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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

パソコンが動かなかった

2019年07月19日 18時52分05秒 | Weblog

 昨日の夕方、パソコンのスイッチを入れてメールのチェックをしていたら、友だちが訪ねて来たので少し話していた。終わってパソコンの前に座ると画面が真っ黒になっていた。また、何か、プログラムの更新が行われたのだろうと思い、しばらく待つことにした。30分も経ったのだからもういいだろうとスイッチを押すが全く変化がない。

 1時間待ってみたが、やっぱり何も変化がない。それなら電源を切って、少し時間をおき、もう一度電源を入れてみたが、パソコンの本体は相変わらずブーと作動しているだけで何も変わらない。諦めて1日待つことにした。今朝、起きてみてみたが相変わらずブーという音がして何かが作動している。電源を切って、やり直してみるがやっぱり何も変わらない。

 電話帳でパソコンの修理を見ると、家の近くに修理するところがあるようなので、思い切って電話してみた。すると、センターというところにつながった。事情を説明すると「担当の者から電話させるので1時間ほどお待ちください」と言う。どうやら街の電気屋さんと言うシステムではなく、受け付けが担当に電話し、また担当が修理する人を派遣する仕組みのようだ。

 それで、日曜日の午後に来てもらう約束になった。諦めていたのに、今、電源を入れてみるとスイッチが切れている。これはいけるのではないか、そう思ってスイッチを入れると作動し始めた。なんだ、動くではないか。これなら、ブログも出来るはずだ。とにかくやってみようとパソコンに向かっている。

 中学からの友だちも以前、パソコンの調子が悪くなって、ブログがアップされない時があった。私は彼を心配したが、原因がパソコンにあったと分かってホッとした。毎日アップしているブログが更新されていないと、心配させることになるので、今日は短いかも知れないがこれで良しとしよう。今、気が付いたがWordの画面が変わっている。やっぱり何かが更新されたようだ。

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街頭演説でのヤジへの忖度

2019年07月17日 18時04分53秒 | Weblog

 新聞の購読者が減る傾向に歯止めがかからないようだ。先日も読売の販売店から、「このままでは店がつぶれてしまう」と悲痛な電話がかかってきた。続いて朝日の販売店から、「17日から20日まで、無料で新聞を入れるので読んでください」とかかってきた。無料のものを断ることは無いので、「ええ、どうぞ」と答えた。

 久しぶりに朝日新聞を見ると、中日新聞に載っていない三面記事があった。15日に札幌市で行われた安倍首相の街頭演説に、ヤジを飛ばした男性を警察官が取り押さえ、排除したというものだ。「トラブル防止と公選法違反になるおそれがある」と北海道警察は説明しているとあった。

 さらに、「『増税反対』と叫んだ女性も警察官5・6人に取り囲まれ、腕をつかまれて後方へ移動させられた」とある。首相に対するヤジの記事の最後に、立命館大学の松宮教授の「職権乱用罪にあたる可能性もある。警察の政治的中立を疑われても仕方ない」との談話を載せてあった。

 朝日新聞が政府・自民党から叩かれ、記事から政府批判がなくなってしまったので、私は購読を止めた。時の権力を批判しない新聞は存在する意味がないと思っているからだ。問題点を挙げることが新聞の使命で、どう解決するか、みんなで考える資料を提出する役割を負っている。委縮した朝日より中日の方を評価してきた。

 この記事を読んで、政府から圧力をかけられてもへこたれない記者がいることを知った。首相の遊説日程を明らかにしない方針だったから、安倍首相はヤジが大嫌いなのだ。ヤジは妨害とは違う。ヤジを逆手にとって持論を展開することも出来る。いくら首相に忠誠を尽くすつもりでも、道警の行為は政治的中立に反している。

 書店に山積みされている『WILL』や『HANADA』は、朝日新聞を目の敵にしているが、こういう問題提起こそ新聞社は行うべきだと私は思う。産経や読売ばかりになってしまったら、お先真っ暗である。権力の腐敗を暴き、真っ向から問題提起する新聞を私は評価する。

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久しぶりに孫娘とランチ

2019年07月16日 19時05分29秒 | Weblog

 社会人となった24歳の孫娘と久しぶりにランチした。看護師の母親の姿を、小さい時は家に母親がいないので、寂しくて別の道を探していたのに、母親の仕事の大切さや働きぶりを知ると母親を尊敬するようになっていった。孫娘は母親と同じ看護師となり、今度は結婚すると言う。あんなに小さくて可愛かった子が、いつの間にか大人になっていた。

 ランチの場所は名古屋市緑区にあるイタリア料理の『yebisu gogo cafe ALLY`s』というなかなかしゃれた店だった。ランチとしてはかなりボリューム感があった。夜は居酒屋になるようで、2階席にはマイクもあったからライブハウスにもなるのかも知れない。ランチタイムのためか、客のほとんどが女性だった。

 孫娘の住まいは新興住宅街にあったアパートで、4室が1軒になったまだ新しい建物だった。リビングとダイニングが広く、間取りはよく考えられている。物が雑然と置かれているのは子どもの頃と変わらない。結婚式はオーストラリアで行うと言う。飛行機や宿泊するホテルなどが決まったらまた連絡すると話す。

 子どもの頃は我が家の隣りで暮らしたし、初孫だからなのか、一緒にいる時間が多かったこともあり、つい可愛がってしまっていた。私はひとりでは行けないので、孫娘を誘ってモスバーガーへよく出かけていた。モスの前に大きな書店があり、書店に寄ってモスに行くのが私たちのデートコースだった。

 孫娘も大人になってキレイになってきたが、地下鉄で見る女性たちはみな深田恭子や北川景子と変わらないくらい美しい。化粧の仕方がうまいのかも知れないが、全体に美人度が増した気がする。夏服だけどスカートはロングで、素足が流行りなのかサンダル履きだ。久しぶりに地下鉄に乗って、地下道が左側通行になっていることに気が付いた。確か以前は、右側通行と表示されていたが、みんな左側通行していた。

 後5日で、参議院選挙の投票日だが、地下鉄の乗客からはそんな話題は聞こえてこない。孫娘には私が推す立候補者の人柄を話し、投票をお願いした。

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他人にしか分からない

2019年07月15日 18時13分59秒 | Weblog

 「あいつはバカだ」とか、「愚図で出来ないヤツ」とか、挙句の果てに「性格が悪い」とまで批判する。こういう人は他人を一度もほめたことがないのではと思う。他人の優れた点や善い点を見つけようとせずに、欠点ばかりに目が行ってしまうのだろう。子どもの頃から成績優秀で運動も出来て、叱られたことも無かったのかも知れない。

 おそらく本人は、事実は言っていても、批判も非難もしているとは思っていないのかも知れない。「人の振り見て我が振りなおせ」のことわざは知っていても、自分のこととは思っていないから、「人に七癖我が身に八癖」と謙虚に自分を観察できない。クセというか、性格は、自分で直そうと思わない限り変えられないだろう。

 インターネットにブロニー・ウェア氏の『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)が載っていた。5つとは何かと思い見てみると、1)自分に正直な人生を生きればよかった。2)働きすぎなければよかった。3)思い切って自分の気持ちを伝えればよかった。4)友人と連絡を取り続ければよかった。5)幸せをあきらめなければよかった。とある。

 75歳の私は、いつ死が訪れても不思議ではない。しかし、ここにある5つに思い当たるものがない。もう少し自分を謙虚に見つめてみれば、1つや2つ後悔することがあるだろうと思ってみるが、傲慢なのか鈍感なのか、思い当たらない。いろいろあったけれど、いい人生だったのだと逆に思い知らされた。

 自分のことは自分では分からないのかも知れない。私は「どういう人間なのか」「評価できる点や出来ない点」など、誰か私について教えて欲しいと思う。私自身は自分の人生に何も悔いはないと思っているが、「お前のこういうところが鼻持ちならない」と指摘してはくれないだろうか。私は第3者の目には、どう映っているのだろう、とても興味がある。

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選挙公報に目を通した

2019年07月14日 18時58分48秒 | Weblog

 配られてきた選挙公報に目を通した。恥ずかしいことだが、こんなにじっくり選挙公報を見たことは無かった。地方議員の選挙公報と違って、どんな国にしたいか、そのビジョンが示されていると期待したが、私に読解力がないのか、よく分からなかった。

 政治は国民のものと謳う自民党のキャッチフレーズは「日本の明日を切り拓く」で、「強い経済、地方創生、災害に強い国創り、全ての世代が安心できる社会保障への改革、国益を確保する外交」を挙げている。安定した政治が出来るのは与党に公明党がいるからと主張する公明党は「小さな声を、聴く力」をキャッチフレーズに、「全世代型社会保障へ、力強い日本経済へ、希望ある幸齢社会へ」などを掲げる。

 立憲民主党のキャッチフレーズは「暮らしから始まる経済成長へ」で、「教育や福祉への投資によって次世代の可能性を切り拓く“ボトムアップ経済”へ」と主張する。国民民主党のキャッチフレーズは「家計第一」で、「児童手当増額、暮らせる年金を、あなたの家賃を補助」を挙げている。共産党は「希望と安心の日本を」と謳い、「減らない年金、消費税10%中止」が大きく、「9条改憲ストップ、ジェンダー平等、原発ゼロ、辺野古新基地建設中止」などを小さく掲げている。

 「憲法を活かす政治」の社民党は、「安心の社会保障への立てなおし、子育て支援の拡充、消費税10%中止、辺野古新基地建設に反対、行政の“私物化”をゆるさない」など。「次の時代を創る」と謳う日本維新の会は、「規制改革で経済成長、年金制度改革、教育完全無償化」など。国会の暴れん坊・山本太郎氏が率いる「れいわ新選組」は、「消費税は廃止、全国一律!最低賃金1500円」など。

 このほかにもユニークな政党がある。いのちを守り、繁栄を実現する「幸福実現党」は、「国防で、愛と自由を守れる国に」と主張。労働者の解放をめざす「労働党」は、「差別労働、長時間労働の一掃を」掲げる。このほかに、与党も野党も期待できないと呼びかける「オリーブの木」。「NHKをぶっ壊す」を掲げる「NHKから国民を守る党」。「自分の最後は自分で決めたい」を政策とする「安楽死制度を考える会」。

 政治は数で決まるから、本当にそれが正しいのかと疑問だが、多数の議員を誕生させなくてはどんな主張も通らない。しかし、多数で安定してしまうと、政治と有権者との間に乖離が生まれてくる。民主主義はまだ道半ばである。

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寒くて震えが止まらなかった

2019年07月13日 19時01分21秒 | Weblog

 午前2時過ぎだった。急に身体が震えてきて、寒くて耐えられない。寝汗でパジャマはびっしょり濡れてしまっている。私はペースメーカーの手術を受けているから、電池が働いている限り、心臓は動いているはずなのに止まってしまったのかと一瞬思った。来年の誕生日が来るまでに旅立ちたいと願っているのに、何という狼狽かと情けなくなった。

 金曜日に、冊子作りの相談にのってもらった女性が来てくれて、原稿を渡したばかりでまだ何も形になっていない。中学2年から書き続けて来た日記帳の処分の目途も立っていない。まだ、死ねないと思ったら、情けないことにますます身体が小刻みに震えて来た。心臓が止まったのかと思うような痛みが胸を突く。しばらくフトンの中でジッとしていたが、こんなに震えが止まらないのは、夢なのか現実なのかもハッキリしない。こうなったら、起きてしっかり現状を見るべきだ。そう思い、フトンから飛び出して洗面所へ行き、濡れたパジャマを脱ぎ、新しいパジャマに着替えた。

 体温計を探して体温を測る。36.6度。いつもと変わらない。そうこうしていたら、なんだか落ち着いてきた。我が家は地上30メートル以上にあるのに、部屋の窓ガラス戸を全部開けたまま寝てしまった。夜中に冷たい風が吹き込んできて、身体を冷やしたのだと分かった。今朝、念のために体温計で測っても、血圧計で測っても、いつもと変わらなかった。頭が痛いとか、気分が悪いとかもない。食事もいつも通りに食べられた。

 朝食の後、ルーフバルコニーに出て、落ちた花や葉を集めて掃除をする。その後は、昨夜の決起集会でいただいた候補者の推薦はがきを書く。私の選挙の時、こうやって、みんなが私のために書いてくれたこと思い出す。何とか、憲法9条を守る候補者を当選させたいが、事前の調査では安倍一強は崩れそうにないようだ。困った世の中になってきた。何とかしなくてはと強く思うのだが‥。

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若者は投票に行かない

2019年07月12日 17時09分10秒 | Weblog

 今朝の中日新聞に面白い特集があった。品のいいおじいさんが画面に向かって、「オレたちは間違いなく投票する。だが、お前たちはしない」と発言するものだ。約1分のこの動画は、アメリカのNPOが昨年9月にユーチューブで公開したものという。投票率の低い若者を皮肉って挑発することで、投票行動に結びつけようという狙いというが、効果はあったのだろうか。

 特集は、日本でも若者の投票率は低いと指摘する。2017年の衆院選の年代別の投票率では、60代が72%、70代以上が61%なのに、10代から30代は30~40%台だという。アメリカの若者はデモ行動を行うが、日本では最近は見たことがない。日本の若者は景気のよいことを最大の選択の条件としているようで、「安倍政権でいいじゃーないですか」と変化を好まない。

 私の周りの若者も、長時間労働や企業の内部留保の問題よりも、「賃金が上がればいい」と考えている。労働者が働くことで富が生まれ、資本を持つものはさらに富を蓄えているのに、「だったら、資本家になればいい」と言う。与えられないと不平を言うくらいなら、与える側になればいいという訳だが、みんなが資本家になれるはずがないのに、「努力してなれないものはない」と信じている。そういう教育をしてきたのだ。

 参院選で政党のスタッフとして働いている友人から、動員の要請があった。その地域の知り合いに電話をしてみたがつながらない。夜の運転は嫌だけれど、放っておくわけにもいかないので出かけるつもりだ。誰のために自分は行くのだろうと考える。要請してきた彼は、政治家になる夢を追っている。だったら選挙運動がどのように行われているのか、しっかり学習する必要がある。彼がスタッフの中でより活躍できるように、動員に応えよう。

 彼は候補者がピリピリしていると嘆いていたが、選挙は本当に孤独だ。候補者本人が頑張らなければ周りはついてきてくれない。候補者が少しでも前向きになれるように、気配りするのはスタッフの役目だ。年寄りは確かに投票に行くからいいが、若者たちにどうアピールしていくのか、若い世代のスタッフの役割は大きいと思う。

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今日の収穫

2019年07月11日 17時16分28秒 | Weblog

 

 雨が朝から降り続いている。ルーフバルコニーのギボシが8本の花を咲かせている。今年は花が多い気がして、ケイタイで写真を撮り、パソコンに送った。「アドレスが間違っています」と表示され送れない。新しいケイタイになって、操作に七転八倒している。月曜日にauの販売店に出かけて行き、古いケイタイを見せて、「画面が青色になってしまったが、直りますか?」と尋ねた。

 「この機種は修理が不可能です。それにもうすぐ、使えなくなりますから、新しい機種に替えられた方がいいですよ」と言う。やっぱりそうなのか、ケイタイ各社は新時代に入ったとニュースでは聞いていたが、そうなのだと店に来て納得した。店の中はすっかり様変わりしていて、6つのブースがあり、それぞれに店員が客に応対しているが、2時間以上話し込んでいる。

 カミさんは長女のダンナからiPadをいただいているから、「スマホではなく、ガラ系で」と注文する。「料金プランは最低でお願いします」と厳しい。店員は「ポイントがたまっているので、それを利用するとこれくらいになります」と説明してくれるが、仕組みがいろいろ複雑すぎて私にはよく分からない。カミさんが気にしているのは料金のことなので、カミさんが納得できれば私はどんな機種でもどんなプランでも構わなかった。

 家に帰るとすぐ、新しいケイタイにメールが届くが、どうすれば返信できるのか分からない。とりあえずは教えてもらったように、古い電話帳を新しい機種に移す作業に精を出す。操作は取り扱い説明者を見ればわかるだろうと安易に考えていた。ところが説明書が見当たらない。昨日、店へ出かけて行って「説明書が入っていない」と言うと、「ケイタイのケースに入っています」と教えてくれる。見ると確かにあった。こんなことにも気が付かないのかと唖然としてしまった。

 アドレスの打ち方が間違っているのなら、古いケイタイから赤外線でアドレスを移せばよいと思いついてやってみた。写真は確かにこのパソコンに送ることが出来た。あとはブログにアップすることが出来ますようにと祈るばかりだ。

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ハンセン病判決に政府控訴せず

2019年07月10日 18時19分12秒 | Weblog

 ハンセン病患者の隔離政策による家族への差別被害を認め、国に損害賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ、安倍首相は「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族の皆様のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」と控訴しないことを表明した。安倍首相の政策に賛同できないことの多い私だが、この判断は首相として正しいと思う。

 新聞もそうだが、世の中には「選挙目当てなのは明らか」とか、「選挙で敗北するといけないからの判断と勘ぐってしまう」と言う人が多い。選挙を意識しての判断であっても、間違った政策のために被害を受けた人々を救うことは当然で、一刻も早く救済策に取り組ませるのが世論の圧力だろう。

 作家の倉橋由美子さんの著書『大人のための残酷童話』に、「子供たちが豚殺しを真似した話」がある。父親が豚を殺すところを見ていた子どもたちが真似し、やがて子どもたちの間で豚殺しごっこが始まり、町中が大騒ぎになったという怖い話だ。その続きがさらに凄い展開になっている。

 市議会は豚殺し役の子の親を呼び出し、どんな育て方をしていたのかと詰問する。親は学校の教育が悪いせいだと言う。市長は校長を罷免する。校長は「子どもたちは大人を見習った。大人が豚を殺すからいけないのだ」と主張する。議会は議論の末、市長に責任があるとした。市長は国王に訴え、正しい裁きを求めた。国王は豚殺し役の子の喉を切り裂き、その子の親を縛り首にした。それ以来、豚や牛や羊を殺すことを止め、「肉食反対都市宣言」を発したが、何年も経つと肉食禁止に対して不満が強くなり、いつの間にかうやむやになってしまったという話である。

 国王のいる専制国家だから、国王の裁定にいくら納得できなくても、異議を唱える人はいない。我が市は「平和都市宣言」を行っているが、憲法第9条が変わっても誰も異議を挟むことなく受け入れてしまうのだろうか。政治はいつも責任を転嫁し、根本を正そうとせずに、目の前の現実に対応することを優先している。加害者は被害者の思いに応えているフリをしていないのだろうか。

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新しい世代が出現してきているのだろうか

2019年07月09日 18時06分33秒 | Weblog

 「やめろ、やめろって言ってるだろ」。「なんで、なんで止めるの」。男の子たちのやり取りが聞こえる。何をしているのか分からないが、かなり大声なのでドキッとしてしまう。子どもって、仲が良いのか悪いのか、よく分からない。小学校4年の時、授業後の教室でプロレスごっこが流行っていた。ボスの男の子に誘われたがとっても嫌だった。ボスに勝つことはダメだったし、逆らうことも許されなかった。

 傍目で見たら、みんなで仲良くプロレスごっこに興じているように見えたかも知れない。中年になって、クラス会の3次会でたまたま入ったバーにそのボスがいた。同級生が彼に向って、「よく、いじめられた」と言ったが、彼は「そんなことあったか」と覚えていない。被害者はいつまでも忘れないが、加害者は遊びくらいにしか記憶がないようだ。不登校になった程の暗い記憶なのに、いじめた本人にその意識は残っていないのだ。

 このところ陰惨な事件が続いている。岐阜市で起きた中学年生の自殺は、教育現場の不手際が目に余る。いじめを教えてくれた同級生がいたのに、担任は加害者2人に注意しただけで解決したと思い込んだ。このくらいの年頃の子どもの心にもう少し敏感になるべきだったが、それは自殺という結果があったからこそ言える。担任は自分も自殺したいくらいに思っているだろう。

 それにしても、どうして自殺する子どもが多いのだろう。年に300人以上が自殺するのは異常な国ではないか。子どもたちを絶望から救い出す手立てはないのだろうか。一見するとみんな仲良くしているように見える。けれどもそこに、いじめがあったり、絶望してしまう何かがある。子どもたち同士の触れ合いも大切だが、親や周りの大人も子どもと接触する機会が必要なのかも知れない。

 埼玉県所沢市では、一緒に試験勉強をしていた中学2年生が同級生を殺傷してしまった。原因はよく分からない。子どもたちの行動は大人の理解を超える時がある。私たちが子どもの頃も、年寄りにはそんな風に見えていたのかも知れない。それとも、新しい世代が出現してきているのだろうか。

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