はまた本格的な降り方に変わった。雨音を聞くのもいいが、うっとうしいと感じている人もいるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地獄で結構!

2010年06月14日 21時02分01秒 | Weblog
 青い紫陽花をいただいた。土曜日の夕方、手押しポンプの完成を祝って、依頼主である友だちがパーティを開いてくれた。紫陽花の送り主である。「ポンプの完成した庭で行ないたいけれど、蚊が多いから部屋の中でやりましょう」と言う。大きな丸テーブルに私たち6人と依頼主の夫婦が座り、ビールでの乾杯から始まった。テーブルの上にはローストビーフや小アジをフライにした酢漬けや肉ジャガや野菜サラダなど10種目はあろう食材が並んでいる。

 友だちの奥さんはパーティ好きだけれど、桐嶋洋子の『賢い女は料理がうまい』の手本ような女性だ。料理も手際よいだけでなく、実に美味いし、バラエティーに富んでいる。最後に夫婦の故郷のもてなし料理という散らし寿司が出たけれど、これも実に美味しかった。料理の数の多さにもビックリしたけれど、出てくるお酒の種類にもビックリした。彼女がこれは美味いと言う日本酒を次から次へと出してくる。そこで、日本酒談義が大いに盛り上がる。本当の日本酒の美味しさは何かと議論伯仲する。

 酒の席にもかかわらず、何と博識に富んだ蘊蓄が飛び交ったことか。話はさらに盛り上がり、8月に蓼科にある夫婦の別荘に集まって、それぞれが美味しいと思うお酒を持ち寄り、飲み比べてみようということになった。さらに九州熊本の出身者が「馬刺しは熊本が一番」と言えば、「馬刺しの本場は信州でしょう」と言う者もいて、馬刺し比べも行なうことになった。なんだかんだと言いながら、飲むことと食べることに関心が集まる。それでも今日のやり取りの中で私が最も興味を持った話題は次のものだった。

 井戸掘りがとてもきつかった話から「地獄の苦しみだ」とか、「早く天国にでも行った方がいい」とか、そんな冗談が飛び交っていた時、ある人が「天国だ地獄だと言っとるけど、地獄がどこにあるのか知っとるか」と言い出した。「そんなものは誰も見た者はいないのだから誰も知らんさ」と誰かが言う。「あのな、地獄はここだ。ここが地獄だ」と出題者は言う。彼は仏教については詳しい人だ。その時、私は全てがわかったように思った。この世こそが地獄ならば、地獄は天国だ。この世は確かに苦しみや悲しみに溢れているけれど、同時に希望や歓びに溢れている。ここを天国と言わなければどこにあるというのだろう。

 キリスト教でも「最後の審判」が下り、人は天国と地獄に分けられるという。仏教もまた、人は天国と地獄に分けられる。地獄の怖さを強調すれば誰もが天国へ憧れる。この世が地獄だと言うのであれば、天国へ憧れることはない。地獄で結構、地獄もなかなかいいものだとひねくれ者の私は考える。飲むほどにますます饒舌となる仲間たちとこれほど面白おかしく、心地よい議論ができる、ここが地獄ならこんな素敵な地獄はない。地獄で結構!そう言いたくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帯状疱疹か虫刺されか

2010年06月13日 19時27分30秒 | Weblog
 土曜日の午前中、手押しプンプを据え付ける最後の仕上げを行なった。船頭が多くては、手際が悪くなる。私は一歩引いて、見ていた。庭には水鉢がいくつか置いてあるので、蚊が多い。蜂も飛んでくる。長袖のシャツを着ていたのに、右手の肘の辺りがチカッとして、しばらくすると痒くなった。シャツの上から蚊に刺されたのだろうかと思って、仕事が一段落した時にシャツを捲り上げて、痒い部分を見た。赤い斑点が無数にある。1箇所だけでなく、肘を中心に上にも下にも広がっている。

 友だちが「何か虫に刺されたのかも知れないから、着ていたものを全部脱いで、シャワーで身体を洗った方がいい」と言う。早速、家に帰りシャワーを浴びる。よく見ると右足の太ももの内側や右のわき腹にも赤い斑点が無数にある。どうしてこんなところまで虫に刺されるのだろうか。右側半分に赤い湿疹が無数にあるのもおかしい。「帯状疱疹?」の言葉が浮んだ。インターネットで調べてみると私の症状にピッタリだった。

 早期発見、早期治療と書いてある。しかし、今日は日曜日だ。今日の当番医はどこだろうかと広報を見ると、私が胃潰瘍で長い間お世話になった先生である。外科であるし、とにかく診てもらおうと出かけた。「虫刺されですね。草むらに入ったことはありませんか?」と言われる。えっ、でも、虫刺されでこんな症状になりますかと口にするけれど、「注射をして、薬を出しておきます」と全く取り合わない。胃潰瘍にならなくなって、病院へ通うことがなくなったからというので、適当な診断したのかと疑ってしまう。

 しかし、医者が言うのだから間違いないだろうと、この先生は誤診が多いというウワサを忘れて、信じることにした。帯状疱疹よりも虫刺されの方が私には都合が良かった。病気の診断はそんなものかもしれない。深刻な診断を望む人も重い病気と診断される人も、きっと本人もそれを望んでいたのではないか。帯状疱疹と診断されたら、井戸掘りも花を見に行くこともひょっとしたら酒を飲むことも、控えなくてはならないかもしれない。それは困るなあーという私の気持ちが虫刺されという診断になったのかもしれない。

 来週は雨が多い。火曜日に手押しポンプの取り付けを行なう予定だ。その時にもう1件、井戸掘りを頼まれている現場を見に行く計画でいる。雨降りが続くと、作業が遅れてしまう。少し遅れた方が年寄りにはちょうどよい休憩となるのだろうか。肉体労働の限界が右腕の湿疹となって表れた、あるいは脳卒中とか心筋梗塞とかの前触れとして湿疹ができた、そんな素人診断は今回は通用しなかった。いや待て、まだ結論は早すぎる。外科医の診断が間違っている可能性だってあるはずだ。頭の中でそんな馬鹿げた堂々巡りを行ないながら、再び赤い無数の斑点を眺めてみる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘えられる人の方がいいんだ

2010年06月12日 22時14分54秒 | Weblog
 午前中に手押しポンプの据付けを終了した。何度もやっていれば要領を得て、手順もよくなる。当然、作業時間も短縮できそうなものだけれど、それがそうならないところが営利目的ではない素人集団の宿命である。1つひとつの作業について、それぞれに思い入れが強い。こうやれば簡単にいくことも、ああでもないこうでもないと茶々が入る。「船頭多くして船山に登る」の諺どおりである。任せておけばよいことでも、「そうしない方がいい」と言う。何のために何をしているのか、確かめもせずに口を出す。それで、ケンカにならないことが不思議なくらいだ。

 先日、孫娘も交えて食事をしていた時、私が酔っ払って余分なことを言った。それが何であったのか、全く覚えていないけれど、よくある話であることは確かだ。たとえば、「それは白豚ちゃんのせいだ」とか「ママちゃんの本質なんだ」とか「勉強に意味があるわけではなく、なぜ勉強するかに意味がある」とか、自分では話を盛り上げるつもりで横槍を入れるのだけれど、皆さんからは「また余分なことを言う」と非難を受ける。「相手の言うことをしっかり聞きなさいって、いつも自分が言っていることでしょう」とやり込められてしまう。60代や70代のジジイばかりで馬鹿話をしている時の冗談が家では全く通用しない。

 すると高1になった孫娘が「あのね、うまくいくためには何も言わないことだよ」と、私に教えてくれる。何も言わないことか!確かに何も言わなければ波風は立たない。16歳の女の子の智恵でもあるのかと感心した。何でも言える、何か欲しいものがあれば買ってあげる、孫娘が嫌な思いをしないように、要求に応えられるように務めてきた。それでも孫娘は何も欲しがらないので、物欲の無い子だと思っていたけれど、彼女は彼女なりに家庭の中で自分の位置を見極めていたのだ。「ああ、あんたは賢いね。そうして人間は大人になっていくんだね」と私は孫娘に言う。

 けれども本当はもうひとつ言いたかった。「何も言わないことも大事なことかもしれないけれど、自分から何かを求めることも決して悪いことじゃないよ。求めることは甘えることでもあるけれど、信頼できる人にしか甘えられないでしょう。甘えることは相手を全面的に信頼している証であるし、もっと言えば、人は甘えたり甘えられたり、そういうことができる関係にあることが幸せというものだよ」。人に甘えることができない人は甘えても貰えない。人を信頼しなければ決して信頼もされない。

 人間は実にか細い存在なのだと思う。自分ひとりで生きていける人でも、何もかも全てが自分だけでできるわけではない。人がいて、自分がいるから、そこに幸せも逆に不幸も存在する。私たちのグループは言われた場所で井戸掘りをするけれど、そこに水があるのかと言われれば、実は何の確信もない。水が出ることを祈って掘っているに過ぎない。でも私は、それでいいのだと思うようになった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れてしまっていいのかな?

2010年06月11日 22時35分07秒 | Weblog
 今月に入って、井戸掘りを3件続けて行なった。工事がない時はどんどん来いと願っていたのに、やってみたらキツイ!と音を上げている。66歳の私が一番年下なのだから、若い時のような肉体労働に耐えられないのかもしれない。それでも不思議なもので、ああでもないこうでもないと馬鹿話をしながらやり遂げてしまうと、達成感からなのか肉体的な辛さなどはすぐに忘れてしまう。

 小学校に勤務する先生が、「最近の子どもはヘリクツばかり言う子が多い」と話す。先生がそういう子どもと出会わなかったか、それとも気が付かなかっただけのことではないだろうか。私の小学生の頃を思い出しても、ヘリクツを言う子どもはいた。私自身もヘリクツの多い子どもであったけれど、決してそれを口に出さなかった。ヘリクツな子どもというのはある種の個性的な存在と考えてよいのではないだろうか。反抗的な子どもは自分を受け入れて欲しい気持ちが強いのだと思う。

 小学校の時に、ヤンチャで反抗的で横暴と思われていた子がいた。クラス会の席で「お前っていつも先生に逆らっていたよな」と言われていたが、「全然覚えがない」と言う。その子にいじめられたことのある子がそのことを語っても、「全く知らん。覚えていない」とさえ言う。いじめられたり、いやな目にあった方はどんなに年を経ても覚えているのに、加害者は「そんなことあったか?」と言う。あんな苦しい思いをコイツは何も覚えていない。馬鹿馬鹿しい話だが、そういうことって結構ある。

 子どもの頃ならイザ知らず、大人になってからのことは、キチンと覚えていて欲しい。特に、政治の世界のことは明白に記憶されていくことが必要だ。民主党は野党時代に批判してきたことをすっかり忘れてしまっている。理屈で攻めたのだから、理屈で納得できる答えをして欲しい。やっていることはまるで自民党と変わらないではないか。国民が民主党に期待したのは、政治の透明性であったはずだ。お金のことも議会運営も、やることなすこと全て自民党と同じというのでは失望以外に何があるのだろう。

 人間は嫌なことはすぐに忘れるようにできているのかもしれない。むしろ、だからこそ希望を持って生きていられると考えた方がいいのかもしれない。お昼ご飯を井戸掘り仲間と一緒に食べていた時、「1日2食の生活をしている」と話す人がいた。朝10時ごろに朝昼兼用の食事を取り、夕方4時ごろにはお腹が空くので夕食を取るそうだ。「お腹がいっぱいではお酒が美味しくないでしょう?」と尋ねると、「夕食の時にはお酒をいただきます」と答えられる。「えっ、そうすると4時間くらい飲んでいるんですか?」と聞いてしまった。

 65歳を過ぎたのだから、今更ダイエットとか健康とか運動とか、そんなことを気にすることはない。好きなように食べ、好きなように飲み、好きなように生きていければいいのではないか。なるほど、何もかも忘れて生きることもよいのかもしれないが、それは人によって違うよなと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする