友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

だから、平凡でいい

2011年06月19日 22時55分08秒 | Weblog
 「父の日」を子どもたちがお祝いしてくれた。安城のデンパークへ出かけて、2歳になる孫娘のために手作りパン教室を受講した。それから園内を歩いて回った。水辺に映えるアジサイがとてもキレイだった。以前に比べると、樹木が生い茂りいい雰囲気になっている。好きな人と歩いたならまた格別な思いがしたことだろう。そういう恋人同士なのだろうなというカップルもいたけれど、小さな子どもを連れた家族連れもいる。雨は降っていなかったけれど、こういう曇り空の方が気持ちよく歩けた。

 長女のダンナが仕事から帰って来て、途中で合流してステーキハウスで晩御飯となった。長女夫婦と孫娘たちと、たまたま帰って来ていた次女とでの会食である。香港旅行からずうーっと肉を食べていなかったので、私はステーキを注文し、カミさんは「ここはピッチャーでワインが飲めるから」とワインを頼んだ。フランス料理店で飲むようなワインではなかったけれど、中国で飲んだワインよりもはるかに美味しかった。2歳になる孫娘の成長を喜びながら、しかしこの孫娘のわがままに振り回されながら、「父の日」を祝うことが出来た。

 長女のダンナの父親に、長女はお祝いをしているのだろうかと気になる。次女はダンナの父親から「ありがとう」のメールをもらったようだから、何かお祝いをしたと推察される。次女はダンナの両親や私たちにも気を遣ってくれるけれど、肝心のダンナには尽くしているのだろうかと気にかかる。もちろん、尽くすということが奴隷のようになれとは思わないけれど、聞いている限りでは、気遣いしているのにそれが過剰になりすぎてめんどくさく感じるような時がある。あまりにも気遣ってくれるとまるで縛られているように感じてしまうことに気付いて欲しい。

 人間は難しい。かまってもらえなければ冷たいと思い、かまい過ぎればうるさいと感じる。その辺を見極められるようになるには相当な年月が必要なのだろう。子どもたちからすれば、私は扱い難い父親なのだろうけれど、私自身はそんなに難しいことを子どもたちに求めて来たわけではないと思っている。けれども、相反することを同時に認める、あるいは絶対はないと言いながら絶対はないのだと強要する、そうした父親にどのように応えていったらよいのか戸惑うことが多いと思う。

 私は子どもたち、長女や次女やそのダンナたちに、とても感謝している。私のわがままをわがままと思わず、いやそう思っていたのかも知れないが、難しい人なのだから仕方がないと受け入れてくれて、本当に感謝している。とまあー、こんなことを書くと縁起でもないから止めてと言うに違いない。普通の感覚を持った人になってくれて本当によかったと思う。岡本太郎の母、かの子のように、あるいは石川啄木のように、生きたならきっともっと大変な人生を歩むことになったのではないかと思う。

 だから、平凡でいい。凡庸でいいと思う。気遣いすぎてかえって不愉快な思いを抱かせるのは悲しい。普通に笑い、普通に生きていくことが大事なことだと思う。けれどもそれは、その人の運命みたいなもので、後は自分がそれをどのように受け入れ、どのように振舞うかにあるようだ。
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危険な?30代のクラス会

2011年06月18日 18時45分20秒 | Weblog
 今日も雨が降っている。梅雨にふさわしくシトシト降っている。真夏の暑さは耐えられないけれど、雨降りは暑くも無くて過ごし易い。次女は茨城県から戻ってきて、今晩は同窓会だという。中学の同じ学年の親しかった友だちばかりで集まる予定が、少し広がって学年でやろうということになったようだ。8クラスもあったから集まり易いのかも知れないが、電話連絡だけで40人もの同窓生が集まるという。

 そういえば、私の卒業した中学校でも4組合同クラス会というものがあった。私たちの学年も8クラスあり、全部一緒にやるのは無理だからと4クラス毎に開かれたと聞いた。それはいつのことだったのか覚えていないが、次女たちと同じように30代だったのかも知れない。私は故郷を離れていたので案内のハガキだけをもらったけれど、誰がどういう理由で4組合同クラス会を計画したのだろう。

 4組合同だと全く覚えていない人もいて、この企画は何のためなのかと思った。私は初恋の人とはクラスが違っていたから、ひょっとしたら彼女に逢えるかも知れないという期待で参加した。企画した人も、そういう思惑があったのかも知れない。けれども、あまりにも人が多すぎて、彼女も参加していたことはわかったが、言葉を交わすことは一度も無かった。私が在籍したクラスは仲がよくて、この学年の中で一番頻繁にクラス会を開いてきたからこの時も参加者が多く、とても他のクラスへ出かけることは出来なかった。

 私のクラスは、中学を卒業したばかりの4月に第1回のクラス会を行なった。私が故郷に留まっていた頃までは、クラス会の計画も立てたりしていたけれど、離れてからは残っている人たちが中心になって開催してくれた。いつどこで何人参加したという記録を担任が作っていたから、一番乗り気だったのは担任だったかも知れない。いつも参加者は多かったが、1泊2日のクラス会を開いたこともあったけれど、やはり泊りとなると参加者は減った。

 30代のクラス会は危険だとよく言われ、小説や映画にもなる。私たちのクラス会でそうしたドラマがあったのかは知らないが、先回のクラス会では「オレはずっと好きだった」と告白していた男がいた。「還暦を過ぎて、もう過ちがあってもたいしたことない」と馬鹿なことを言い合っていたけれど、歳を重ねるとそんな大胆なことも言えるのかも知れない。このクラスには初恋の人ではないけれど、結婚できたならと憧れた女性はいたが、一度もまともな会話を交わしたことがない。私はその女性を雲の上の人と思い込んで来た。

 次女たちはどんな同窓会になるのだろう。再び恋が芽生えるなんてことはドラマだけの方がいい。憧れと現実は違いすぎるけれど、私たちくらいの歳になると、夢がなくなっていくのは寂しいことだ。「最後の恋」があってもいいはずなのに、欲張り過ぎなのだろうか。
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「地獄絵でした」

2011年06月17日 21時49分49秒 | Weblog
 復興支援のために東北へ行って来たという人に出会った。金曜日に出発して土曜日の朝に到着し、その日はボランティアで働き、翌日の日曜日に戻るという強行スケジュールである。「いや、一緒に行った皆さんは元気で、機会があればまた行きたいと言っていました」と話してくれた。現地へ着くまではごく普通の美しい日本の初夏の風景が続いていたそうだ。ところが海が見え、坂を下るともう「地獄絵でした」と言う。地震から3ヶ月が過ぎたけれど、辺りは全く何も手が付けられないままになっていた。決して放射能汚染のためではなく、何から始めていいのかわからないのだと言う。その悲惨な現状に言葉を失ったそうだ。

 「3ヶ月が経っているのに、あたり一面がまだ瓦礫の山で、呆然としてしまいました」。「朝が早かったので、まだ現地の誰にも会わなかったから写真が撮れました」と何枚もの写真を見せてもらった。ボランティアで現地に入りながら、写真を撮っていたのでは物見遊山と思われるかも知れないから、滅多にカメラを向けることは出来なかったそうだ。写真はテレビで何度も写されているような悲惨な現状を映し出していた。けれども彼は、「写真で見るのと現場に立つのでは全く違います。どこを見ても瓦礫の山です。私は戦争を知りませんが、まるで戦場だと言う人もいました」と語る。

 そんな厳しい現状を見てきたばかりか、そこで後片付けの手伝いをしてきて、「また機会があれば行きたいと何人もが言ってくれました」と言うのはどうしてなのだろう。あまりにも悲惨すぎて、ここで終わってしまうのは後ろ髪を引かれる気持ちなのだろうか。あるいは、ほんのわずかな時間であっても、被災した人々の役に立ててよかったという充実感なのだろうか。若者ばかりか結構な歳の人まで、大勢の人々が復興支援のバスツアーに参加していたそうだ。「まだまだ、日本人は捨てたものではありませんよ。気の毒な人を助けたいという気持ちがたくさんの人の中にありますから」と胸を張る。

 若い学生はもちろんのこと、職が無くてプー太郎をしている人々にもこうした復興支援に参加してもらいたいと思う。東京都や大阪府などは、国歌や国旗への忠誠を強制するよりも、ボランティアへの参加を支援した方がいいと思う。その方がはるかに健全な国民としての一体感が生まれてくるのではないだろうか。そのためなら税金を投入しても誰も反対はしないだろう。いざという時に助け合うことが出来ることは素晴らしいし、頼りにもなるけれど、そうした気持ちになれることが大事なのだと私は思う。

 「福島の原発事故の影響は計り知れません。東京で放射能汚染が広まれば、もう日本もおしまいじゃーないでしょうか」と悲観的なことを言う。地震の後の津波が起こした原発事故がきっかけとなって、放射能汚染が日本中に広がったばかりか、太陽の活動の低下も加わって、地球自体が危機に向かって行くのかも知れない。いずれはそういう時も来るのだろうが、それは地球という星の運命なのだろう。
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甘えることの大切さ

2011年06月16日 22時24分59秒 | Weblog
 空港にはドラマが溢れている。「ねえ、逢いたかった?」「うん、逢いたかった」「どのくらい逢いたかった?」「ウーンといっぱい逢いたかった」。久しぶりの出会いなのだろう。旅行なのか単身赴任なのか不倫なのか恋人同士なのか、女性の少し甘えたおしゃべりと男性の少し戸惑った調子が印象的だった。女性がイタズラっぽい目で男性を見つめるのに、男性は愛しくてたまらないといった目で女性を見つめていたように思う。

 私の中学からの友だちもきっとこんな風に15年もの間、女友だちを見つめていたのではないかと思った。女が甘えてくれるのを拒む男はいない。もしいるとしたなら、女の心が読めない男だ。「何か言うとすぐにケンカになってしまう」と言う女性がいる。「甘えてみたら」と勧めるのだが、「そんなことが通用する相手ではない」と言い切る。ああ、この女性は甘えたことがないなと思った。甘えるような行為は媚を売るというか、自分を蔑むことだとでも思っているのだろう。相手を本当に愛しているなら、別に謙ってもかまわないはずなのに。

 その女性の所に迎えの車が来た。マンションの下に着いたと電話が入る。「あのねえ、着く前に電話をしてくれるんじゃーなかったの?」と言う。迎えに来てくれた人に対してそんな言い方はないと私は思う。たとえ迎えに来る時間が予定よりも早かったとしても、非難するようなことではないはずだ。「ありがとう。ちょっと待っててね」でもいいし、「ありがとう。少し待たせることになるけど、ごめんね」とか、言い方はいくらでもあるはずだ。

 会話は相手が気持ちよく受け止められるようにした方がいい。それは充分わかっていても実際にはなかなか出来ない。次女が大和塾の案内文を封筒に入れる作業を済ませておいてくれた。「ありがとう。助かったよ」と礼を言うべきところを、「やっておいてくれたんだね」と言ってしまった。もちろん「ありがとう」と続けるつもりだったのに、「やっておくと言ったでしょう」と言われて続く言葉が出なかった。

 どういうわけか、娘たちとはうまく会話が出来ないことが多い。つい、お説教調子になってしまう。これではいかんと思うけれど、なぜだか普通の会話になっていかない。大和塾の塾生で、つまり高齢の人ばかりで話していた時、葬儀のことが話題になった。「私の葬儀はこうして欲しいと子どもたちに話してあるけれど、実際は私の希望がかなえられるかどうかはわからない。私は死んでしまってもういないし、葬儀を行なうのは息子だから、彼がいいようにやることになる」。

 そんな話を聞いていて、親子というのは難しい面もあるけれど、さらにそれぞれの立場もあるけれど、でも一番理解してくれているのではないだろうかと思った。表現される形がどうであれ、実際はそんなことはどうでもいいことで、言葉や態度では表せない理解があるような気がする。子どもたちに私の方から甘えることが大事なことかも知れないな、そんな気がするが、まだ素直に出来ないところが「親の気負い」なのだろう。
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トラブルは続いたけれど

2011年06月15日 21時37分20秒 | Weblog
 香港・マカオのツアーに参加したメンバーを眺めていて、気付いたことがる。男性ばかり6人で参加しているグループは、中学校からの同級生のようだ。その次が私たちの4人で、3人姉妹とその婿養子の私と思っていた人がいたようだ。中には姉のことを母親だと思い、親孝行の息子夫婦と勘違いしていた人もいたと聞いた。女ばかり3人で参加していたのは2組で、50代のグループと60代のグループではつながりが違うようだった。50代のグループの方はご近所仲間か趣味仲間というところだろう。60代のグループは元先生の雰囲気があり、「信号は赤、渡ってはダメ」とか「カバンは前で抱えて」と、みんなに指図していた。

 残りはカップルで、ほとんどが定年退職した夫とその妻だった。そのなかで、1組だけ若い男女がいたが、「あのふたりは夫婦じゃないよ」と姉はささやく。どうしてそう思ったかというと、ふたりの姓が違っていたからだ。不倫?いや、夫婦別姓だってあるわけだから、そんな目で見ることはないのにと思うけれど、旅行の初めの頃はみんなが興味深げに見ていた。女性の方は明るく華やかで、誰にでも話しかける開放的な人だった。男性の方は少し歳若で、出来るだけ目立たないように振舞っていた。それからひとりで参加している女性がいた。なかなかキレイな人だったが、「夫婦じゃないよ」と見られている女性と同じ歳くらいだけれど、性格的には真反対で人々の輪の外に居ることが多かった。

 女性だけで参加しているグループは、「旅行の時まで夫の面倒をみさせられるのは嫌。絶対に一緒に旅行はしたくない」という意見が圧倒的だった。そこで、夫婦で参加しているカップルを観察してみると2つのタイプに分かれるように思った。女性リード型と男性主導型である。女性の方が活発で男性は後から付いて行くタイプと、男性が全て決めてしまうけれど女性は不満に思わないタイプである。それで食事の時を見て、なるほどと思った。それは、食卓にいろいろと食べ物が並ぶと、女性リード型は女性が男性の皿におかずを取り、男性主導型はその反対だった。要するに相手を気遣っているからカップルとしてうまくいっているのだろう。

 そんな仲の良さそうな夫婦でもトラブルがあった。朝、ホテルから電車に乗って移動するというので、駅に向かって歩いていたところ、突然男性が「旅行カバンがない」と言い出した。ホテルのロビーに旅行カバンを置いたまま歩いて来てしまったのだ。そこで、夫婦のどちらがカバンを見ていなくてはならないかでちょっとした夫婦喧嘩になってしまった。互いに相手を頼りにしているとそんな行き違いも起こるものだ。6人の男性グループもこの電車での移動の際に、4人が行方不明になった。6人もいるので、誰かが見ていてくれるだろうという思い込みがこうした事故になったのだと思う。

 ホテルへ入るのが午後11時過ぎとか、旅行カバンを持っての移動距離が長いとか、年寄りには無理なほどの起伏の大きな道のりであったりとか、いろんなことがあったけれど、最後には仲間意識も生まれ、気持ちよく旅を終えることが出来た。
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世界一の売り上げ、マカオのカジノ

2011年06月14日 21時08分10秒 | Weblog
 マカオのカジノの売り上げはラスベガスを抜いて世界1である。そう聞いて、どんなカジノなのだろうかとちょっと期待したが、やはりラスベガスの規模には勝てないと思った。私たちが出かけたカジノでは、店の一角にステージがあり、姉に言わせれば「裸のような格好」で、白人の女性たちが踊っていた。私は賭け事をしない。真面目というよりはルールがよくわからないのでやる気が起きないというのが正しいかも知れない。それに賭け事を考えると、負ける人が多くいるから「勝った」と喜ぶ人がいるわけで、そんな人の不幸の上にあるものを喜ぶ気にはなれない。

 マカオのカジノの一番の客は中国人だそうだ。社会主義国の中国人が賭博をするのだから驚く。どういう人がやってくるのかと言えば、不正に儲けた人たちだそうだ。典型的なのは公務員で、便宜を図る代わりに賄賂を求める。下級公務員の不正を見逃す代わりに賄賂を求める。公務員は組織的に便宜と賄賂の交換を行なっている。こうして莫大なお金を蓄えていくのだが、銀行に預ければ不正なお金であることが判ってしまう。そこで、カジノに投資してさらに増やし、海外の土地などを買って資産を作り出すのだそうだ。

 中国は社会主義国家だから、土地の私有は永久ではない、だから海外で資産を持つことに熱中するのだ。それはまた、不正が明るみに出て、国に居られなくなった時の逃げ場所の確保でもあるらしい。どんなに優秀な企業家でも、国の法律を犯すことはできない。けれども、役人にお金を送れば逃げ道はいくらでもあるそうだ。また、役人とグルになれば、たとえば土地を買い占めたりこれを転売したり、資本主義社会と同じことが、いやそれ以上のことが出来るようだ。こうして中国経済は飛躍し続けているけれど、正にバブルでしかないように見える。

 大金持ちになっていくのは高級官僚で、農民は働いても豊かになることはない。農村から街へ出て働くが、すこぶる低賃金でしかない。けれど、低賃金で働く人々がいるから企業は太ることが出来るし、企業が成長すれば公務員も潤う。今のところ、中国社会全体が底上げ状態にあるから、政府への強い反発は起きていないけれど、いつか大きな変化がやってくるに違いない。とりあえず、大金持ちではないけれど今日の飯に困るというほどの貧困ではない、どっち付かずの中間層が大きければ何とかなるようだ。

 中国に来てみて、政治とはこういう中間層を作り出すことなのかも知れないと思った。マカオのカジノにやってくる中国人がまだまだ後を断たないようであれば、中国は腐敗の度合いを深めることになるだろう。役人が不正をするのは仕方がないと思えるのは、自分たちも豊かになっていくと確証があるからだろう。けれども最後に泣かなくてはならないとわかれば、黙っていないのが中国の歴史である。テレビがあり冷蔵庫がありエアコンがあり、いつか大きな車に乗れる、そんな豊かさが目の前に来ていると中間層の人々は感じているのだ。

 ラスベガスのような陽気さのないマカオのカジノ、遊びの世界にありながらちょっと違う空気が漂っていた。
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広州・深セン・香港・マカオへ

2011年06月13日 22時31分19秒 | Weblog
 以前、中国へ行った時も「えっ、これが社会主義国なの?」と思ったけれど、今回、広州・深セン・香港・マカオと回って、社会主義を名乗る政党が支配している国家ではあるが、日本やアメリカと変わらないなと再確認した。人々は働き、売り買いがあり、警察官がいて、電車が走り車が走り、観光地もあれば歓楽街もあり、資本主義の国と社会主義の国はどこがどう違うのか、よくわからなかった。

 広州は大きな都市だ。孫文が臨時政府を樹立した時はここが首都になったと言うのもよくわかる。その夜の繁華街は若者たちで賑わっていた。一番人出が多いと思われる交差点は、人の波でごった返していた。家族連れもいるし、男の子ばかりや女の子ばかりのグループもいる。カップルもたくさん見かけた。日本やアメリカと変わらないくらいにべったりと肌を寄せ合っている。人前ではなかったけれど、朝6時くらいの運河沿いで、愛情の表現は万国共通なのだろうか、抱き合っているカップルもいた。

 流れている音楽もソウルやシンガポールで聞いたものと変わらない。若者たちの服装も全く同じだ。女の子の多くは短パンできれいな素足を誇らしげに見せている。男の子も現代風の格好をしている。酔っているのか、かなりはしゃいでいる子もいる。その交差点で私はギョッとして、しばらく行き交う人々を見ていた。丁度、交差点の信号を渡りきった角の、要するに一番目立つところに老婆がひとり座り込んでいた。しきりに手を伸ばし、身体をゆすって、何かわららない言葉を小さく発している。

 社会主義国の中国にも物乞いがいるのか。交差点を行き交う人たちがどういう反応を示すのだろうと思い、離れて観察した。私が見ている間、5分か7分くらいだろうけれど、その間で老婆の前に置かれた毛糸の帽子にお金を入れたのは若い男の子ひとりだけだった。女の子たちは見向きもしないし、家族連れも子どもは背が低いから老婆に気が付くけれど、大人たちは全く無視して通り過ぎていく。3から4メートルほど離れた通りの真ん中でどこかの店の宣伝のために、マスコットのぬいぐるみが子どもや女の子に囲まれ、写真を撮られていた。

 お金を入れた男の子は学生風の見るからにおとなしげな感じだった。女の子と一緒に来ていたけれど、女の子に一言三言告げて交差点にもどり、ペコンと頭を下げてお金を入れた。老人に育てられたことがあるのだと私は勝手に想像した。それにしても、社会主義の基本は平等ではなかったのかと疑問に不思議に思う。働かなくても働いても、みんなが同じように生活できる。すると人々は働かなくなる。そこで、小平は経済開放を唱え、競争を促した。また、その手本になるようにと、香港の北隣に新しい街を造ったのだそうだ。

 それが深センで、全国から優秀な若者が集められ、企業が生まれていった。確かにこの街は若い人が多く、不思議な活気に溢れている。広州といい深センといい、ソウルやバンコクや東京とどこに違いがあるのだろう。そんなことを考えさせられる旅だった。
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正義感は無くなったのか

2011年06月08日 21時17分32秒 | Weblog
 昨日は木曽川に近い古寺での井戸掘りだった。今日は古井戸には手押しポンプを、新しく掘った井戸には電動ポンプの据え付け工事を行なった。2日間で仕事が完了したのも最近では珍しく、「これを祝って飲もう。計画を立てて欲しい」と長老は言う。給料の出ないNPOだから何とかそれくらいの要望には応えたい。「わかりました」と答えたが、上総掘りの勉強のためにもう一度千葉まで行くとなると、前回のように自己負担でというわけにはいかないなと思った。どうやって活動資金をひねり出そうかと思案していると、お寺の西の通りを小型のパトカーが走っていく。また、しばらくすると今度はバイクの警察官が行く。「よく、警察の車が巡回していますね」と話すと、「この町は高齢者の交通死亡事故が多発したので、これを防止するためのパトロールの強化ですよ」と言う。

 「この町の年寄りが言うには、こんなに見通しがよいから誰だって運転できるらしいよ」。「そこが一番危ないですよ。見通しのよい道だから、スピードも高くなっている。農道の十字路ではどうせそっちが止まるだろうと思って運転しているから、意外に事故は多いんです」。「見通しのよい道でぶつかって、一方の車が田んぼに突っ込んだ事故を見たことがある」。「車だけじゃなく、自転車も怖いね」。「ああ、自転車も結構スピードを出して走っているし、携帯電話を操作しながら走っているのにはビックリしてしまう」。「自転車の側には、車の方が止まってくれるはずという思い込みがある」。「そうそう、年寄りが自転車に乗っていると、急に曲がったり、どうしてこんなところで思うようなところで横断したり、あれはマナーを知らないというより自分勝手になっているのを知らないのだ」。

 そんな年寄りの交通談義を聞きながら作業をしていると、先ほどの道路で機動隊のような格好の警察官が2人、道を行く自動車を見守っている。「あれは何をしているのですか?」と誰かが尋ねた。「シートベルトの着用を点検しているのでしょう」と言う。なるほど、時々停車を命じられる車がある。そうかと思うと、食事に出かけた時、今度は普通の警察官が2人、自転車に乗った若者を捕まえて何やら話していた。「あれは?」と聞くと、「盗難の自転車かと調べているのでしょう」と言う。本当に警察官が多い町だ。「その辺の警察官は小物しか捕まえられへん」と冷笑する人がいる。「じゃあ、大物は誰が捕まえるんです?」と聞いてみる。「大物は誰にも捕まらない。だから大物なんだよ」と言う。それはそうかも知れないけれど、それではこうしてこまめに町を巡回している警察官が気の毒になってしまう。

 昔、『悪い奴ほどよく眠る』という映画があったけれど、どんな映画だったのだろう。本当に大物は自由に何でも出来るのであれば、誰かが正さなければならない。そういう正義感まで無くなってしまったのだろうか。明日から日曜日まで、姉を連れて香港・マカオに出かけるので、ブログは休みます。
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古い政治が震災を契機に復活して来た

2011年06月07日 21時19分01秒 | Weblog
 朝からの井戸掘りは成功だった。木曽川に近いところの古寺から「井戸の水が出ないから」と連絡を受け、古井戸の井戸洗いに出かけた。長い間使われていなかったためか、古井戸はヘドロで埋まっていた。水と空気を注入し、井戸内を撹拌して水を汲み上げる。これを何度も繰り返して行なったところ、真っ黒な水が少しずつキレイになっていった。本堂の奥には池があり、鯉が何匹か泳いでいた。その池の隣に井戸を新しく掘って欲しいと頼まれた。古井戸の方はまだまだ時間がかかりそうだったので、先に新しい井戸を掘ることにした。やはり、木曽川沿いの集落にあった古寺である。すぐに水脈と思われる地層に突き当たった。汲み出してみると水量は多い。

 このところの井戸掘りはうまくいかなかったので、今日はドーンと疲れが吹き飛ぶ結果になり大満足だった。明日、引き続いて井戸洗いを行い、手押しポンプを取り付ける。また、本堂の奥の池の側で新しく掘った井戸に電動ポンプを設置し、配管の工事を行なう予定だ。大震災後、井戸への関心は高まった。私たちも要請に応えなくてはならないと思いながら、胸を張って引き受けることが出来ずにいたが、これで少し希望が持てた。茨城県に住む次女は今度の地震で断水となり、「水には困った」と言う。幸いにも近所の農家に井戸があり、「誰でも自由に使ってください」と言われて、何度もバケツで往復したと聞いた。

 「地震になれば井戸も水が出なくなる」。そういう井戸もあれば地震に遭っても変わらず水が出る井戸もある。地下がどうなっているのか、私たちもわからないけれど、地震で全部の井戸が使えなくなるわけではない。だからこそ、いろんなところに井戸はあった方がいい。学校や公園などの避難場所にあったなら助かるはずだ。保育園や児童館あるいは公共施設に井戸はぜひ欲しいと思う。「飲み水に使えない」と言う人もいるけれど、緊急事態の中で日常的な水が手に入ることの意義は大きい。普通の水であれば、沸騰させれば飲めないことはないけれど、飲料水に使うとなればキチンとした検査を行なう必要がある。

 私たちは大きくやることばかりに目がいっていた。せっかくあった井戸をつぶして、上水道を張り巡らすことを高い生活だと思ってきた。下水道も同じだし、電気やガスなど、またゴミの処理も同じで、どんどん大規模化してきた。これは国の政策でもあったのだが、誰もなぜ大規模でなければならないかと異議を唱えなかった。そうすることが高いレベルの生活を維持することだと信じて疑わなかったのだ。けれど、大規模化はどこかで少し狂えば全体に及ぶ。そしてまた、大規模化という国の政策は、これに群がる人々を大量に作り出した。原発がとても危険で高くつくとわかったとしても、原発で生活している何万何十万の人々がいるのですぐに無くせない。

 今、菅降ろしの大連合が叫ばれている。震災後の復興にかかる費用は何兆円とも何十兆円とも言われている。誰がこれを進めるのかで、太る人もいるしおこぼれに預かれない人も出る。利権を握るための争いが大連合である。自民党や小沢さんは、菅さんをはじめとする新興勢力に利権を握られたくない。古い政治が震災を契機に復活して来ている。
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責任を引き受ける覚悟

2011年06月06日 21時26分22秒 | Weblog
 昨夜、会議があってその場所へ行くとカギがかかっている。担当の人は他に用事があって遅くなるのだろう。私を含めて3人で待っていると、担当の人がやって来て「今日は集会所の方で行なうことになりました」と言って迎えに来てくれた。担当の人は「集まる人数が増えてしまったので、すいませんでした」と恐縮していた。席に着いたがまだ来ない人もいる。「場所がここになったと貼り紙しておいた方がいいですよ」ということになった時、役員さんの中のキャリアウーマンらしき女性が、「場所はここだとお知らせの紙には書いてあるから、いいじゃないですか」と言う。「えっ、どこにそんなことが書いてあるの?」と私たちはビックリして今日のレジメを見た。

 すると、7番目の項目に「今後の予定」があり、第2回(6/5)集会所となっている。彼女はそれを指して、しっかり見てくださいねと言いたげだった。私は少々むっとしたけれど黙っていることにした。私たちは決めたとおりと思い込んでいるから、会場に変更があれば電話で連絡してくれた方がいい。会社であれば1枚の紙で充分なのかも知れないが、無償で会議に出ている人たちに、「ここに書いてあるでしょう」は少々傲慢ではないだろうか。日曜日の夜に会議に出席してくれる人がいて、役員さんの仕事の一部を負担するわけだから、ご苦労様の一言が欲しい。無償で働く人を上手に使うというのは、一体感を演出することなのだ。

 彼女が指摘したその紙は、そもそも日時が間違っていたから読む人を混乱させるものだったが、彼女はそれをどう読んだのだろう。しっかり見ない人が悪いと、他者に原因を求める人を私は好きになれない。まず、自分の方に何か落ち度がないかと思う方がいい。それで自分の方に過失が無かったとしても、お願いしている側なのだという意識を持っていたい。そうしなければ、心意気で働いてはくれないだろう。夏祭りはみんながボランティアで働くが、誰もが軽い労働ですむ仕事を希望する。けれども、焼きソバや焼き鳥など火の側で働く過酷な労働も誰かがやらなくてはならない。みんなの気持ちが一体化してくれば、自ずと引き受ける人やそれを支える人が出てくる。

 ボランティアでなくても、みんなで仕事をする時は一体感がなければ同じことで、手を抜くヤツがいたり、いいとこ取りばかりするヤツもいる。国の重大事件でも、格好ばかり付けたがる人や責任者でありながら「全く考えてもいなかった。おそらく考えた人はいないでしょう」とぬけぬけと言い放つ人もいる。弱い立場に人には怒鳴り散らすくせに、それが公にされると「そんなことは言っていない」と開き直る。切羽詰った時にどう振舞えるかで、その人の人柄がわかる。窮地に立った時に、それでも自分以外の人をも思い入れた言葉が使え行動できるかであると思う。自分が責任を引き受ける覚悟のある人が少なくなったのは、国の最高の機関である国会に倣っているのだろうか。
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