友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「安祥文化のさと」

2015年10月09日 18時55分31秒 | Weblog

 安城市の歴史博物館と埋蔵文化財センターおよび市民ギャラリーのある「安祥文化のさと」へ行ってきた。卒業生が「絵画サークルで作品を展示している」とハガキをくれたので、彼女に会えるかも知れないと思う気持ちもあって出かけた。彼女は別のサークル活動があり、会うことは出来なかったが、長女のダンナのお母さんに会い、一緒に見て回った。

 『昔取った杵柄』という諺があるが、なかなか見事な作品だった。昔、こんなにうまかったのかと考えてしまう。教えていたのは私だから、私の教え方が悪かったのだ。昨日の彼も、今日の彼女も、絵を楽しんで描いている。そこがそもそも違うのかも知れない。サークルの紹介を読むと、会員は60歳以上とあるから、仕事や子育てから解放され、好きだったものに浮き浮きした気持ちで取り組んでいるのだろう。

 「安祥文化のさと」は城跡を公園にしたもので、家康が9代目に当たると安城では言われている。家康の親族はこの辺りの豪族であったから、家康が安祥の出身という考えも間違いとは言えない。この辺りは台地が続き、窪みは沼となっていて米作りには向いていなかった。三河が尾張のような肥沃な土地ではなかったことが、徳川にとっては幸いしたのかも知れない。

 家康が江戸に居を構えた時も、それほど肥沃な土地ではなかったが、川の流れを変え、新しく川を掘り、そうした土地改良事業を行う家来がいたことが、江戸を豊かにしたと聞く。歴史博物館では『北斎の富士』と題して、「富嶽三十六景・富嶽百景」展が行われていたので見てきたが、江戸から富士が見えたことがよく分かる。北斎の絵の構図は天才的で、浮世絵を見た西洋の画家たちを魅了した。

 版画展を見るたびに思うのは、確かに北斎や広重は凄い、けれどその肉筆画を見て版を掘る人も凄いと思う。いや彫り師だけでなく摺り師も重要な仕事だ。彫り師や摺り師の職人技が無ければこれほどの作品は生まれなかっただろう。そういう意味では、日本の絵画である浮世絵は近代的な作業分担による作品だった。

  ホールでは安城女学校で新見南吉さんも弾いたというピアノが設置されているところだった。長い間放置されていたピアノは見事に復元され、とても良い音色を放っていた。明日と明後日は、夏祭りの慰安旅行のためブログを休みます。

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再会

2015年10月08日 19時25分45秒 | Weblog

 『50年展』の案内状が届いたと9月27日のブログに書いたが、今日はそれを見に出かけた。彼とは幼馴染で付き合いが続いている男に、我が家まで来てもらい一緒に出かけた。いろんなことがあって、案内状の送り主は鈴鹿市に住んでいる。駅前で落ち合って食事をした後、彼が展覧会という会場へ行く。そこはアパートの1室だった。「TECHNICAL ROOM」の表札がある部屋に入ると、足の踏み場もないくらいの作品が山のようにある。

 「整理し出すと、つい見てしまい、なかなか進まない」と言う。高校時代に私が出した課題の作品もあり、私の方が見入ってしまった。彼がフランスの『ル・マン』に乗り込んだ時の写真もある。その頃に描いたレーシングカーのイラストが何枚も壁に飾ってあったけれど、今見ても斬新なデザインである。

 昔話に花が咲いていると、鈴鹿市に住んでいるという同級生がやってきた。「先生?」と会うなり彼は素っ頓狂な声を上げた。「年取ったねえ」と言うが、私も彼が分からなかった。昭和45年の卒業だから45年ぶりの再会となるわけで、言われなければ互いに分からないだろう。「先生、見て」と冊子を見せてくれた。はがき大の紙に水彩で花を書いたもので、なかなかのテクニックだ。中秋の名月などは見事な筆使いだった。

 聞けば、ここに住んでまだ半年で、庭にある栗で作ったという栗きんとんを持って来た。「たまたま縁があってここの土地を家ごと買ったが、土地が広いので管理が大変」と言う。「どのくらいあるの?」と聞くと、「300坪ばかり。家から鈴鹿の街がよく見える。そばには小川が流れていて、ホタルもいる。住むにはいいところ」と話す。全く偶然に同級生が近くにいるのも不思議な縁だ。

 亡くなった人もいるし、行方不明の人もいる。アメリカに渡り、帰って来ない人もいる。結婚して社長夫人となった人、会社を興して潰した人、結婚したけど離婚しクラス会には一度も顔を見せない人、40人ほどのクラスでもいろんな人生がある。様々な人生だけれど、私よりも皆しっかりと歩いている、そんな気がした。

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図書館

2015年10月07日 18時43分31秒 | Weblog

 20歳の孫娘が我が家に来た時、仙台に住む次女とラインを使ってテレビ電話をした。次女の娘は1歳5カ月になるので、だんだん意志がはっきりしてきた。ヨチヨチ歩きで危なっかしいが、かなり行動も大胆になり、次女も手を焼いているようだ。毎日とはいかなくても、時々孫娘の様子を動画で送ってくれる。この日は寝起きでまだ眠そうだったけれど、いとこである20歳の孫娘の声を聴いて元気になった。

 画面に声の主が現れることが不思議なのか、1歳5カ月の孫娘は画面に指で触ろうとする。そのしぐさが可愛いから思わず声を上げると、ビックリしていた。そのうちだんだん慣れてくると、こちらの存在など忘れたかのように自分の遊びに熱中してしまう。私たちの子どもの頃は電話のない家があり、「電話を貸してください」と借りに来ることもあった。こんな風に長時間、お互いの様子を見ながら話が出来る時代が来るとは思いもしなかった。

 私が通った小学校の隣に市の図書館があり、中に入ると本の臭いがした。運動会の頃には図書館の庭のキンモクセイが花を咲かせ、甘い匂いが漂った。中学か高校か覚えていないが、市の図書館は中心部に近い場所に移転し建物も立派なものになった。私が図書館司書の資格を取るために実習させてもらった小牧市立図書館が老朽化のため建て直すという。小牧駅前の再開発に合わせて新図書館を建設し、民間のツタヤに運営をさせる計画だった。

 これに対して市民団体の「小牧の図書館を考える会」が反対署名を集め、市長が市議選に合わせて住民投票を行い市民の意向を知りたいとしたが、結果は反対が賛成を上回った。市長は「市民がどういう理由で反対したのか不明」「市民50人程度が参加する協議体を設置して議論していく」と言う。それにしても、市長の新図書館建設計画に賛成した市議会は、新しい議員を加えどう取り組んでいくのか注目される。

 公立図書館を民間に委託することが流行しているが、1)図書館は資料収集の自由を有する。2)図書館は資料提供の自由を有する。3)図書館は利用者の秘密を守る。4)図書館はすべての検閲に反対する。図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。と、図書館憲章は定めている。果たして守られるのかと心配になる。

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先のことを考える人になれない

2015年10月06日 18時36分46秒 | Weblog

 季節の変わり目のせいなのか、鼻水が出て身体が重い。寒暖の差に身体がついていけないのに、どういうわけか胸の辺りによく汗をかく。少し体を動かしただけで、夏のように汗をかいてしまう。市から依頼を受けて児童公園に掘った井戸が「水が出なくなったので、見て欲しい」と連絡が入った。プラスチックのピストンだからまだ大丈夫と思ったが、やはり夏の炎天下で痛みが早まったようだ。

 とにかく一度分解して調べてみる。ピストンとともに下の弁も取り替える。順調に水を汲み上げることが出来た。作り上げた時は格好良く出来たことで満足してしまったが、修理の必要が発生した場合はどうするのだろうという一抹の不安はあった。壊されないようにというので、修理の仕方まで考えない構造になっていたからだ。そのため、全て解体しなければならなかった。

 以前、友だちの家の井戸を直した時も、修理のことまで考えていない設計になっていて困った。完成することだけを目的にしてしまい、修理や撤去のことまで考えていないのだ。ノーベル医学生理学賞の受賞者に選ばれた大村智さんの記者会見をテレビで見たけれど、謙虚で真面目な人だと思った。「1つでも人のためになることができないかと、いつも考えてきた」と言う。

 友だちのカミさんは私よりかなり若いが、保育士のパートを辞めた。「何しているの?」と聞くと、「家の整理」と言う。「いらないものを処分したら、部屋がすっきりした。遊びに来てください」と笑う。何でもそうなのだろうが、始める時はあれもこれもと思いがあって、なかなか整理が追い付かない。やはりどこかで決めないと前には進めない。身体だっていつまでも同じように動くわけではない。分かってはいるのだが、踏ん切りがつかない。

 先の先まで考える、本当にそんなことが出来るのだろうかと思う。目先のことで精いっぱいなのが人間なのかも知れない。でも、科学者は先のことを考えるから、凡人の私には無理ということだろう。私も若い時は、いろいろ街づくりをと考えた。考えることは楽しかった。それは、先を考えるというよりも夢を描いていたと思う。鉢の土の入れ替えも、来年のチューリップがどんな風に咲くかという夢を描いているに過ぎない。

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やる気になれば出来る

2015年10月05日 19時26分27秒 | Weblog

 名張毒ブドウ酒事件が起きたのは1961年3月で、新聞に大きく載っていたので覚えている。私は高校1年、三重県で大変な事件が起きたというくらいの記憶しかない。その犯人と言われた奥西死刑囚が医療刑務所で亡くなった。奥西さんは取り調べで、「妻がブドウ酒に農薬を入れるのを見た」と供述したが、その後で「三角関係を清算するため、ブドウ酒に毒を入れた」と自白し、起訴直前になって否認、裁判では無罪を主張してきた。

 真実がどこにあるのか、私には分からない。35歳で逮捕されて54年間も無罪を訴え続けたことに驚いてしまう。たとえ本当に無実だとしても、人生の半分以上を費やし訴え続ける意志の強い人だと思う。諦めてしまうか、諦めきれなければ、気が狂ってしまうだろう。支えてくれた人がいたから貫き通せたようだけれど、私がその立場だったら果たして出来るかは疑問だ。普通の人なら自暴自棄になってしまうだろう。

 昨日、「ビリギャル」のお母さんも、「諦めない」ことが大切だと言った。世の中にはそういう強い意志の人がいるけれど、軟弱な私には無理な気がしてしまう。強い意志はどうしたら育つのだろう。ラグビーのW杯イングランド大会で、日本チームはサモアチームに26対5で勝った。南アフリカに勝った時は多くの人が驚き、喜びに沸き立った。続くスコットランドに大敗し、やっぱりまだ力不足だと落ち込んだ。しかし、その落胆はサモア戦で吹き飛んだ。

 どうして勝てたのか、それはチームの強い意志だという。強い意志があれば必ず勝てるというわけではないが、強い意志がなければ勝てない。そう考えると、自分に強い意志があったとするとそれはいつだったのかと思う。寝る間も惜しんで取り組んだのは、地域新聞の発行だった。いろんなことがあって、もう後がなかった。これが出来なかったら私は生きている価値はないと思った。

 「やる気になれば出来る」とビリギャルさんから教えられた。人生はいろいろ、思うこともいろいろ、やる気になれば何でも出来る。そんなものかも知れない。先輩が言う。「くよくよ暮らしても人生。笑って暮らしても人生。だったら、笑って暮らす方がいい」。「失敗だったら、また挑戦すればいい」。なるほどいつもいいことを言う。

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「子育ては自分育て」

2015年10月04日 19時02分02秒 | Weblog

 「子育ては自分育て」。その通りだと思う。分かっていても実際はうまくいかない。だからこそ、みんな悩んだり苦しんだり焦ったりする。大和塾の第46回市民講座は、「ビリギャル」のお母さんの橘こころさんを講師に迎えた。私は新聞記事を読んで、ぜひこの人に来て欲しいと思った。橘さんと娘さんが書いた本『ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話』〈発行:(株)KADOKAWA〉を読んで、その思いはさらに強くなった。

 我が家は核家族で、娘をふたり授かった。長女はユニークな子で何にでも挑戦するが、次女は臆病で自分を前に出さない子だった。長女を見ているとあまりに元気が良すぎてハラハラすることが多かった。実際よく怪我をした。行儀も悪くてヒヤヒヤした。紙人形を使ってひとりで遊んでいるのを聴いていると、それは素晴らしい物語だった。私は、「勉強はしたくなったらすればいい。今は好きなことをさせよう」と言うが、小学校の教員のカミさんは「そんなことをしたら問題児になってしまう」と大反対だった。

 「子育てで両親の考えが違えば、混乱するのは子どもで、責任も取れないのに面白がらないで!」とカミさんは怒る。「大きくなれば何が良いか、必ず分かる。好きにさせてやらなければこの子でなくなってしまう」と私は言う。いつまでも平行線のままだった。「勉強はしなくてもいい、好きなことは夢中になっていい」と言った、私の言葉の前半部分だけを娘たちは忠実に守ってくれた。それでも「人には優しく」という私の願いを実行してくれる人に育ってくれた。

 「叱らない」ことは実際には難しい。思い通りにならないからどうしてもイライラしてしまう。「子育ては自分育て」という根拠もここにある。人を否定しないで認める、子どもを夫を妻を周りの人々を認める、そこからしか幸せの道は開けないだろう。橘こころさんの家族は今はとても和やかに話が出来るという。受験の秘策を聴きたかった親子もいた。「絶対、この大学にいくという強い意志を持つこと。そして1日に15時間勉強する」とビリギャルは答えていた。

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何かに似ている

2015年10月03日 18時30分04秒 | Weblog

 運動会・体育祭の季節。大阪府八尾市の中学校の体育祭で人間ピラミッドが崩れ、6人の負傷者が出た。テレビでその瞬間が映されていたが、一番上の子が立ち上がっていたなら、彼は死んでいたかも知れないと思った。10段のピラミッドで、立ち上がったなら地上8メートルはあるのではないだろうか。この時は、立ち上がる前に真ん中あたりから崩れだしたから、この子はそこに吸収される形になって助かったが、その中心にいた子たちはかなりの重圧だっただろう。

 『教育という病』を書いた名大の内山良先生は、一人にかかる重さは2百キロと計算していた。過去のピラミッドの崩壊で負傷した生徒の中には元にはもどらない大怪我の子もいた。確かに8メートルの高さから飛び降りたら大事故になる。崩壊という形だから中心の子に集中的に圧力がかかり、骨折する子が出た。こんなに危険な人間ピラミッドなのに、各学校が競争するように大型化し、「10段やった」「11段までやった」と広がっているという。

 テレビでは「リスクのないスポーツはない」と司会者が豪語していた。指導した先生たちも同じ気持ちだろう。子どもたちも卒業してしまうと、「膝に砂がめり込んで辛かったけれど、いい思い出」と語る。「団結の成果を実感できた」と言う子もいた。人間ピラミッドは見に来る保護者や地域の大人に感動を与える運動会・体育祭の花でもある。だから、やめられない。見に来る人は「もっと大きく」と期待し、やっている子どもたちも「大きなピラミッドを」と望む。

 これだけ求められ期待されると、「危険度が大き過ぎる」と言いにくくなる。現場の先生がそれを口にすれば、「逃げている」と非難される。日本の祭りの中にも、ものすごく危険度の高いものがある。危険度が高いほど、見物客は喜び興奮する。「やれ!やれ!」と声が飛ぶ。担ぎ手の側から「危険だからやめよう」と声が上がることはまずない。たまりかねて指導者が注意するくらいだ。

 何かに似ている。危険な目に合うのはピラミッドを組み立てる人であり、祭りの担ぎ手である。観衆や指導者や発案者は安全な場所にいる。そしてみんな興奮している。何かに似ていると思うのだが‥‥何か分からない。

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老いらくの恋を応援するのだが‥

2015年10月02日 22時35分51秒 | Weblog

 お酒を飲んでいて、「あれっ?」と気が付いた。まだブログを仕上げていない。いつもは食事をする前に立ちあげてしまうのに、今日は夕方になって手押しポンプのことで、急に出かけたのでいつものペースと違ってしまった。お酒を飲んでからのブログはやめようと決めていたのに、こういう事態になってはそんなことを言っておられない。

 それでは、ブログを書き上げることが目標になってしまうが、中学からの友だちとの約束だから、どちらかが出来なくなるまで続けなくてはならない。今日のテーマは?思い出せない。パソコンに向かう前は、今日はこんなことにしようと考える。ところが今日はお酒を飲んで食事をしていた時に、ブログが仕上がっていないことに気が付いた。

 60歳過ぎてから、恋に落ちた友だちがいる。彼は「恋してしまった」と言うけれど、それが恋なのか私には分からない。彼は真剣に「相手に狂っている」と告白するけれど、私には恋に恋しているとしか思えない。けれども、考えてみれば、恋などというものは自分にしか見えないもの、恋に恋するものなのだろう。

 恋はそれだけで狂っている。彼のように妻子がありながら人を好きになることは規範に反する。けれども、人が人を好きになることを止めることは出来るだろうか。「日本の演歌の90%は不倫の歌です」と、塩崎さんは言ったけれど、それは非日常への憧れなのかも知れないが、道徳や法律では縛ることが出来ない人の性なのだろう。

 燃えるような気持ちが、年老いても尚あるのは羨ましい。カミさんや娘さんにバレないように、老いらくの恋をまっとうして欲しいと思うのは誠に自分勝手だ。それでもやっぱり、己の道は己でしか分からないし、他人が歩くことは出来ない。人にはそれぞれの人生があり、その人しか歩むことは出来ない。ガンバレと言ってみたくなる。

 明日は7月に6歳になった孫娘の保育園の祖父母参観日。ダンナの両親とまたお酒を酌み交わすことになる。ダンナのお父さんが楽しみにしていてくれる、それに応えることは私には喜びでもある。こんな風に、人の想いを受け止めて生きていけるのは幸せなことだと思う。

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殺人報道は何のために流すのか?

2015年10月01日 17時16分40秒 | Weblog

 高校1年の時、卒業する3年生にインタビューして特集記事を書いた。何を書いたのか覚えないが、2つ年上だけなのにすごく大人のように感じた。小学生で中学生を見た時、中学生で高校生と話した時、すごく大きな人のように見えた。年上の人は自分よりも大きな人と思う気持ちがズーと続いている。

 宮城県と三重県で17歳と18歳の女性が亡くなった。宮城県の女性は高校を中退し、年上の男性と同棲生活をしていたが、DVに悩まされていたと報じられている。10代の半ばで同棲することは勇気なのか、世間知らずなのかと考えてしまうが、好きになった人と一緒に暮らすことを幸せと夢見ていたことは確かだろう。

 三重県の女性は高校3年生、同級の「親友」に殺してほしいと頼んだようだ。7月にも別の男子生徒と自殺するために家出をしたという。自殺したい、何がそんなに強く彼女を突き動かしたのだろう。高校時代、「自殺したい」と言って手首を切った友だちはいたけれど、それは後から聞いた話に過ぎない。彼はその行為を人前でしたわけでも、誰かを巻き込んだわけでもなかった。

 報道された写真を見るとなかなかきれいな女子生徒だ。ちょっと細めだけれど、魅力的な目をしている。女子生徒には交際している男子生徒がいるというし、殺した男子生徒も交際している女子生徒がいるという。けれどもふたりは何でも話せる「親友」とある。異性でありながら「親友」になれるか?そんなことが高校時代に話題になったことがあったが、私は無理と答えた。

 「親友」だった男子生徒が、女子生徒に異性を感じていたなら、頼まれても殺したりしなかったと私は思う。彼女は目を閉じて仰向けに寝ている。きれいな顔だ。思わずじっと見てしまうだろう。そっと唇に触れてしまいたくなる。幼いかも知れないが胸もある。黙って抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。

 彼女の前では男子生徒は忠実な僕だったのか。ムラムラと男が燃えていたなら、「何するのよ」とケンカになり、殺すことにはならなかっただろう。近頃、なぜか簡単に人を殺す事件が多い。殺人事件は統計的には減っているのに、毎日のようにテレビで報道されると増えているように錯覚する。もっと、いいニュースはないのだろうか。殺人報道は何のために流すのだろう。

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