友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人には運命があると思いたい

2011年04月20日 23時34分08秒 | Weblog
 津波の被災地はガレキを撤去し、復興へと向かっているという。しかし、リアス式海岸の奥にある街では、仮設住宅を建てられる土地がなくて困っている。学校のような公共の土地があれば、その一角に建てられるけれど、そうした土地の確保が難しいようだ。これまでも海岸沿いのわずかな平地にぎっしりと家屋が建ち並んでいた地域である。その平地に仮設住宅を建てることは再度何かが起これば非難を浴びることになる。少なくとも高台に土地を確保しなければならないのだが、その目途が立たないというのである。

 最も深刻なのは原発から30キロ以内に住む人たちである。地震や津波で被害を受けた人たちもいるけれど、地震や津波での被害は皆無に近いのに、原発事故による放射能汚染のため、「自主避難」を期限内に行ないなさいと命令されている。ここでは農業や酪農で生活してきた人が多く、農地は一度汚染されたならば何十年も経ないと元には戻らないという。つまり、使い物にならない土地になってしまったというわけだ。農家が農地を失えば生活はできない。「自主避難」と言いながら強制されるわけだから、土地は放棄しなければならない。

 おそらく人類は、地震や津波や火災や洪水に襲われて、せっかく手に入れた農地をあるいは住処を何度も捨ててきたのだろう。工業が起こり、永住できるようになったように思ったけれど、それは一時の夢だった。再び民族大移動のように、住み易い土地を求めて移動しなくてはならない時代がやってきたのかも知れない。凶暴な部族の襲撃から逃れて、あるいは大災害から逃れて、安全な土地へと旅に出るのだ。そうしてしまえばいいじゃーないかと思うけれど、当事者には住み慣れた土地を離れることは死と同じくらい辛いもののようだ。

 私は3男だったから、土地や家族への執着は全くなかった。出来れば新しい土地で、全く知らない人たちの中で、暮らしてみたいと思っていた。新世界が自分を待っていると考えていたから、できる限り早く故郷を捨てて出て行きたかった。「自主避難」の勧告を受けた人々が政府の方針を非難していたけれど、確かにその身になれば、これからどうしたらよいのかという不安が怒りになることはわかる。私もきっとそうしていただろうと思う。それでも、固執したところで生きていけないのであれば、新しい土地へ向かって生きる以外ない。

 10代前半の若者が脳死となり、その臓器が全国の必要としている患者に移植された。移植協会の人は両親の話として、「子どもの身体の一部がどこかで生きていてくれたらと思って決めた」と発表していた。私は自分の臓器がバラバラになって生きていることは耐えられない。難病の人の生きたいという気持ちを否定するつもりは全くない。けれども私は、限界があることを受け入れたいと思っている。人には運命があると思いたい。自然との闘いの中で多くの富を作り出してきたが、自然を受け入れることも学ぶべきだと思っている。
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夫婦のかたち

2011年04月19日 23時29分20秒 | Weblog
 70歳になる友人のカミさんは若々しくて品があり、美しい人だった。一緒に行った友人が「どうしてあんな素敵な人と結婚できたのだろう」と不思議そうに言う。「そういうあなたもとても素敵な人と結婚しているじゃーないですか」と私が言うと、「それはそうですけど、でも不思議だなあー」と言う。隣の芝生がきれいに見えるのと同じで、よそのものはより良く見えるということだろう。その70歳になる友人は「50年位前からの付き合いだから」と言うから、彼のカミさんがまだ10代の頃である。「随分、早熟なふたりだったんですね」と私は感心した。

 高校生くらいになれば誰もが異性に関心を持つ。しかし好きだという気持ちがあっても付き合いに発展するケースは稀だ。いいや、そんなことはない、付き合いになっていかない方が珍しいと言う人もいるだろう。周りの環境や置かれた状況による差なのかも知れない。「付き合う」という形もいろいろで、話が出来たり、デートでもすればもう付き合っていると思う人もいるし、特定な人でなければ付き合っているとは言えないと思う人もいる。自分では付き合っているつもりでも、相手は全くそんなつもりはなく合わせているだけということもある。

 自分が好きだと相手も自分を好きでなくては気に入らない人がいる。好きな女性にネックレスをプレゼントした友人は、彼女がデートの時にそのネックレスをしているかを気にする。また、彼女が他の男性に親しく話しでもしていると無性に腹を立てる。彼は結婚していて、彼女は離婚しているのにもかかわらずである。人一倍嫉妬深い人はそれだけ愛情が深いという解釈も成り立つが、がんじがらめにしておかないと不安で仕方がないのかも知れない。そういう異性に恋されたならば、それを嬉しいと思う人もいるし、鬱陶しいと思う人もいる。自分と相手との相性がピッタリ合えば、それで他人がどうこう言うことではないだろう。

 話は戻るが、70歳の友人はどちらか言えば落ち着きのないタイプで、常にマイペースなのだけれど、自分では人に気を遣いすぎていると思っている。彼のカミさんは、ほんの一言二言しか話していないのであくまでも憶測だけれど、友人とは正反対で落ち着きがあり、客観的に物事が見られる割に厳しく好き嫌いを判断できるようだ。芸能に関心がない友人と違って文芸に造詣が深い。夫婦は同じ方向を向いている方がよいと言う人もいるが、友人夫婦のように真反対の方がかえってうまくいくと言う人もいる。つまり、うまくいっているならばどんな組み合わせでもいいということだろう。

 たとえ、うまくいっていないと思ったとしても、どうすることも出来ないのであれば、うまくいっている振りを続けていけば常態化していくものなのだろう。朝日新聞の土曜日版が2週にわたって、「いま恋してますか?」を特集していた。友人の娘さんで30代の主婦がこの新聞を読んだ感想を話してくれたので、またいつかネタに取り上げようと思っている。
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地域エゴから脱却しようよ

2011年04月18日 22時43分48秒 | Weblog
 選挙の応援に出かけていって気付いたことがある。その第1は立候補者が増えた。中には定員よりひとりオーバーという自治体もあったけれど、10人以上が落選する大激戦のところがいくつかある。これからはきっとそうなっていくのだろうと思う。地方議員は地域の代表という意識があった。有権者も地域から出しておけば何かと役に立つと思ってきた。議員に世話になったと感謝している人がいるが、その中身を聞いてみると議員でなくてもできるようなことばかりだ。どうしてそんなことになってしまうのか、行政が議員のゴリ押しを受け入れる姿勢が続いているからだ。うるさいからとか、聞いてやっておけば困った時に役に立つからとか、行政が自らに都合のよい環境を作ってきたのだ。

 これまでの地方議員は地域の役員とかPTAの会長とか、そういう段階を踏んで作られたタテ系列から、「次は誰」と指名を受けて生まれてきた。従って地域への貢献度が求められたし、そうして当選すれば当然また地域の要望を行政にゴリ押しすることになる。こうした地域エゴを代表する地方議員は県会議員や国会議員の集票役をこなすことで、いっそうタテ系列を強め、次回の当選を確固たるものにし、がんじがらめになっていく。こうなるともう、自分で考えることもなくなり、議会へは賛成の挙手をするためだけに来ている議員となっていく。こんな議員を、しかし有権者は実力のある頼もしい人と信じているのだ。だから、議会で何が行なわれているのか知らない有権者は多い。自分が投票して議員となった人がどのように発言し行動しているのか知らないのだ。

 ところが、河村旋風の影響なのか、それとも不況で就職先のひとつと考えているのか、地方議員になろうとする人が増えた。地盤や看板やカバンがなくても議員になれそうだと考える人が多くなった。政党に属さなくても、自分から手を上げて、手作りの選挙で当選できそうだと考えるようになった。だからこれまでの選挙とはちょっと違う奇抜な選挙運動を行なう人が出てきた。事務所のタテ看板を背負い、アニメソングを流している人に出会った。事務所の看板は届け出た場所に固定されたものだから「背負って歩けないよ」と教えると、「えっ、そうなんですか」と慌てて仕舞い込んだ。公選法はザル法と言われているけれど、触れると思われることは止めておくか覚悟してやるかのどちらかである。そうした新しいスタイルの選挙運動がどんどん出てくれば当然だけれど、法の解釈も違ってくる。

 第2は、自分の思いや政策をキチンと演説する人が増えた。これまでのように名前だけを連呼している人もいるけれど、まだ少数といえども思いや政策を語る人が増えたことは注目に値するだろう。私たち無党派の候補者は、百メートル毎に演説をして回っているが同じようなスタイルの候補者が増えた。ぜひ、候補者全員が街頭で自分の思いや政策を訴えて欲しいと思う。名前だけやキャッチコピーだけを流していくような選挙では当選できないとなれば、立候補者はもっと質がよくなるだろう。選挙カーでウグイスさんにしゃべらせておいて、自分は有力者を連れて戸別訪問を密かに行なっているような候補者を当選させてはならない。そうした地域エゴの代弁者を当選させてはダメだ。応援に行ってそんなことを考えた。
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高遠の桜は満開だった

2011年04月17日 22時55分55秒 | Weblog
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 金曜日1泊で、信州の温泉と高遠の桜を見るバスツアーに行ってきた。旅行会社が4月生まれを対象に「誕生記念」を売りにした企画だった。だから当然だけれど、60歳以上の夫婦や友人で参加している。温泉宿は広間に御膳でというものではなくて、ふたり1組のテーブル席になっていた。しかもそれが斜めに並べてある。ふたりで向かい合い、おしゃべりしながら食事をということだろうけれど、夫婦というのはあまり会話がないようで、カミさんがおしゃべりなところ以外は黙々と食べている。お酒をたくさん飲むカップルもなく、味気ないほど静かに過ぎていった。

 午後8時半からは、餅つきが行なわれ、お客の中から何組かの男女が参加して杵を振るった。そういう趣向でもしないと客が呼べないのかも知れない。バスが午後3時には宿に着いてしまったので、宿の周りを散策しようとした時、フロントの人はどうして出かけるのだろうと不思議な顔で見送ってくれたけれど、出かけてみて理由が飲み込めた。散策している泊り客は他にはいないし、通りに人影がないのだ。確かに温泉郷とあるけれど、客足は途絶えていると思われるような静けさである。おそらく売りの1つであったであろう『ゴッホ美術館』は閉館されていた。有名なホテルも別館はブルーシートに覆われていた。従業員のための寮も人がいないのか雨戸が閉まったままの部屋がある。

 宿の仲居さんの数が少ないために、料理がなかなか出てこない。仲居さんに地震の影響を尋ねると、「お客は少ないね」と答えてくれた。温泉郷を盛り上げるためにいろいろなイベントに取り組んでいるところもあるけれど、郷としての売りがないところは寂れていくようだ。景色がいいわけでも、近くに名所があるわけでもないところは、個々の宿がそれぞれに特色を出そうと努力しているのだろうけれど、やはりそれだけでは限界がある。宿は部屋も風呂も並で、あとは従業員の人力に頼る他ないのだろうけれど、それもひとりが何役もこなさなくてはならないから、疲労気味のようだった。

 お目当ての高遠のコヒガンザクラはまだ咲いていないという情報であったけれど、行ってみれば見事な7分咲きだった。場所によっては満開のところもあり、見応え充分だった。まだ咲いていないという情報のせいか、お客はやや少なめだったから桜を愛でて歩くにはありがたかった。1回りして、「コーヒーを飲みながら桜を観よう」と穴場であるはずの美術館内の喫茶コナーに入ろうとしたところ、「入場券を買ってください」と言う。「コーヒーを飲むだけですが」と言っても、「この時期はそういうことになっていますから」と言う。以前来た時はそんなことはなかったのに、何か釈然としなくて入館せずに帰って来た。

「やはり桜は屋台に限る」などと負け惜しみを言いつつ、桜風味のソフトクリームを味わう。満開の桜が元気なジジババに優しく微笑んでいる。本当に観光地はどこもジジババばかりだ。ガンバレ日本を支えているのは、お土産をたくさん買い込んだ元気なジジババなのかも知れない。
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人類の末路

2011年04月14日 22時34分52秒 | Weblog
 チューリップは咲いた。早いものは咲いてすでに1週間ほどになる。暗い部屋に入れておいたけれど、もっと早くそうしなければいけなかった。それでも今日、明日が一番の見ごろになりそうだ。まだ7鉢くらいがつぼみのままだから、花はまだ楽しめるけれど、早くから咲いた赤いチューリップはもう終わりを迎えている。例年ならお世話になったデイサービスへチューリップの花束を届けるのだが、今年は選挙のために時間が取れないかも知れない。屋上の防水工事に伴い鉢を移動した時に、かなりの数が割れてしまい、もうチューリップを楽しむことも止めようかと思ったけれど、数少ない鉢でもこうして並べてみるとそれなりに様になっている。夏にはやはりサルビアの庭を作ろうという気持ちになった。

 チューリップは咲いたけれど、井戸堀りはダメだった。13メートル近くまで掘っていながら、どうしてもその先が掘り進めない。今朝、新しくお金をかけて作った4メートルの鉄管が作業中に抜けなくなった。上げることも下げることも出来ない。鉄管と外側の塩ビ管との間に石が詰まってしまったと推測される。チェーンを使って引き上げようとするが、スチール製の綱が切れそうになってしまう。これまでかと思われた時に、先輩がやって来てゴチャゴチャやっているうちに大事な鉄管を引き上げることが出来た。これを機に塩ビ管も引き抜き、この場所での井戸掘りを諦めることにした。ここで出来なければどこでやっても出来ないのではないか、まずここで成功させ、器具と手法を確立させよう、そう言い聞かせてきたけれど、「引く時は引かなきゃいかん」と先輩に言われて、みなさん納得した。

 地震と原発のニュースばかりで、気持ちが重いのにさらに井戸が掘れなくて、もっとため息をつくようになってしまった。気持ちが落ち込むと肉体までもが疲れ果ててしまう。果たして次の場所でも掘り進めることが出来るのだろうかと、やってもいないうちからマイナス思考になってしまう。先輩は言う。「場所を変えて掘ってみると全く違う結果になることもある。出ないところに何時までも固執していても仕方ない」。おっしゃるとおりだけれど、どうして掘り進められないのかという問題は未解決のままだ。そうやって次に移り、たまたま水が出れば、もう何も問題はなかったかのようになってしまう。仕事ならばそれでよいのだろうが、名誉でやっている私たちとしてはどうしても納得できないことだ。

 地震や津波は自然の出来事で防ぎようがないけれど、それでも被害を最小限にとどめることは出来る。ましてや原発事故は天災とは言い難い。原発は造ることも多額の費用がかかるけれど、維持することはもっと多くの費用がかかるし、廃炉にすることは出来ないくらいの費用がかかる。自分で造った物を自分で壊せないほど恐ろしいことはない。まるで人類の末路を象徴するようなものだ。「引く時は引かなきゃいかん」と言うのに、引くことも進むことも出来ない。それでもやはり、どうするべきかという根本の問題は残る。

 さて、明日は信州へ出かけるので、休みます。
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大人ならこういう時はどうするのか

2011年04月13日 23時03分32秒 | Weblog
 長女から電話があって、高2になった孫娘が「病院の救急外来に来ることになったので迎えに来て欲しい」と言う。どういうことなのかと孫娘に尋ねると、「体力測定の反復横飛びを練習していて、残り5秒という時にギクッとやってしまった」と言う。「一番お得意の時に残念ねと友だちにも言われてしまった」とぼやいていた。1年の時はオールAで、体力測定だけは自信満々だったのにこれで2年連続オールAの記録達成はできなくなった。また春の学級対抗の球技大会や水泳の大会もおそらく出場するのは無理だろう。孫娘にとってスポーツは生き甲斐だったから、さぞかし悔しい思いをしていることだろう。

 私は夢中になったスポーツはなかったけれど、体力測定ではやはりオールAだった。カミさんに聞くと「私もAだったわよ」と言うけれど、ボール投げは下手だからちょっと疑問だが、それを言ちゃーおしまいである。スポーツは私よりも遥かに好きで、熱中する方だ。今も歩くのは速いし、走るのも速い。ゴルフとなればどんなに朝早くても出かけていく。スポーツジムで汗を流すことも好きだ。真面目に身体を使うことが本当に好きなのだと思う。怠け者の私はちょっと付いていけないが、子どもは2人とも母親似で、身体を動かすことが好きだ。長女は高校時代は陸上部だったし、次女はハンドボール部だった。新聞部の私とは大違いだが、母親は高校時代にはテニス部だったからその血筋である。

 孫娘はレントゲン検査の結果、骨には異常はなく、捻挫と診断された。それでもしばらくは静かにしていなくてはならない。体育も水泳もお休みである。これが彼女にとって幸いになってくれればいいけれど、裏目になることはないだろうかとカミさんは心配している。そのくせ孫娘の前で「人生なんてこんなものね」と言う。「いつも大事な時に躓くわね」って、それっていつもと言うけれど、いったい何時のことなのだろう。本人が一番落ち込んでいるのに、ワザワザそんなことを言わなくてもいいのに、つい心配が先に立ってしまうのだろう。

 何をやってもうまくいかない時もあるし、一生懸命にやっているのに全く成果が上がらない時もある。「それはあなたがダメなのよ」と言われてはますます落ち込む以外ない。私たちの井戸掘りもまさにそんな状態である。どんな道具を使っても、どんなに方法を変えても、一向に進まない。いつも冷静な人も「どうして掘れんのかなー」とため息ばかりついている。こうなるとますますみんなの力は分散し、どうにでもなれといった精神状態に陥ってしまう。

 「明日もう一度やってみよう」と言う声に、どうせ無駄なのにと思っているのがありありと見えるけれど、やはりそこが大人だなと思うところだが、「ああ、いい結果が待っているかも知れない」と答える。これで明日の『チューリップを愛でる会』は延期にしなくてはならないが、金曜日と土曜日はバスツアーで信州へ出かけるし、日曜日からは市議選挙になってしまう。困った、どうしようか。大人ならばこういう時はどうするのだろうか、じっくりと考えてみよう。
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「幸運の女神」が微笑んでくれない

2011年04月12日 22時22分59秒 | Weblog
 「幸運の女神」は未だに微笑んでくれない。3月末から、もう延べ日数で7日になるのに、しかも掘った深さは13メートル近いというのに、水は出てこない。濃尾平野にあり、おおよそ4メートルも掘れば水脈に当たるのに、なぜかうまくいかない。道具も新しく揃えたし、掘り方も研究した。それなのに水は出てこない。こんなに長引くと、それぞれの性格が表れてきて、すぐに諦めようとしたり、場所を変えたらどうだろうかと言う人もいる。作った道具と掘り方を試しているのだから、気まぐれに場所を変えたり掘り方を変えたりしても意味がない。とにかく一途に水が出るまで頑張る以外にはないと思う。

 「福島原発と一緒でなかなか進まない」と自嘲するけれど、福島原発はいったい誰がどのように方針を決めているのかわからないが、少なくとも私たちの場合は、みんなが納得して次に進むようにしている。今はまだ、成果は出ていないけれど、福島原発のように先が見えない状態ではないと思う。作業が明日で3日連続になるけれど、やはり平均年齢が70歳を超えるから、気力はあっても体力が続かない。そうなるとどうしても投げやりになり易い。ちょっと目先を変えればよくなるのではと思いたくもなる。そうした気持ちを引き締め、心をひとつにして頑張れるような雰囲気作りが大事になる。

 原発事故で、菅直人首相の在職は延びた。地震と原発事故がなければ、菅内閣は解散に追い込まれていただろう。それなのに菅総理の存在は相変わらず薄い。菅さんは攻撃型の人間なので、野党時代は存在が目立ったけれど、首相としては誠に力不足だ。「菅首相が見えない」と言う声があるけれど、菅さん自身も歯がゆく思っているだろうが、菅さんが発言すればさらに火に油を注ぐような結果を招くことになるだろう。記者からの質問に答える菅さんの言葉は真実味もなければ、当然だけど説得力もない。自分の言葉で、自分の考えで、発言することが出来なくなっている。それくらい菅さんは自身と自信を失っていると思う。

 私たちも自信を失いかけている。だからこそ、気移りせずにやれることは全てやってみる気構えを無くしてはならないと思う。ギブアップはいつでもできるけれど、挑戦できる機会は今しかない。今度の市議選挙に立候補を予定している人が、「こんな時だから自粛した方がいいですか。夜までしゃべってうるさいと思われないですかね」と言う。「あなたの選挙だからあなたのいいようにやればいいですよ。でも私なら、どんなにうるさいと言われようが、自分の思いを語り続けたいですね」。自粛選挙で現職は当選できるが、新人はできない。選挙期間中は政治活動はできないから、街頭で語る以外に手立てはない。

 さて、明日こそは水脈にたどり着きたいものだ。それでないと「チューリップを愛でる会」が出来なくなってしまう。「幸運の女神」が微笑んでくれることを心から願っているが、どうだろうか。
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情報統制のような選挙だった

2011年04月11日 19時22分00秒 | Weblog
 午後5時20分頃、大きな揺れがありしばらく続いた。テレビでは午後5時16分に福島県で震度6弱の地震があったと報じていた。午後からは風が強くなり、せっかく咲いてきたチューリップがかわいそうなくらい大きく揺れていた。すると急に雨が降り出し、家具がカタカタと揺れだした。地震である。3月11日から1ヶ月、またしても大きな地震かと思ってしばらく様子を見ていた。これが前触れなら、次にもっと大きな揺れが来るのだが、幸いなことに収まっていった。福島県の原発、茨城県の東海村の原子力施設に異常はないとテレビは報じている。

 アメリカに親戚がいる友人の話では、「アメリカでは日本中が地震と原発事故で大混乱に陥っていると思っている」。「どこの新聞かハッキリしないけれど、富士山からキノコ雲が出ているものもあった」と言う。情報が溢れている割には発信が不正確なものが多いようだ。これが情報社会のマイナス面かもしれないが、溢れる情報の中から自分で正しい判断ができるようになるためには相当な知識と訓練が要る。そのために、情報を規制した方が早いという考えもあるけれど、情報統制くらい怖いものはない。

 昨日は知事選挙や政令指定都市の市長選挙、県議選挙の投票日だった。東京都知事選挙に象徴されるように、有権者の意識は現状維持へと大きく変わった。地震の影響から政策は防災が前面に押し出されたばかりか、「桜を見て浮かれている場合か」と同じ発想から選挙そのものが自粛の対象にされてしまった。テレビや新聞は地震や原発を大きく取り上げ、選挙の扱いは小さくした。候補者も「被災者の皆さんに配慮して、街宣活動を自粛している」と胸を張る。既成政党の候補者はそれでも当選できるかも知れないが、新人や無党派の候補者にはかなり厳しい選挙になった。

 だから大きな政治変動は生まれなかった。河村市長の減税日本の候補者は名古屋市内では当選したけれど、愛知の会は躍進しなかった。大阪の維新の会も伸びたけれども、大阪市議会では過半数に至らなかった。現状維持は右への傾きも好まなかった。民主党は知事選挙では候補者を立てられなかったし、立てたところも敗北し、県議選挙でも議席を減らした。政権交代への期待が大きかっただけに、民主党政権の不甲斐無さに絶望的な思いを抱いた結果だった。

 選挙で有権者に語りかけが出来なければ、名前の通った人が当選してしまう。有権者に判断できる材料を提供しない選挙は現職に圧倒的に有利だ。テレビや新聞の力は大きい。今回の選挙は違った意味で情報統制でもあった。テレビや新聞に期待はできないのだから、候補者の側からどんどん考えてもらう材料を提供しなくてはならない。うるさいとかくどいとか言われても、それは現状維持の人の考えと割り切ってでも、伝える努力をしなくてはならない。候補者が何を考え、どうしたいのか、これを棚上げにしたなら選挙ではなくなる。金や権力欲に汚れた人物ばかりがまかり通る選挙にしてならない。
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マンション長屋は面白いよ

2011年04月10日 21時18分46秒 | Weblog
 『桜の宴』は夕方に終了したが、飲み足らない人たちが続きを我が家でやると言う。「きっとそうなるよ」と話した時は全く乗り気でなかったカミさんが、その場になると「ええ、どうぞ、どうぞ」と歓迎の笑顔で応えていた。その豹変に驚いたけれど、嬉しかった。我が家なら比較的広いし、誰にも気兼ねすることはない。一番集まり易いところが場を提供するのが自然と思うので、私はみんなが集まってくることが苦にならない。結局、続きは10時半ごろまで続いた。東北に縁のある友人が大声で「ありがとう、ありがとう」と言っていたが、何からそんな話になったのか覚えがない。

 マンションを住まいに選んだのは、プライバシーが守られるとか草取りをしなくていいとか、人にはいろいろな理由がある。展望がよいのも選択肢の1つであったかも知れない。どんな理由があったにしろ、選んだ当初はご近所付き合いが少なくてすむと思っていた人も多かったはずだ。実際にマンションに住んでみると、「音」のトラブルが結構多い。私が自治会長を務めた時も、幻聴に悩まされる人がいて困ったことがあった。トラブルの解決策は日頃のご近所付き合いにある。日頃からお付き合いがあるところでは、少々の「音」は気にならなくなる。

 『桜の宴』の参加者はマンションの住民ばかりでなく、市外からやってくる人までいるけれど、やはり一番多いのはマンションの人たちである。家族ぐるみというか、夫婦だけでなく子や孫までも含めた大所帯での付き合いが続いている。江戸時代の長屋生活のようなもので、調味料を借りたり、ちょっと出かけたからと言ってお土産をいただくこともある。「お酒の肴にと作ったから食べてみて」とダンナが手料理を持ってきてくれることもある。「いいお酒がある」となれば、「上げってキンサイ」とお呼ばれさせてもらうこともある。

 男たちは政治の話が好きで政治家の悪口は大いに言うけれど、ご近所の人の悪口は一度も言ったことがない。女たちもウワサ話を好まないし、人の悪口を話題にしたことは一度もない。いつも大いに話し、大いに笑うけれど、そんなに深刻な話題ではないように思っていた。それでもやはり時期だけに、震災のことはよく話題になっていた。結婚前の男の子がいる家庭が多いからそんな結婚のことも話題になった。夫がアメリカへ単身赴任でいっている若い母親は「結婚なんていいものじゃーないわよ」と言う。現実の生活に追われて、付き合っていた頃つまり恋愛していた頃の方がよかったというのだ。

 でも、「結婚して、一人前になれた」と彼女は結婚のよい面を言う。社会人になってもなかなか一人前と認められないけれど、結婚すると社会は一人前の人間と認めるのである。彼女が恋愛中に悩んでいた時に、通勤電車の帰りに相談されたことを思い出した。小さかった子たちも、今ではもう立派な大人だ。2人の子どもの母親でもある。ご近所の子どもたちは幼い時からよく知っているから、自分の子どものように思ってしまうが、ある意味では親よりも成長ぶりがよくわかるかも知れない。マンション長屋の生活も結構面白いと思う。
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桜と日本人と

2011年04月09日 13時27分05秒 | Weblog
 うーん、まだ雨が降っている。「昼からは晴れるから大丈夫!」と思ってはいるものの、ちょっと心配している。雨の中、午前9時にはバーベキュー道具などを点検し、必要な品々を揃えた。続いて、「お昼からでいいのでは」と言ったけれど、「いや、もう晴れるから」と言うので、ブルーシートや木炭や焼き物器具などを持って、場所取りに出かけた。「まだ誰もいないよ」と思っていたけれど、とんでもない、いつも私たちが行なう場所にはシートが敷かれてあった。同じことを考える人はやはりいるのだ。そこで、その隣にブルーシートを敷いていると、若い男の子がやって来た。「これからここで花見をする予定だけれど、誰も来ないので待っている」と言う。仲間がいてよかった。私たちのグループも30名以上になるというから、みんな集まりたいのだ。

 日本人は桜が好きで、桜の並木が各所にある。昨日も桜のトンネルを案内してもらったが、気持ちが和むというか幸せな気分になる。「ここが天国ですよ」と言われる場所があるならきっと、その入り口は桜並木だろう。早咲きの桜や遅咲きのものなど、桜の種類は多いようだけれど、やはりソメイヨシノが圧巻だと思う。桜の花は下を向いて咲いているから、長女が「威張ることもない、直向さがある」と言っていたけれど、可憐にさえ思えるのだろう。花を咲かせながら、もう花びらが風に舞い上げられていく様は哀れにも思う。梅の花が空に向かっているのとは対照的で、大きく華やかな割にはか細い、それが人々を惹きつけるのだろう。

 はかなさやあわれさに私たち日本人は美を見てきた。4季の変化の中で暮らし、一時も同じではない変化に無常を感じてきた。「この世をば 我が世とぞ思う 望月の」と謳歌したけれど、満月はまた少しずつやせ細っていくのを知っていたのではないだろうか。花は咲き、そして散っていくように、「盛者必衰」と人の世を理解していた。それが明治以後、つまりは資本主義社会となってから大きく強くなることに価値観が置かれ、永遠的なもの堅固なものを創り出せると思ってしまった。それが幻であったと原発事故が教えてくれた。絶対なものなど出来はしない。人は人の限界を知るべきだった。

 おや、空は晴れて太陽が顔を出してきた。そろそろ出かけなくてはならない。例年の『夜桜の宴』を止めて、午後3時からの『桜の宴』に切り替えたのは正解だったかも知れない。でもそうなると、夕方になって終わることはないだろうから、今日はここまでにしておこう。

 追記
    花びらは どこへ流れて 行くのやら
                 五条のさくら ひらひらと散る

    桜はな 誰を思って 行くのやら
                 恋しき人は いずこにいるや
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