友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

女の子たちはキレイになっていた

2013年10月07日 17時40分18秒 | Weblog

 「高知の藁焼きかつおたたきが届いたから、一緒に食べませんか」と電話があり、我が家もいただいた対馬の焼酎を持って出かけた。美味しいものを何の遠慮もなくおしゃべりしながら食べるのは幸せな時間である。先回のワインの試飲では、久し振りの宴だったことも手伝って、つい飲みすぎてしまったが、気のいい仲間と酒を酌み交わすのは本当に楽しい。

 昨日は、井戸掘りに出かけていてクタクタだった。長い日数をかけてやっと水が出たのに、余り考慮もせずに喜んで埋めてしまったために、もう一度掘り直さなくてはならない初日。昨日の一日では水の出た位置まで掘り下げることが出来なくて、皆やや疲れ気味だった。そこへ誘いの電話である。出かけていって、話しているうちに、少し元気になれた。

 一昨日、私が高校の教師だった時の生徒たちがウン十年ぶりに開いたクラス会に出席した。会場に着いてみると私と変わらないくらいのオジサン、オバサンである。向こうも、誰だ?って顔で見ている。でもすぐに気付いてくれて、「ああ、先生!」と声をかけてくれた。話しているうちに誰だったか、家庭環境や訪問した家の雰囲気までも思い出した。

 教師になって4年目に1年の、そして6年目に3年の担任となった。というよりも3年間一緒に歩いてきた。就職先についても本人の希望を優先させたので、先輩の先生から「学校の名誉を大事に」と注意された。だから合格できるように全力でバックアップした。いろんな意味で思い出に残るクラスだった。写真はいただいたラン。メッセージカードに「お元気で長生きしてください」とあった。

 男の子たちが言う。「先生、ウチらのクラスの女子ってこんなにキレイだった?」。確かに出席した女の子たちは年齢の割には若くスリムだった。毎年とはいかなくても、出来るだけクラス会は開いてくれと幹事にお願いした。この日に出席できなかった子もまたいつか参加できる、その機会を作っておいて欲しい。

 2次会は男ばかりになってしまったけれど、ウツになった話やその克服の方法など、本音の話が出て面白かった。クラス会で、彼らが制作したアニメ『ハチのむさし』を上映したが、40年も前の作品にしては良く出来ている。コンクールに出せば賞を得ていたことだろう。私の努力が足りなかったと悔しい思いが湧いてきた。

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伝統校の伝統行事に驚いた

2013年10月05日 15時13分30秒 | Weblog

 雨降りの天気予報だったけれど、曇り空ながら明るくなっている。昭和49年卒業の子どもたち、そういっても57歳のおじさんとおばさんたちだが、「クラス会を行なうので来て欲しい」と連絡をもらった。今日は、彼らの高校の体育祭で、その体育祭を見てから会場へ集まろうという計画のようだ。高校は伝統校で、バンカラを売りにしていた。私は教師になってしばらくした時、突如校舎の屋上から応援団の叫び声を聞いてビックリした。

 屋上へ出てみると、3年生が1・2年生を整列させてしごいていた。声の小さな生徒には愛のムチが飛ぶ。まるで軍隊の練習のようで嫌だった。生徒の中には、この習慣を変えようとする者もいたけれど、3年生になる頃には伝統に酔いしれるようになっていた。お昼時間を使ってたっぷりと行なわれる応援練習のため、昼食が食べられなくて早弁をする者や午後の授業中に食べている者もいた。伝統校の大切な伝統行事ということで、応援練習は生徒たちの自主性に任せられていた。

 今日、クラス会を開く生徒たちは入学した当初から流行の長髪で、とてもバンカラスタイルではなかったけれど、卒業して40年経ても、体育祭を見てからのクラス会をするのは、やはり体育祭は特別な思いがあるのだろう。運動場に各教科がマスコットの人形を建てて競うことも大きな思い出になっている。私はまだ若い教師だったので、生徒に混じってマスコット作りを手伝ったり、体育祭では教科対抗の教師のリレーを走ったり、生徒と一緒に楽しんでいた。

 体育祭が終わると、彼らは「打ち上げ」と称してどこかでたむろしていたようだ。生活指導部に見つからないようにやって欲しいと願っていたが、私の教科の生徒ではないけれど、お好み焼き屋で酒を飲んでいたことで生徒指導部から処分を受けた生徒もいた。先生の方もかなり大目に見る人が多かったように思う。飲酒や喫煙は一時的な行為で、目に余る時はきつく罰せられたけれど、知らない振りをされているケースもあった。さて、もう行かなくてはならない。クラス会のことは明日のブログとしよう。

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教育の独立性・独自性

2013年10月04日 18時40分09秒 | Weblog

 いくら長い会議でも90分以内で終わらせて欲しい。2時間、3時間とかかるような会議は時間の無駄遣いで結局何も実らない。時間を充分かけることと、中身の濃い議論とは違うと思う。いつだったか、教育委員会を傍聴したことがあったけれど、わが町だからなのかも知れないが、議論は何もなく多くが伝達事項だった。教育委員は5人いるけれど、委員長が司会役を務め、行政の担当者が報告し、ほとんど全ての発言を教育長が行い、他の3人からの発言はなかった。

 今、いろんな意味で教育委員会のあり方が問題視されている。大阪市の橋下市長の意向を受けた大阪市教育委員会のように、「君が代」を歌っているか、口の開け方までチェックするように各学校長に通達しているところまである。一部の市民や議員の主張を受けて、学校図書室に置かれていた漫画『はだしのゲン』を、子どもたちの目に見えないところに置くように学校長にお願いした教育長がいたり、教育長が決まらない自治体があったりしている。

 私の中学・高校からの友だちの女性は教育委員を務めたが、「委員長になるまでは何も出来なかった」と言っていた。教育の根本は国が定めるけれど、各自治体の教育行政は、建前としては首長からも独立している。自治体によって「あいさつ運動」に力を入れているところや、スポーツに力を入れていたり、読書に力を入れているところがある。国の方針に逆らわなければ、自治体独自の取り組みはむしろ奨励されている。教育の独自性は、自治体や学校間でもあっていいと私は思うけれど、そうなると現場の先生方の負担はさらに大きくなってしまうのが心配だ。

 9月25日に愛知県一宮市の名古屋地裁一宮支部で、一宮市立中学校で同級生からイジメを受けたことを認める判決があった。6年間に及ぶ裁判をやり抜いた原告女性の気持ちを思うとやりきれなくなる。奇妙に思ったのは、判決に対する一宮市教育委員会の記者会見だった。教育長や教育委員会の委員長が出席せずに、顧問弁護士と学校教育課長が意見を述べていた。顧問弁護士はともかく、6年前の教育行政の責任者でもない課長がなぜなのかと不思議だった。

 教育の独立性・独自性を大事にするなら、教育委員会が責任を持って記者会見すべきだろう。形式ばかりの教育委員会になっていることの表れだと思う。

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W浅野のドラマと山崎豊子さん

2013年10月03日 19時07分11秒 | Weblog

 最近は観たくなるようなドラマに会えない。そう思っていたら、火曜日の午後9時から、フジテレビでW浅野のドラマが面白そうだと聞いた。火曜の夜、『抱きしめたい!Forever』を見てみたけれど途中で眠くなって寝てしまった。浅野さんたちの歳は知らないが、ドラマの設定は54歳で、片方は独身のスタイリストで何人かの部下を持つ企業家である。もう片方は結婚していて、7つ上の中華料理店を経営している夫がいる。その夫に隠し子がいたことからドラマが展開していく。

 もう終わってしまったが、同じフジテレビで月曜日の午後9時から、山下智久さん主演のドラマ『サマーヌード』が話題だった。たまたま、友だちの選挙の応援に出かけた時、ビジネスホテルに泊まることになって、何もすることがないのでテレビを見たらやっていたドラマだった。男3人、女3人の若い男女の恋物語だった。カミさんは「よくこんなくだらないドラマを見るわね」と関心を示さなかったが、微妙にずれていく男と女の心の変化が面白かった。

 『抱きしめたい!Forever』の方は、W浅野のコミカルな掛け合いが売りのようで、全体に騒がしくしっくり来るものがなかった。50代の女性の恋愛を描こうとするとシリアスなものよりもコミカルなものの方が無難なのかも知れない。おそらく来週は見ないだろう。人生が平坦なものでないことは、誰もが自らを振り返ってそう思う。ドラマを見るのは、自分とは違う世界だからか、逆に自分に近い世界だからだろう。

 作家の山崎豊子さんが亡くなった。『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』など、社会のドス黒い部分に鋭いメスを入れた社会派小説と言われているけれど、なぜか私は1つも読んだことがないし、ドラマ化されたものも見ていない。友だちが「これは絶対面白いよ」と貸してくれた『沈まぬ太陽』をDVDで見ただけだ。山崎さんは毎日新聞大阪本社の学芸部記者だった。新聞記者は「10を聞き、1を書け」と言われる。山崎さんは「40を聞き、1を書く」と言っていたそうだ。

 徹底した取材から大きなスケールの小説が生まれたことは明白だ。新聞記者もテレビの記者も、一番大事なのは取材だろう。取材力を高めるのは記者のアンテナだろうが、本当は記者の素材というか関心の深さだろう。吸収する力が無ければ取材はただの聞き取りになってしまう。

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神様に祈ること

2013年10月02日 18時58分21秒 | Weblog

 今日の新聞は各紙とも、安倍首相が「消費税を法の定めるとおり、来年4月から8%に引き上げる」と発表した記者会見を報じていた。私がヘンと思ったのは、読売新聞のコラム『編集手帳』だった。「米国の大統領がお祈りした。『神様、中東紛争を解決してください』。神様が答えた。『よろしい。でも、お前の任期中は無理だよ』。韓国の大統領がお祈りをした。『神様、北朝鮮との問題を解決してください』。神様が答えた。『よろしい。でも、お前の任期中は無理だよ』。日本の首相がお祈りした。『神様、財政赤字を解消してください』。神様が答えた。『よろしい。でも、私の任期中は無理だよ‥』(ジョーク集より)」

 神様は、米韓の大統領の任期中は無理だが、解決しようと答えたのに、日本の首相には神様の任期中は無理だと答えている。それほど、日本の財政赤字の解消は難問だというのだろうか。コラムは国の借金が1千兆円を超えているから、子や孫を国家衰亡に向かって走る“火の車”号に乗せないためには、(消費税の引き上げは)避けて通れないと、増税を認めている。そして最後に、戦後の焼け野原で復興が出来るだろうかと不安に思っていた日本人に、経済安定策を勧告したアメリカ人の言葉を引用する。<不可能とは、少し余計に時間がかかることに過ぎない>

 コラムの結びは、「神様の代替わりを待ってはいられない」、時間が余計にかかっても財政赤字を解消しなくてはならないということだ。ヘソ曲がりな私は、中東紛争も北朝鮮問題も財政赤字もみな、人間が創り出してきたものだから人間が解決しなくてどうするのか、と思ってしまう。少し時間がかかるけれど、解決することは不可能ではないだろう。世の中には、人間の努力では何ともしがたいものがたくさんなる。何の落ち度もない家庭なのに、父親の会社は倒産し、息子は大学を卒業しても就職先がなく心の病になったり、娘が難病で母親はガンという。

 どうしてこんなに不幸なのかと誰でも思うだろう。これこそ神様に祈るしかない。人間の努力ではどうにもならないことは神様に祈ればいい。けれど、人間が自ら創り出したことを神様にお願いするのは筋違いである。消費税の引き上げは当然のように受け止められているけれど、どういう社会、どういう国家、どういう世界を創っていくのか、政治や税の仕組みをもっと考えなくてはならない時期だと思う。

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議論の出発点

2013年10月01日 18時13分15秒 | Weblog

 今日から10月に入る。私の部屋の真西に見えていた夕日は、かなり南から鈴鹿の山に入っていく。人の世も移ろいやすいけれど、太陽のように正確に何かを刻んでいるのだろうか。大阪市長の橋下さんの「慰安婦問題」の発言以来、この言葉を聞かなかったけれど、先日、ある講演会で「慰安婦問題なんて、韓国の言いがかりだ」という発言があった。また、この人は「軍部の暴走を抑えられるのは東條しかいないと天皇が指名された。しかし、抑えられなかった。天皇の戦争責任を言う人がいるが、おかしなことだ。戦争は国民が煽ったのだ」とも語った。

 さらに、「ポツダム宣言も現憲法も、アメリカによる押し付けだ」と私見を述べた。私はふっと、何十年も前のことを思い出した。私が高校生か中学生の頃のことだ。確か同級生の中に、「現憲法はアメリカによって押し付けられたものだ」と、いや、「憲法は占領軍に押し付けられたものだ」と言っていた人がいた。その時の私は、戦争に負けたことがよほど悔しいのだろう、お父さんは戦死だったのかも知れない、そんな風に受け止めていた。父親や親族を戦争で亡くしたという子はいたから。

 それでも私は、憲法はアメリカの独立宣言、フランス革命の人権宣言の精神を受け継ぐ画期的な憲法と思った。たとえ押し付けられたものでも、憲法のどこが悪いのかと、多分高校生の時なら論戦を挑んでいたと思う。この頃は押し付けられたという言葉は耳にしただけで嫌悪していた。「生徒手帳は学校の憲法だから守れ」と先生たちは言う。「誰がどこで決めたのですか。生徒が決めたものでもないのに、なぜ守らなければいけないのですか」と先生に食って掛かっていた。だから、押し付けられたという言葉には条件反射のように反対だったが、憲法を読んだ時は、これは人類が求めてきた理想に近いと思った。

 橋下さんも先の講師も、戦争には慰安婦は付きものだと言いたいようだ。問題なのは慰安婦をなくした方がよいと考えるのか、存続させればよいと思っているのか、である。人権という観点で見れば無くすべきであろう。そもそも戦争を絶対悪と捉えるのか、正義の戦いもあると考えるのか、この辺りが議論の出発点なのかも知れない。

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