友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

疲れ果てました

2010年06月10日 22時13分03秒 | Weblog
 疲れた。クタクタになってしまった。今日は朝から井戸掘りだった。埋め立てた土地であることはわかっていたけれど、こんなにも大変なことになるとは思わなかった。井戸を掘り始めてみると山土だった。なるほどよくあることであるし、建材などの廃棄物で埋め立てられていないだけでも真面目な業者なのだろうと推測された。ところがその山土には、岩石が多く含まれていた。山を削った土をダンプカーで運び、埋め立てたのだろう。掘っても掘っても、大きな岩石がゴロゴロと出てくる。

 午前中から作業を始めたのに、大きな石があってなかなか掘り進めることができない。スコップでは岩石に撥ね返されてダメだ。バール、それも太い鉄管を使った大きなバールを人力で地中に打ち込み、砕いた石をつまみ出していく。バールを地中に打ち込む作業は実に骨が折れる。私のように両手に欠陥のあるものにはしんどい作業だ。みんなの協力もあって、何とか掘り進めたところで、作業中の不注意からこぶし大の石を穴に落してしまった。万事休すである。私たちのような掘り方では大きな石があっては掘り進めない。それでもとやってみたけれど、ムダであった。

 午前中に掘り終わるつもりでいたけれど、午後からもう1本掘ることにした。2本目は順調にいった。4時半ごろ、何とか無事に水をくみ出すことができた。汲み上げた水を使って、道具や庭の掃除をし、本日の作業を終わる。5時半を過ぎていた。それから私たちは明日の作業のための材料を購入に出かけた。今日の全ての仕事を終了できたのは午後7時を回っていた。こんな日も初めてである。地中に大きな石が埋まっていて、これを取り除くことに相当な時間を要したことは事実であるが、まだ要領よく作業ができていかないことにも原因はある。

 けれども考えてみれば、私たちは作業そのものを楽しんでやっている。だから、作業を始める午前中は特に馬鹿話に花が咲いている。なかなか機知に富んだやり取りもあり、聞いていても面白い。それが、失敗が重なったり、予定していたように作業が進まなくなると、だんだんと無口になる。無口なうちはいいけれど、そのうちにイライラした様子が目に見えるほどになる。こうなると、作業はさらにうまくいかなくなる。「ヨシャ、ここで休憩や」と気分転換を図る。再び馬鹿話が出てくるようなら軌道修正ができたことになる。

 「亭主元気で留守がいいなんて言うのは、金を稼いでいる時のことで、年金生活の今は、ズーと留守ならもっといいと言われている」と、情けないことを言う。「ゴミなら出せば帰ってこないけれど、亭主は戻って来るからゴミより始末が悪い」とか、「掃いても動かぬ濡れ落ち葉じゃーどうしようもない」などと、自嘲気味に自らを冷やかしている。こんなに必死に働いているのに、男たちは情けなくなった自分の存在に気付いているようでもある。
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選挙に勝利ではおかしいよ

2010年06月09日 21時48分41秒 | Weblog
 菅直人新内閣が発足して、民主党の支持率は大きくアップした。民主党の狙い通りになったわけであるが、私が気になるのは、菅さんはじめ民主党の幹部の人たちが言う「何としても参議院選挙で勝たなくはならない」という言葉だ。「参議院選挙に勝利するぞ!」とシュプレヒコールを繰り返していたけれど、「それはそちら民主党の都合でしょう!」としか思えない。参議院で民主党が過半数を超すことができれば、法案を間違いなく通せるというけれど、それがなぜ「いい」のかは疑問だ。

 確かに、名古屋市議会で河村市長の提案をことごとく否決され、市長は「議会は王様か」と批判しているように、どんなによい政策でも議会で否決されたなら実行できない。議会で多数となれば逆に何でも可決できる。だから、河村市長は議会を解散し、市長を支持する議員で過半数を占めたいのだろう。民主党が安定政権を維持するためには、衆参両院で過半数を占めたいというのと同じだ。自分のあるいは自分たちの政策を実現するためには、議会で過半数取らなければならない。

 では議会は、可決してお墨付きを出すための機関なのか。結果的には、あるいはもっと言えば制度上はそういう機関である。議会がウンと言わなければ何事もできない。だから逆に議会がウンと言えば何でも成立させることができる。どんな悪法であっても、法は法である。最初に議会が生まれたイギリスでは王様の権限を押さえるものとして議会は機能していた。そして民主主義議会では、多数によって可決されたならば、これを是としてきた。

 私は地方議会の議員を何年か務めたけれど、どうも議会の役割は違うように思う。議会が立法の役割を担うとしても、それは中学校や高校のクラスのようなもので、本来の議会は議論の場ではないだろうか。中学や高校のクラスはたまたま一緒になっただけだけれど、議会は住民から選挙で選ばれた人々の集まりだから、もっと自分の住んでいる町や国について、どんな形にするのかを話し合うことができる。議会は何かを決める機関というよりも話し合っていくことで最終的には結論を多数決で決めているもののように思う。

 だから、本会議とか、所信表明の演説とか、代表質問とか、個人質問とか、議会運営とか、様々な議会のやり方や規則があるけれど、本当はまず議員みんなでいろいろと話し合う、そこに首長も加わって議論していく、それが議会という形なのではないだろうか。過半数を取ることが目的になってしまっている民主主義は、それを民主主義と読んではいけないのではないのか、そう私は思っている。

 民主党の皆さんは、自民党よりも地域や企業に縛られない、政治に対して真摯に考える人たちが多いと私は信じているので、ぜひとも議会で過半数を取ることばかりに専念せずに、どのような国をどのような世界を目指すのかを議論し、その政策を国民に示して支持を訴えて欲しいと思う。
どうだろうか、菅さん。
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菅直人新内閣が発足した

2010年06月08日 22時26分09秒 | Weblog
 菅直人新内閣が発足した。衆議院選挙を経ないで新内閣がスタートするのは、批判してきた自民党と一緒だ。それでも世論調査では菅新政府への期待は大きいものがある。まだ、非自民を求める気持ちが国民の間では強いということだろう。新内閣の顔ぶれが発表されたけれど、鳩山内閣の閣僚が11人も残っているから、生まれ変わったという印象はない。菅さんとしてはむしろ鳩山内閣を受け継いでいることをアピールしたいのかもしれない。

 菅さんの初当選の頃を中心に、フィルムに残る若い頃を紹介していたけれど、何だか懐かしい気がした。私よりも3歳下だからまさしく団塊の世代だ。別の言い方をすれば、全共闘世代である。あの頃はこういう若者がいたよなと思う。権威に逆らい、新しいスタイルを模索する新人類である。菅さんはどうして市民運動に興味を持ち、どうして市川房枝さんの運動に参加したのだろう。理由は分からないけれど、長い間取り組んできたことが実を結び、市民運動からの初首相となった。

 人には運不運があり、地道に努力していれば誰でも首相やトップになれるわけではないけれど、逆に言えば、何も努力していなければ目の前のチャンスさえつかめない。菅さんは、鳩山さんや麻生さん、あるいはその前の安倍さんや小泉さんのように、政治家の2世3世ではない。なるべくしてなった首相ではないから、人々は余計に親近感を持つのだろう。やればできる、手本を菅さんが示したならそれだけで、教育的な価値は滅茶苦茶大きいと思う。

 菅首相が記者会見で「不幸を無くすことが政治の役割」と言ったことには共鳴したけれど、普天間や経済再建の問題では誠に歯切れが悪かった。普天間の問題では「副総理でありながら、何も発言しなかった」とか、「発言しなかったから責任はない」ということではないし、ましてや「発言せずにじっーと、首相の座を待っていた」ということも穿った見方ではないだろうか。菅さんは発言しようにもその中身がなかったのだろう。「安保条約が破棄されることになってもいい」と言うほどの根性もなかったと思う。

 「左翼」市民運動家からの初の首相らしく、堂々と自己の考えを述べればよいと私は期待している。けれど、政治の中に入るとそんな自分の考え方が通用しなくなってしまうのだろうか。今晩、NHKの歌謡番組を見ていたら、守屋浩さんが出ていた。歩くこともままならないような人をよくまあ出演させると驚いた。私が中学何年の頃だったのだろう。守屋浩さんが歌う『僕は泣いちっち』という歌がよくラジオから流れていた。「僕も行こう、あの子の住んでる東京へ」と何度か繰り返して歌っているうちに、恋人は東京にいて、自分は恋人に逢いに行くんだと仮想世界を作り上げていたものだった。

 「よい日本、よい世界をつくる」と菅首相は演説していた。その具体的なイメージやそこに至る道筋について、大胆にそれでいて具体的に話して欲しいと思う。そんな理想論は政治ではないと言う人には言わせておけばいい。せめて守屋浩さんのようにはならないで欲しい。ガンバレよ、菅さん。
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気が付いても、できる人とできない人がいる

2010年06月07日 22時17分40秒 | Weblog
 高校生になった孫娘に昨日、久しぶりに会った。続いて今日もまた会うことができた。高校生になってまだ2ヶ月余りだけれど、なぜか随分と大人になったように思った。女らしくなってきたという方が正しいのかもしれない。特に今日は制服姿だったから、私服でいる時とは別の印象が強い。先日、夏服のスカート丈を直したけれど、受け取りに行けないので代わりに行って欲しいと電話があり、私が受け取りに行って来た。ええっ、こんなに短いのと思うほどだったけれど、今日見た限りでは普通の女子高生の格好だったので、そんなものかと納得できた。

 孫娘が言うには、「長いスカートでいるような子はヘンと思われるの」だそうだ。それで、腰のところでたくし上げていたけれど、母親が「みっともないから丈を直してもらいなさい」と言ってくれたのだそうだ。雨の日に、駅まで迎えに行くと、短いスカートで私を待っている女子高生だと思ったけれど、キチンと直してみるとこんなものかと納得できた。生足を見せ付けることでしか性的な魅力を発揮できない女子高生を馬鹿にしていたけれど、不思議なもので、自分の孫娘が同じ格好をしていても、なかなか魅力的ではないかと思ってしまう。

 孫娘の話から、第1希望の高校へ進学できなかったために、通っている高校を甘く見ていたのだなと思うことがあった。孫娘は水泳がしたくて、この高校を選んだけれど、水泳部は人数も少なくたいした成績も上げていないので、水泳部では自分は良い成績だろうと思っていたようだ。練習の仕方を見ていても全く気合が入っていないそうだ。ところが記録会を行なったところ、ふにゃふにゃ練習していたのに記録がいい。自分はいつも真剣勝負で練習しているのにどうしてこの子たちは良い成績なのだろうとビックリしたと言う。

 孫娘は初めての中間試験で数学は1番だったけれど、得意なはずの英語が全くできなかった。学年順位も上位ではなかった。そんな話を聞くと自分の高校時代を思い出してしまう。私は初めての試験で国語は1番だったけれど、学年順位は全く振るわなかった。中学校と違って高校は、同じくらいの力の生徒が集まってきている。それが全く理解できなかった。多分、理解できないというよりも理解しようとしなかったのだ。トップにいないというショックが大きすぎた。それで頑張って勉強すればよいものを、ガリ勉してどんな意味があるとヘリクツを考え、勉強しないことを心密かに誇りにしてしまった。

 そのくせ、孫娘には「高校は同じくらいの力の子が来ているのだから、勉強すれば上がるし、しなければ落ちる。どうするかはあなたが決めることだ」などと偉そうなことを言っている。学習塾で受験生に話した時も、「1日に1時間勉強すること、2時間勉強する子では、1週間に7時間の差がついてしまう。7時間の差はたいしたことではないと思うかも知れないが、1ヶ月では30時間だ。こうなるとこの差を埋めることはほとんど不可能だ。だから毎日、コツコツと勉強することが大事だ。分かるね」と話していた。

 気が付いても、できる人とできない人がいる。意味を見出せなければ、できない人になるしかない。そんな風にしてもう66年が過ぎてしまった。
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1週間は長すぎないか?

2010年06月06日 18時05分07秒 | Weblog
 中学校のクラス会の締めを行なうため、参加者へ会計報告とお礼の文章を送ることになり、その文章をメールで送った。これでやっと役割を終えることができたと思っていたら、電話で「送られてきたものは平成19年のクラス会の礼状だけれど」と言う。クラス会の礼状と言うファイル名だけで中身を確認もせずに添付してしまったのだ。早速やり直したけれど、どうも最近は慎重さに欠けている。それでも今日はのんびりできた。

 2日から、茨城にいる次女夫婦が我が家に滞在していたけれど、毎晩、友だちとの飲み会がセットされていて、我が家では一度も食事をしていない。それを気にしてカミさんは、次女のダンナが昼から茨城に帰るので、「その前にお昼ご飯を食べようか」と言う。とは言っても、カミさんはゴルフの練習で昼飯の用意は出来ない。それならばと、「食事に来てくれ」と頼まれているイタ飯屋へ連れて行った。

 以前は寿司屋だった店を借り受けて、イタ飯屋にしているので、たくさんの人数で訪れた場合は座敷で食事を出している。普段はカウンターだけの小さな店だが、開店して1ヶ月となり客足がやや遠のいてきたことをマスターの母親は心配して、「食事に来て」と言ってきたのだ。カウンター以外は8人が座れるテーブル席が1つと、座敷に大きな和机が2つというちょっとイタ飯屋さんらしくない作りである。

 次女が「味はいいと思うけれど、黒コショウが置いてなかったり、タバスコの容器の栓がティッシュだったり、ちょっと配慮すればできることができていない」と手厳しい。野菜サラダが出てきた時も、ドレッシングが市販のものをそのまま持って来ていたが、「別の容器に移してあればよかったのにね」とも言う。ダンナも窓ガラスの汚れが気になった様子で、「きっといろいろ思いはあっても実際に手が回らないのかもね」と言う。

 独立するにはまだ早すぎたのかもしれない。器が統一されていないし、蚊取り容器が平気で客席の横にぶら下げてあったり、店を経営するまでに至っていない気がした。それでもやり始めてしまった以上は、どこまでもお客のことを考え、店作りをしなくてはならないだろう。お客が来ないからと心配するなら、どういう店作りがお客に好まれるかを考えるべきだろう。

 次女は今度の日曜日まで、こちらにいると言う。1週間もダンナひとりにさせて大丈夫なのかと心配になる。もちろん夫婦といえどもたまにはひとりの時間があった方がよいとは思うけれど、1週間は長すぎないか。それもまた、当事者でないものが口を出すことではないか。私の来週は月曜日と土曜日にはポンプの据付工事、木曜日は井戸掘りもある。夏場が近づくと水のことが気になるようで、井戸掘りの依頼が増える。どこまでみんなの身体が耐えられるかが勝負なのかもしれない。
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人生の四季

2010年06月05日 22時07分33秒 | Weblog
 おかしな天気だ。今日は暑かった。朝9時からから井戸掘りを始めて、午後2時半ごろには今日の作業を終了した。作業は比較的順調に進んだけれど、暑さが身にこたえた。ノドが乾いて、水を求める時間がどんどん短くなった。埋め立て地に家が建ててあるから、その埋め立てにどんな土が使われているか不安だった。場合によってはコンクリートの塊や石や瓦など、思いがけないものが使われている。50センチ四方の石板を4枚取り除く。ものすごく重い。そこにスコップで穴を空けていく。上の部分には山土が使われているが、その下は石などひとつもない畑土で埋められていた。これなら、掘れるのではないだろうかと希望が湧く。

 水を打ち込んで掘り進めるので、たくさんの水が必要である。ところが水道からのホースが細すぎて水を溜まるのに時間がかかる。太いホースを買いにいってもらう。庭が狭いので、水槽の置き場所は穴を掘っている場所から7から8メートル離れている。水槽から打ち込む水の勢いが弱まるのではないかと心配したが結果としては大丈夫であった。8メートルほどのところに水脈があったようで、その手ごたえが強くあった。早速、吸い上げ管を降ろして汲み上げてみる。水量は多く、水質もいい。この作業を依頼主に見てもらいたかった。それでも汲み上げるところを見てもらったことや汲み上げた水を手にしてもらい、「冷たいね」と喜んでもらえたので、疲れは吹っ飛んだ。

 全ての作業を終了し、帰宅する時に空を見上げたら、真っ青だった。「昼間はうだるような暑さだったのに、この空はまるで秋の空だ」と友だちが言う。確かに、夏の空ならもっと雲が発生していてもいいのに、雲はどこにも見えない。それにどうしたことか、夕方から強い風が吹いている。北西の風で、吹き荒れているような感じだ。夏が過ぎていっきに秋がやってきたのかとさえ思った。そんな馬鹿なことをと思われるかもしれないが、人生がこんな風に狂ってしまったなら、人は自分の人生を呪うことだろう。

 人生はよく四季に例えられる。木々が芽吹く春に生まれ、青々と元気の良い春から働き盛りの夏へと向かい、そして紅葉の秋となり、落ち葉の冬で人生を終わると。ところが青々とした春からいっきに落ち葉の秋になってしまうなら、いったい自分は何をしてきたのかと嘆くことだろう。でも、よく考えてみれば、人は誰でも1日は24時間であり、1年も同じ時間が流れている。自分だけが特別に短いわけではない。ああでもない、こうでもないと自分の人生を嘆くのは、まだ未練があるということだろう。

 未練がなくなってしまったなら、もう生きている意味がないということだ。だから人はいつまでも未練があって、不満があって、悔いがあって、ああでもこうでもという愚痴があって、不完全で、未熟で、どうしようもなくて、いいのだと私は思っている。菅直人首相にこれを問えば、きっと「そのとおりです」と言うだろう。何しろあの人は恐妻家といわれている人だから。
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やっぱり失敗だったのか

2010年06月04日 21時53分54秒 | Weblog
 先ほどパソコンを見て、やっぱりと思い、ガッカリした。昨夜、私が書き込んでいたブログが掲載されていない。まだ半分しかできていない、さてどうしようと思いながらパソコンの前に座っていたところまでは覚えているので、なんとなく完成しなかったとは感じていた。それでも、どこかに原稿が残っているのではと思ったが、どこにもない。何を書いていたのかも覚えていない。そういえば、最近覚えていないことが多い。台湾旅行で姉に「何を買ったのか」とカミさんに問われても、全く思い出せない。

 どうでもいいと思ってしまっていることが多すぎるようだ。それで、昨夜は何を書こうとしていたのだろうと思い出そうと努めてみる。今晩のニュースでは菅直人さんが民主党の党首に選ばれ、国会でも首相指名選挙で当選したと報じていた。それを見ながら、昨夜はまだ民主党の党首選挙の行われる前なので、私としては党首には蓮舫さんがいいのでは思っていた。国民の多くが自民党に代わって民主党に期待したが、鳩山さんはその期待に応え切れなかった。菅さんの名前が挙がった時、そもそも民主党は鳩山、小沢、菅による「コバトカ」だったのだから、今更菅さんが出てきても、新鮮さを訴えることにはならないと思ったのだ。

 今日の菅さんの出馬表明の演説を垣間見ても、何も感動的な感じはなかった。おそらく民主党はそのうちに飽きられてしまうだろう、そんな感じさえした。もし、民主党に生き残りに命運をかけた戦略家がいたなら、蓮舫さんを首相に祭り上げたのではないだろうか。日本初の女性首相の登場は大きく報道されるだろう。国民の目線も蓮舫さんに釘付けとなり、民主党の巻き返しは圧倒的な支持を生み、実現できたのではないだろうか。しかし、実際には蓮舫さんの名前はウワサにも上らなかった。小沢さんの意向とは思わないが、これまで報道されたことのなかった樽床さんという方が党首選挙に立候補された。これで彼の名前は永遠に記憶されるだろう。

 昨夜、ブログをどうして掲載できなかったかを思い出してみた。カミさんと次女夫婦とそして私の友だちで朝6時、ゴルフに出発して行った。帰ってきて、今日は反省会を午後6時半から中華料理店で行なうと言う。次女夫婦は別の飲み会に出かけ、ゴルフをしない私や友だちの奥さんが参加し、台湾旅行の話などで盛り上がった。生ビール2杯と焼酎を飲んだけれど、そんなに酔ったとは思っていなかった。「生きているうちにやれることをやって、楽しまなくちゃー」といわれたことが妙に引っかかった。私はそれほど刹那的に生きている気はないし、人が生きている意味はもっと別なものがあるように感じている。

 そんなことで、民主党の党首選挙に絡んで、何かを書き始めたはずだったけれど、実は何も書けなかったのだろう。老いるとつい先ほどのことを忘れてしまうと言われるけれど、そんな状態に自分がなってきているのかと思い知らされた今日だった。
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井戸掘りと政治談義

2010年06月02日 22時28分42秒 | Weblog
 今日は井戸掘り。朝9時から初めたが、スコップが入っていかないほど表面の土はとても固かった。バールでこじ開けるようにして少しずつ掘り進める。「少なくとも80センチはスコップで掘ってくれ」とリーダーから指示されるが、スコップを握る手にガンガンと固さで撥ね返る。それでも時間をかければ人間の力はこの困難を乗り越えることができるから不思議だ。80センチほど掘ると、柔らかい地層に変わった。スコップの先の土は水分を含んでいた。

 次に鉄パイプで3つ股を作り、用意した塩ビ管で土を掘り進める。柔らかな地層と少し固めの地層が交互に積もっている感じだ。塩ビ管を繋ぎながら、さらに掘り進める。6.5メートルほどのところにどうやら水脈がありそうだった。正午を過ぎたけれど、ここで中断すると失敗になるケースが多い。吸い上げ管を投入し、水を汲み上げる。水量も多く、水質も良い。3月に掘ったところは水量は多いけれど、鉄分が多く含まれていて、しばらく置いておくと茶色の沈殿物が溜まった。土地のよって随分と違うことを痛感する。

 午前11時頃だったか、用事で出かけていた人が「鳩山さんが辞職した。小沢幹事長も辞任した」と言う。そこから作業しながらの政治談義が始まった。「だいたい、今頃の辞任はおかしいよ。金の問題が出てきた時にスパッと辞めたらよかったのに、ここまで来たらますます民主党は票を減らすね」「誰が首相になっても、民主党の人気は回復しないでしょう」「自民が多少は票を伸ばすのかな」「いや、みんなの党が優勢といわれている」「あんなのはマスコミが騒いでいるだけでしょう」。いつもながら政治の話が好きな人たちである。

 話はどんどん変わっていき、普天間の基地移設の問題から、アメリカの世界戦略へと進んでいった。「宮崎の口てい疫もアメリカが仕組んだものだ。日本はアメリカからの牛肉の輸入を抑えている。アメリカから牛肉を買えというメッセージだ」「宮崎の牛の飼料のほとんどはアメリカから輸入している」「韓国の掃海艇を撃沈したのは北朝鮮ではなくアメリカだ」「アメリカは景気回復のためには戦争が必要なのだけれど、非戦へと進んでいるので、これを阻止する必要があった。だから撃沈した」。聞いていると真実なのではないかと思う。おそらくそんな謀略が行われているのかもしれない。「そういう情報はどこから仕入れたの?」と真面目に聞く人もいる。すると「知らなかったの?この人は諜報員だよ」と真面目な顔で答える人がいる。

 そんな馬鹿話を続けられるから、肉体労働が続けられるのだ。昨日のBS11での映画は数学部門でノーベル賞をとったアメリカの数学者の物語だった。現実と自らが作り出した幻想とが存在してしまう奇妙な世界は、実は現実に存在するのだから難しい。彼は頭脳明晰であったがために、現実と想像世界とが混乱したけれど、考えてみれば私たちが暮らしている世界も、何が本当で何がウソなのだろう。鳩山さんが辞職するに当たって、小沢幹事長に辞職を要求したのは最後に打てたホームランだと私は思った。
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映画『恋愛適齢期』

2010年06月01日 19時29分38秒 | Weblog
 昨夜はひとりで食事の準備をして、ひとりでワインを飲みながら、テレビを見ていたが、どこも面白そうなものはなかった。チャンネルを衛星放送に切り替たところ、BS11で映画をやっていた。新聞で題名を見ると『恋愛適齢期』とある。しかし、どうみても主人公は老人と老女である。そのうちにだんだん面白くなって、そのまま観てしまったが、ワインを飲みながら映画を観るのはよくないなと後で思った。飲みすぎてしまった。

 アメリカ映画も面白い企画を考えるものだが、ラストシーンはなるほどアメリカ映画そのものだった。63歳の男は若い女性ばかりに興味があって、この日も若い女性の家に招かれて食事をしていた。母親は劇作家で夫とは離婚している。周りの景色からアメリカの東海岸が舞台なのかもしれない。食事の後、男は若い女性の部屋へと入っていく。若い女性といっても20代の娘だから母親は止めたりはしない。ところが部屋で男は心臓麻痺を起こし、救急車で病院へ運ばれてしまう。

 さて、ここから物語は大きく展開する。病院のイケメン医師は母親の作品を見ており、彼女を熱烈に恋していく。男はしばらく静養が必要というので母親の家に滞在する。男は次第に母親に恋心を抱くようになる。娘も男が母親に恋しているのを知って、男を諦める。イケメン医師はますます恋慕の気持ちが強くなる。母親はしかし男に惹かれていく。若い女を追いかけていた男も母親の魅力に惹かれ、やがてふたりは歓喜のSEXをする。それから何年かが過ぎ、母親はイケメン医師とパリへいく。パリで愛を告白される究極の恋愛劇を考えていたからだ。そのパリで、母親は男と再会し、ふたりは結ばれる運命にあったことを確認する。

 揺れ動く中年女性の気持ちやその変化を、そして男の単純さと深さを、面白おかしく描いていて、シリアスではないけれどなかなかの文芸物だと思った。母親が部屋の中を裸で歩く、それを男が見てしまう。SEXの話もあり、男の裸もありとサービスに気を遣っているが、脚本家としては「愛」に年齢は関係ないと描きかったのだろう。老人ホームでも恋愛劇は頻繁に起きるし、どこだったか嫉妬から事件にまで発展したことがあった。それだけ人は「愛」を求めているし、「愛」に苦しんでいる。

 先日のクラス会で何人かが、「もう男は要らない」とか「女はこりごり」とか口に出していたけれど、それは一種の照れ隠しなのだろう。運命の出会いが訪れたなら、人はたちまち恋に落ちるようにできている。ただ、運命の出会いがどこにどのようにあるのか分からないし、気付くこともないまま、あるいはたとえ気付いたとしても踏み出すことのないまま、年を重ねているのかもしれない。
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