友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

あれっ、寒気がする

2013年11月20日 18時11分00秒 | Weblog

 あれっ、何だか寒気がする。このところ毎日ルーフバルコニーで鉢の土の入れ替えをしていたが、風があって寒かった。今朝、マンションのエレベーターで80代の顔見知りの男性に会った。マスクをして、マフラーをグルグル巻きにしている。「あれっ、風邪ですか?」と声をかけると、「もう歳だね。お迎えが近いよ」と言う。いつも自転車に颯爽と跨り、市の図書館へ通われているのに、今朝は妙に元気がない。「そんなことはないでしょう」と私が茶化すと、「いや、あと3年がいいところだ」と言う。3年間は生きたいと思っているようだ。

 私が代表をしていた頃、「無党派市民派」の勉強会に参加したいと連絡してきた人がいて、一度だけ会ったけれど、結論から言えば参加しなかった。その人から先日、何年ぶりかで電話があった。悩みを聞いて欲しいと言う。そんな昔懐かしい人から会いたいと言われるのは嬉しいけれど、今の自分にどんなアドバイスが出来るのだろう。京都の丹後半島の町で、自然食品を扱っている人もいたけれど、今はどうしているのだろう。「とても景色のいいところだから一度遊びに来て!」と言われていたのに果たさずにいるのが気になる。

 みんないい人だけれども、いい人だから首長や議員になれるわけではない。選挙で勝つためには当選するための票がいる。票を集めるには、主張とともに仲間が要る。いい人は意外に仲間作りができない。自分のために負担をかけてしまうことに躊躇するからだ。「こういう町を作りたい。こういう制度を作りたい」。そのために自分を働かせて欲しいと願うけれど、自分のためにタダ働きさせるように思えてならないのだ。日本人の感覚では、自分たちの主義主張から仲間を首長や議員にしようとするのは無理なのだろうか。

 首長や議員の選挙では大勢の人たちが応援してくれる。けれども、初対面なのに「応援するから当選したら助役にしてくれ」とか「息子を職員に採用して欲しい」とか、個人的な利益を求める人もいれば、「地域に公園を造って欲しい」とか「道路や側溝の補修を優先させてくれ」と地域エゴを求める人たちもいる。80代の人たちが青春時代だった頃に比べれば、随分時代は変わったはずだ。ゆっくりと少しずつ人の意識も変わっていくのだろうか。あれっ、ハナ紙が山になった。寒い!

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15歳の時から変わらないもの

2013年11月19日 22時37分56秒 | Weblog

 なかなか人間は変わらないものだ。私が15歳の時に書いた修学旅行記も、21歳の時に書いた詩も、ここに書いているブログの文も、基本的には変わらないように思う。もちろん、年取った分だけ語彙や技法は15歳の時とは違うと思うけれど、いやそれくらいの進歩がなければ生きてきた意味もない。

 「まだ、朝のすがすがしい臭いの残るプラットホームを僕達の汽車は音もなく滑るように動き出した。プラットホームには父兄の方々が、僕達が無事に帰って来ることを祈りながら見送ってくれていた。そこから僕達の修学旅行は始まった。汽車がプラットホームを離れる頃、僕達の心にはどこからか、肉親や郷土に対する愛着の気持ちが湧き起こり、力いっぱいプラットホームにいる人たちに手を振った。そして何か満たされない気持ちで自分達の席に座り、移り変わる窓の景色を深い溜息のうちに見入るのだった」(1959年5月22日 『青い実の紀行文』の出だし)。

 400字詰め原稿用紙で32枚あるが、紀行文でありながらそうでない部分も随所にある。「『予定時間よりも遅れているから早く乗れ』と先生方から言われていたのに、僕達の乗るバスに行ってみると、前の方に座る奴らが入り口のところでワイワイ言い合っているだけで、乗ろうとしないではないか。こんなことでは僕達のバスが一番遅れてしまう。残り少ない時間が余計になくなってはと、僕は『そんなところでワイワイ言っていたって始らない。さあー、さあー、座るところは分かっているんだから、乗れ乗れ』と言って乗った。(するとその子たちが)騒ぎ出したので説明しようと思ったが、こんな根性の者どもに言っても分かるはずもないと納まらない気持ちをぐっと我慢した。僕はよくこういう意見の人と言い合うことがある。僕の考えはいつも間違っているのか賛成者は少ない。自分としては悲しいことである」。

 どうもこの頃から一人合点なところがあるようだ。先日も、医者を生んだ家庭の話をカミさんとしていた時、「医者にするにはお金が必要なのよ」とカミさんが言うので、「いや、それだけの素質というか、学力がなければダメだろう」と私は言う。「素質があってもお金がなければなれないのよ」と蒸し返すので、「いや、まずは学力だろう」と言い返すことになった。カミさんは、学力は当然のことで、しかし注ぎこむお金がなければ医者になれないと言っているのだ。素直に「そうだね」と言えばいいのに、どうしても「でもね」と口に出てしまう。困ったものだ。

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『雨のち晴レルヤ』

2013年11月18日 18時14分42秒 | Weblog

 長女のダンナのお父さんが、ご自分が作った野菜やユズなどをリックに詰めて持って来てくれた。カミさんは「丁度よい機会だからと、一杯やりましょう」と言い、友だちふたりにも声をかけて、昨夜は我が家で宴会になった。友だちふたりも1坪農園で野菜作りをしている。お父さんも友だちも、自分が食べるというよりもみんなに分けてあげたい気持ちが強いので、おおいに意気投合して盛り上がっていた。

 料理についてもどういう食べ方が美味いだの、酒に合うだの、日本酒を飲みながら野菜作りや料理方法、肴の1品を巡って自己主張が飛び交った。友だちの絆、親族の絆、年を取って再び深まることに我ながら驚く。子どもの頃は、父親の妹たちが家に集まり、盆正月の行事などがあって、従兄弟たちと遊ぶ機会も多かったし、また母親の在所に行けば、そこでも従兄弟たちが遊んでくれた。そんな経験が正月の集まりと盆の墓参りを継続させているのかも知れない。

 家族の絆といえば、NHKの朝の連続ドラマが『あまちゃん』から『ごちそうさん』に変わった。初めのうちは『あまちゃん』の印象が強すぎて、『ごちそうさん』がつまらなく思えた。それでも半ば習慣になっているからドラマは見続けているが、主題歌がいいなと思っている。歌っているのはユズで、歌詞はドラマにピッタリ合っている。

 歌詞はユズの北川悠仁さんが書いた。題名は『雨のち晴レルヤ』。出だしがいい。「突然 偶然 それとも必然 始まりは気づかぬうちに 予報通りにいかない模様 そんな時こそ 微笑みを ポツリポツリと町の色 変わってゆけば 傘はなくとも雨空に唄うよ どんな君でもアイシテル 顔を上げてごらん光が照らす 涙の河も海へと帰る 誰の心も雨のち晴レルヤ 雨のち晴レルヤ雨のち晴レルヤ」。ジッワと来るのは私だけかな。

 晴れ着とか晴れ晴れしいという言葉があるように、晴れには喜ばしい意味がある。だからきっと晴レルヤはハレルヤなのだろう。キリスト教で神を褒め称える言葉である。出だしの「突然 偶然 必然」もよく使う。出会いはいつも突然あるいは偶然やって来る。けれどもそれは必然でしかない。愛に突然も偶然もない。それを受け止めて育めばもう必然以外の何ものでもない。「どんな君でもアイシテイル」という訳である。

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『麦の歌』No3の私の詩

2013年11月17日 16時24分45秒 | Weblog

 10月のある日に

 

時間がまたたくまに流れてしまいました。

いくつかのことが、ぼくのまわりに起り

いくつかのことが、ぼくのなかに起り

そして流れてしまいました。

けれどもぼくは、相変わらずです。

 

強く

勇士のように生きられたらと思うことは

すでに尻込みだと知っていながら

『とほうにくれて、生きるより仕方なかった』とは

なんと、みじめなことです。

 

ぼくは自分をつくっているのだろうか。

 

ぼくは、どっかりと

すべてをおおいつくすほどになりたいと思っていたのに

生きることにも

愛することにも

なぜ、弱々しい。

あるいは弱々しくふるまう。

またあるいは、ふるまっていると思い込もうとする。

 

(略)

 

何かのドラマが、一瞬のうちに始って終れば

人は生きてよかったと思うだろうか。

生きてよかったと‥‥。

戦争‥‥。

 

古いものは、すたれてしまえばよい。

古いものは、すべて‥‥。

未来も、いつのまにか古くなり

そしてすたれる。

時間の経過だけが、たしかな真実をかたちづくる。

だからぼくは、今を精一杯いきたい。

 

1966・10  『麦の歌』No3より

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『源氏物語』が描いたもの

2013年11月16日 19時01分56秒 | Weblog

 名演は文学座による『殿様と私』で、題名からも分かるように映画『王様と私』をもじっている。作者のマキノノゾミさんはニューヨークで映画を見て、英語を話せることがそんなにエライのかと思い、その時の仇討ちのつもりで物語を日本に置き換えて書き上げたとある。シリアスな作品が好きな私は、ただ滑稽なだけでいったい何が言いたいのかと思ってしまった。場面展開も演技も何度も笑わせてくれるセリフも面白く出来た作品であるけれど、心に響くものは何もなかった。

 今日は、大和塾の市民講座『千年を生きる女―紫式部のメッセージを読み解く―』だった。講師は多治見市の「劇場版日本一受けたい文学講座」で人気の勝典子さん。恥ずかしいけれど、私は高校の時、古典が分からなくて嫌いだった。全然面白くなかった。文章がさっぱり読めないし、分かろうともしなかった。『源氏物語』の中身も知らずに、光源氏の恋愛遍歴を綴ったものと決め付けていた。

 勝先生は、光源氏のように見初めた女を最後まで守る稀な人を描くことで救いを添えているが、身分を越えた恋愛は破綻するという物語だと言う。身分制度の厳しさ、そんな中で暮らす宮中の人々の人間性、その美しくそして哀れな姿を的確に描いている。だからこそ、近代小説を超えるメッセージ性があると解説する。情景の描写も人物の描写も写実的なリアリズム文学であると。

 今朝の朝日新聞のbe版に、「あなたが生きたい時代は?」という特集記事があった。第1は遠い未来で、第2が高度経済成長期、続いて安定成長期だった。第7位に平安時代があり、多くの女性が光源氏との恋愛を熱望していた。しかし、平安時代は最も身分が細かく分かれていて、30階級あったという。しかも下の者が上にあがっていく機会はほとんどなかった。権力はそうすることで維持されてきた。恋愛などおそらく出来なかっただろう。

 紫式部は中流貴族の出身、中流から上流を見たフィクションが『源氏物語』というわけである。紫式部のメッセージは華やかな貴族社会というよりも身分社会の厳しさを描いており、人の本質に迫っている。勝先生が「人の優れた点は柔軟性と想像力」と言われたが、置かれた環境や地位や文化で人は変わる。決め付けずに自分が思う道をいくしかないのだ。現在はいつもその結果でしかない。

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『麦の歌』No3が見つかった

2013年11月15日 17時44分38秒 | Weblog

 今、風はなく陽が注ぎ、暖かくなってきた。午前中は雨が降っていたので、家の中で片づけをした。もう使わないものは捨て、少しでも減らしておきたい、そう思って整理をしていると思いがけないものが見つかった。父が整理していたアルバムで、1つは父の教員時代の記念写真を貼ったもの、もう1つは母の教員時代の記念写真と、家で裁縫学校を開いていた時の生徒さんたちとの写真だ。よく見ると、初めの頃は年代順に整理していたのに途中から適当に貼っている。

 父がこのアルバムを整理していたのは、母が死んで間もなくというよりも、父が死ぬ直前だったように思う。今、アルバムを見ても誰だか分からない人ばかりである。父は何のためにアルバムを作ろうとしたのだろう。そして、金属製のあられの箱を開けてみると、手作りで製本した『青い実の紀行文』と題した中学の修学旅行の作文、それに中学のクラス誌『麦の歌』No3が入っていた。表紙の絵はあの子のもので、今見ても斬新だ。中学3年の担任がガリバン刷りで作ってくれたものだ。発行年月日は昭和42年1月25日である。

 私は21歳、大学を卒業するための絵を描いていた。12月までは東京にいて美術の教科書を制作している会社で働いていた。帰る場所がなかったので、姉のところで居候をしていた。大学4年は東京で暮らしていたが、学科試験のためと教員採用試験のために2度帰った。卒業制作は砂漠のような大地と青い空、そこに何を置くかで迷ったが、いずれの絵にも蝶を描いた。卒論は「シュールリアリズム試論」で、卒業制作も写実的なシュールだった。あの作品は誰かが持って行った。

 卒業は慌しかったし、就職も落ち着かなかった。作品を保管する場所がなかった。3年の時にやっていた絵画教室は仲の良かった友だちに譲っていたが、この時は教室にも顔を出していた。教員試験を受けた人たちは皆、次々と赴任先が決まっていったのに私には連絡が来なかった。やはり不採用か、そう諦めかけていた3月末、工業高校に行くようにとの連絡が来た。まだ半信半疑で工業高校の校長に、「それで私はどちらの学校に行くのでしょうか?」と聞いてしまった。

 『麦の歌』No3の復刻版を作れないかと思う。考えてみよう、それでやるべきことが出来、元気が湧いてくるならもっといい。『麦の歌』No1とNo2は誰か持っていないか。それから、昨日は名演があり、ブログを休みました。

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法務局へ行ってきた

2013年11月13日 18時00分08秒 | Weblog

 写真では分かりづらいけれど、西の空は寒々としている。朝晩は身を切るような寒さになった。法務局にNPO役員の変更届を持っていった。受付でその旨を伝えると、「相談窓口で書類に不備がないかおたずねください」と言う。それはありがたいことだと思って相談室に行くと、かなり混んでいた。順番が来て中に入る。若い女性だった。私の下の娘よりもちょっと若いのかなと思われる年齢だ。

 持ってきた書類を出して見てもらう。「法律の改正に伴う書類の提出はしていますか?」と彼女は困ったように聞く。法務局に電話した時、「ホームページは見ましたかと聞かれ、見ていないと答えると、見てから分からない点をたずねてくださいと言われました。ホームページは見たけれど、分からない。分かった範囲で持って来ました」と答える。その女性はもっと困った表情になり、紙になにやら年度の数字を書き込み、「ご自分で書類を出されますか?」と聞く。

 分からないので、「はぁ?」と尋ねると、「少なくとも4・5回足を運んでいただくことになります。それですめばいいのですが」と気の毒がる。書類は自分で出すものだと思っていた。色の白い女性で、彼女の指はもうあかぎれで、痛々しかった。高校の1年後輩に、彼女と同じように白い手があかぎれで血が出ていた女の子がいた。あの時見た手と同じだなあと思った。食器洗いで手が痛むだろう、そんなことを思った。

 「分かりました。司法書士に任せた方がいいですね」と答えると、表情が少し柔らかくなった。彼女が一生懸命でしてくれた説明事態が分からない。分からないというよりも、国が法律を変更したのなら、なぜ個々のNPOにそれを伝えないのか、いやきっと何がしかの手紙が来ていたのだろうけれど、それを読み解けなかった私の理解力に腹が立った。専門家に任せる方が賢明と思った。

 それにしても、今日の法務局の受付嬢も、相談窓口の女性も、この後で行った愛知NPOプラザの女性も、みんな優しい人でよかった。いつか行った時は、こんなことも分からないのかと馬鹿にされ、注意を受け、やり直しを命じられた。高飛車な役人には腹が立つが、今日の女性たちのようにこちらの身になって心配してくれるのは嬉しい。NPO法人もA級、B級、C級くらいに分けて、私たちのような素人でもやっていけるような制度にして欲しい。

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天使が私の名を呼んだ

2013年11月12日 18時16分02秒 | Weblog

 風が肌を差すように冷たい。とうとう冬の風になった。寒さで身体が堅くなる。指先の感覚がなくなってくる。それでも、もう少し、もう少しと思いながら鉢の土の入れ替えをする。そんな時、天から私の名を呼ぶ声がした。見上げると2つ上のバルコニーから、友だちの娘さんが「今日、退院したの。先程までサルビアの赤が見えていたのにと思って」と言う。「よかったね。でお、寒いから部屋に戻った方がいいよ」。私は寒風に身体が冷えないかと心配になる。

 友だちの娘さんは、私の次女よりも年下で、子どもの頃から知っている。春の『夜桜の宴』、夏祭りの『屋台』、秋の『バス旅行』の他、何かにつけて私たち年寄りは彼女に頼る。気さくに何でもやってくれるし、気が利いていて手際がいい。私たち年寄りのマドンナだが、それを言ってしまうとカミさん連中から総スカンを喰らいそうなので、みんな男たちは黙っている。そんな彼女が緊急入院した時は驚いた。

 元々色白で貧血気味だったけれど、血栓が出来て肺か心臓に回りそうだったという。貧血のために飲んでいた薬のせいではないかと年寄りたちは、彼女が通っていた病院に不信感を持った。いずれにしても、血栓は溶けて緊急事態は越したという。若い人が亡くなるようなことが起きては寂しい。世の中、どんどん年寄りが増えているというのに、これから楽しいことがいくらでもある若い人はもっともっと長生きして欲しい。

 世界のニュースを見ても、新聞に評論などを書いている人を見ても、いつの間にか私たちよりも若い人が活躍している。私たちの子ども世代の人たちが社会の中心に出てきている。夭折の画家がいたように、音楽家でも詩人でも、ひらめきは若い人の特権だろう。年寄りのよいところは経験が豊富という点だが、固執する悪いクセを引きずっている。頑固で包容力に欠けるのも年寄りの特長だ。

 18歳の時にランボーの言葉、「詩人たらんとする者は、あらゆる種類の恋愛を、苦悩を、狂気を、彼みずからの内に一切の毒を味わいつくして、その精華のみを保有しなければならない」に出会って、「悪魔」となることに歓喜したことが嘘のようだ。人は平凡に生きることで幸せを味わえるのだろう。異端となるのも若いうちだけのこと。寒くなりました。せっかく生還した命、長生きしてください。

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フィリッピンを襲った最大級の台風

2013年11月11日 18時49分42秒 | Weblog

 今年最大の台風がフィリピンを襲った。死者は1万人、被災者は950万人と言われている。東北大震災の直後に、現地を上空から視察した人がフィリッピンにいて、やはり上空から被災地を見て、「まるで津波の時と同じだ」と言う。街中が高波に襲われ、壊滅状態となった街は津波の時と変わらないというものだった。高波が引いた後は瓦礫の街になっていた。自然の力の恐ろしさを見せ付けられた気がする。

 多分、こんなに豊かな生活をしていなければ、被害はもっと少なかったのではないだろうか。フィリピンは年中暑い。コンクリートで冷房の効いた家に住むようになって、あるいはエアコンの効いた工場や店で働くようになって、そこに定住する生活になった。でもきっとその前は、バナナの葉で屋根を葺くような粗末な家で暮らしていたはずだ。台風が来ても、風や雨から身を守れるような所へ避難しただろう。家は壊されてしまったが、また作ればいい。農業にしろ漁業にしろ、失ったものは仕方がないのでまた初めからやり直しただろう。

 そんな風に自然の驚異をやり過ごしては立ち直って暮らしてきたと思う。しかし、今のように豊な暮らしを手に入れてしまうと、これを守ろうとするのは当然だろう。そのために命までも無くしてしまうことになろうとは思わなかっただろう。私たちは豊かさを求めて生きてきた。豊かさは物品であり、便利さであり、時間の短縮だった。美味しいものを腹一杯食べ、好きなものを身にまとい、エアコンの効いた家に住み、テレビの大型画面で余暇を楽しみ、とにかく贅沢を極めた。

 もちろんもっとお金持ちはさらに考えられないような生活を送っている。その反面で、未だに栄養失調で亡くなっていく子どもはいるし、戦争や殺し合いも絶えない。自然災害は止められないが、人間が作り出した災害は止められる。分かっているが、いざとなると互いの国の利益や、民俗や宗教のあるいは企業や地域のエゴが、ぶつかり合ってしまう。愚かだと思うけれど、それが人間だ。それでもいつか、互いを受け入れ合うことになると私は思う。

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「お・も・て・な・し」が傷ついた

2013年11月10日 19時09分32秒 | Weblog

 「お・も・て・なし」が傷ついた。有名ホテルや百貨店そればかりかいろんなところで「偽装」が行なわれている。利益増を求め続けて来た結果だが、テレビ討論で「これは教育の問題だ」と言う人がいた。日本人は真面目にコツコツと努力することに務めてきたのに、目先の儲けという間違った道を歩いていると指摘する。是正するには教育が一番だと言うのだ。これは間違っている。「偽装」をやっているのは大人だ。学校教育では「利益を上げることが一番大切」などとは教えていない。教えたのは先輩であり、会社であり、社会である。

 「お・も・て・な・し」は裏も表もないという言葉。いわば精神。人間に裏も表もないわけがない。けれどもあなたと私という関係では裏も表もありません、そういう心で接待いたしますということだ。逆に見れば、人間社会はドロドロと薄気味悪いほど裏表があるということだろう。駆け引きや裏切りや蹴落としや、とにかく名誉や地位や金のために、人間は悪魔になる。自分から望んでなる人もいれば、誠実に生きているつもりなのにそうなってしまう人もいる。

 昨日のコンサートは「永遠の愛」がテーマだった。初めに演奏された曲はシューマンのもので、次がブラームスだった。ブラームスはシューマンに高く評価された若者である。ブラームスはシューマンのもとに通い詰めた。シューマンの妻、クララに惹かれていたためとの説がある。ブラームスが20歳くらいの頃、シューマンは自殺未遂を起こし、2年後に亡くなった。クララとシューマンは文通をしている。その文面では次第に親しくなっているそうだが、結婚することはなかった。

 クララはオーストリア皇帝から「天才少女」と賞賛され、周りからの信望も厚い。ブラームスはまだ駆け出しの音楽家、いくらクララが好きでも結婚は無理だったのかも知れない。結婚はしなかったけれどふたりがプラトニックラブだったとは思えない。私をコンサートに誘ってくれた友だちに「カミさん以外の女性に心が向かったことは?」と聞くと、彼は「ないねー」と答えた。彼のカミさんに「あなたは幸せだねえ」と彼の答えを話すと、「本当かなあー」と言う。彼の席の隣りには見知らぬ女性が座っていた。

 人間は不思議な生き物だ。だから面白いと思う。それに気付かせてくれる教育であって欲しい。

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