津波の被災地はガレキを撤去し、復興へと向かっているという。しかし、リアス式海岸の奥にある街では、仮設住宅を建てられる土地がなくて困っている。学校のような公共の土地があれば、その一角に建てられるけれど、そうした土地の確保が難しいようだ。これまでも海岸沿いのわずかな平地にぎっしりと家屋が建ち並んでいた地域である。その平地に仮設住宅を建てることは再度何かが起これば非難を浴びることになる。少なくとも高台に土地を確保しなければならないのだが、その目途が立たないというのである。
最も深刻なのは原発から30キロ以内に住む人たちである。地震や津波で被害を受けた人たちもいるけれど、地震や津波での被害は皆無に近いのに、原発事故による放射能汚染のため、「自主避難」を期限内に行ないなさいと命令されている。ここでは農業や酪農で生活してきた人が多く、農地は一度汚染されたならば何十年も経ないと元には戻らないという。つまり、使い物にならない土地になってしまったというわけだ。農家が農地を失えば生活はできない。「自主避難」と言いながら強制されるわけだから、土地は放棄しなければならない。
おそらく人類は、地震や津波や火災や洪水に襲われて、せっかく手に入れた農地をあるいは住処を何度も捨ててきたのだろう。工業が起こり、永住できるようになったように思ったけれど、それは一時の夢だった。再び民族大移動のように、住み易い土地を求めて移動しなくてはならない時代がやってきたのかも知れない。凶暴な部族の襲撃から逃れて、あるいは大災害から逃れて、安全な土地へと旅に出るのだ。そうしてしまえばいいじゃーないかと思うけれど、当事者には住み慣れた土地を離れることは死と同じくらい辛いもののようだ。
私は3男だったから、土地や家族への執着は全くなかった。出来れば新しい土地で、全く知らない人たちの中で、暮らしてみたいと思っていた。新世界が自分を待っていると考えていたから、できる限り早く故郷を捨てて出て行きたかった。「自主避難」の勧告を受けた人々が政府の方針を非難していたけれど、確かにその身になれば、これからどうしたらよいのかという不安が怒りになることはわかる。私もきっとそうしていただろうと思う。それでも、固執したところで生きていけないのであれば、新しい土地へ向かって生きる以外ない。
10代前半の若者が脳死となり、その臓器が全国の必要としている患者に移植された。移植協会の人は両親の話として、「子どもの身体の一部がどこかで生きていてくれたらと思って決めた」と発表していた。私は自分の臓器がバラバラになって生きていることは耐えられない。難病の人の生きたいという気持ちを否定するつもりは全くない。けれども私は、限界があることを受け入れたいと思っている。人には運命があると思いたい。自然との闘いの中で多くの富を作り出してきたが、自然を受け入れることも学ぶべきだと思っている。
最も深刻なのは原発から30キロ以内に住む人たちである。地震や津波で被害を受けた人たちもいるけれど、地震や津波での被害は皆無に近いのに、原発事故による放射能汚染のため、「自主避難」を期限内に行ないなさいと命令されている。ここでは農業や酪農で生活してきた人が多く、農地は一度汚染されたならば何十年も経ないと元には戻らないという。つまり、使い物にならない土地になってしまったというわけだ。農家が農地を失えば生活はできない。「自主避難」と言いながら強制されるわけだから、土地は放棄しなければならない。
おそらく人類は、地震や津波や火災や洪水に襲われて、せっかく手に入れた農地をあるいは住処を何度も捨ててきたのだろう。工業が起こり、永住できるようになったように思ったけれど、それは一時の夢だった。再び民族大移動のように、住み易い土地を求めて移動しなくてはならない時代がやってきたのかも知れない。凶暴な部族の襲撃から逃れて、あるいは大災害から逃れて、安全な土地へと旅に出るのだ。そうしてしまえばいいじゃーないかと思うけれど、当事者には住み慣れた土地を離れることは死と同じくらい辛いもののようだ。
私は3男だったから、土地や家族への執着は全くなかった。出来れば新しい土地で、全く知らない人たちの中で、暮らしてみたいと思っていた。新世界が自分を待っていると考えていたから、できる限り早く故郷を捨てて出て行きたかった。「自主避難」の勧告を受けた人々が政府の方針を非難していたけれど、確かにその身になれば、これからどうしたらよいのかという不安が怒りになることはわかる。私もきっとそうしていただろうと思う。それでも、固執したところで生きていけないのであれば、新しい土地へ向かって生きる以外ない。
10代前半の若者が脳死となり、その臓器が全国の必要としている患者に移植された。移植協会の人は両親の話として、「子どもの身体の一部がどこかで生きていてくれたらと思って決めた」と発表していた。私は自分の臓器がバラバラになって生きていることは耐えられない。難病の人の生きたいという気持ちを否定するつもりは全くない。けれども私は、限界があることを受け入れたいと思っている。人には運命があると思いたい。自然との闘いの中で多くの富を作り出してきたが、自然を受け入れることも学ぶべきだと思っている。