昨日の日経の記事によると、人事・採用コンサルタントが実施したアンケートで、新卒採用の意義について、将来の幹部候補生の育成と答えた企業が67.6%と7割近くにのぼった、とありました。中途採用拡大による人材流動化が進む一方で、経営を担う中核人材は時間をかけて社内育成したいという姿勢が浮き彫りになったと解説しています。回答で二番目に多かったのは「社内活性化」55.4%、三番目に多かったのは「年齢構成の維持」50.0%だったそうです。
ご存知の通り欧米では中途採用が一般的で、新卒で一斉に入社式・・・という図式は、まるで軍隊の入隊式のようで、異様です。欧米では、働く側としては、プロフェッショナルな技能を提供する対価として給与を受け取るという考え方が徹底されていますし(日本でも最近は普及している考え方ですが、伝統的には地縁的な結びつきが強く、会社に「入社」すると呼び習わすところが象徴的です)、採用する側としては、労働コストを必要な時に必要なだけ調達する、逆に言うと必要でない時にはあっさり切り捨てる、そこには新卒も中途もなく、必要なレベルのプロフェッショナルな技能を必要に応じてマーケットから仕入れる、ということになります。
人材ということでもう一つ思い出したのは、私の知人が勤める大手電機メーカーの話で、MBA(経営学修士)社内留学制度を続けてきましたが、MBAを取得後、自己都合退職する者が余りに多いので、留学テーマが本人の専門分野に合致していることを条件にするよう制度変更したということでした。私の大学時代の同級生で留学した者は、皆、退職しましたし、会社の同僚も、例外なくMBAを引っ提げて他の仕事にチャレンジしましたので、なんとなくその電機メーカーの気持ちは分かりますが、結局、日本の会社はMBAホルダーを活用出来ないだけの話であって、根本的な解決にはならないだろうと思います。そもそもMBAは経営のプロを養成するものであって、専門分野を合致させると言うのはやや的外れとは言えまいか。
以上二つの事象を見ると、日本の経営は、いまなお丁稚から鍛えあげて経営を学ばせる、いわば「育てる文化」が根強いものと言えそうです。これはこれで素晴らしい企業文化であり、高度成長期を通じて、日本企業の強みを発揮して来ました。人材を単なる労働コストと扱うのではなく、投資対象の財産(人財)と見る考え方は、終身雇用あるいは長らく企業に留まってくれることを前提に、常に人材が不足気味で安定的に成長する経済のもとで、またどちらかと言うと匠の技を組織レベルで暗黙知として集積し伝承することによって品質向上を図るトヨタのような企業でこそ、上手く機能して来ました。昨今のように低成長からマイナス成長あるいはデフレ経済に転換した社会、またかつてのハイテクがコモディティ(日用品)化してコスト競争力が主要な課題となった現代にあっては、却って足かせとなり、派遣問題に象徴されるように、徐々にコアでない分野で派遣労働に頼るところが増えてきているのが現実だろうと思います。
日本企業が海外に展開するときに戸惑うことの一つは、こうした人材の流動化の問題であり、韓国や中国企業に遅れをとりつつあるように見える一因でもあります。その意味で、ファーストリテイリングや楽天のように、コモディティの世界で生きていく決断をした会社の中には、敢えて日本語を捨て、日本的経営から脱皮するところが出てきているのも、世の流れなのだろうと思います。グローバルに活路を見出そうとするならば、やや閉鎖的とも映る技術の集積よりも、広く即戦力を活用できるようなオープンな組織体制、文化的な緊張感を保ちながら異文化の中からアウフヘーベンして強い組織を作って行く逞しさといった、やや異質のユニバーサルな経営が要求されます。日本企業は、まさにそうした岐路に立たされ、今はどちらにも成り切れずどちらをも求めて、新たなステージに進む前の産みの苦しみに喘いでいるように映ります。
ご存知の通り欧米では中途採用が一般的で、新卒で一斉に入社式・・・という図式は、まるで軍隊の入隊式のようで、異様です。欧米では、働く側としては、プロフェッショナルな技能を提供する対価として給与を受け取るという考え方が徹底されていますし(日本でも最近は普及している考え方ですが、伝統的には地縁的な結びつきが強く、会社に「入社」すると呼び習わすところが象徴的です)、採用する側としては、労働コストを必要な時に必要なだけ調達する、逆に言うと必要でない時にはあっさり切り捨てる、そこには新卒も中途もなく、必要なレベルのプロフェッショナルな技能を必要に応じてマーケットから仕入れる、ということになります。
人材ということでもう一つ思い出したのは、私の知人が勤める大手電機メーカーの話で、MBA(経営学修士)社内留学制度を続けてきましたが、MBAを取得後、自己都合退職する者が余りに多いので、留学テーマが本人の専門分野に合致していることを条件にするよう制度変更したということでした。私の大学時代の同級生で留学した者は、皆、退職しましたし、会社の同僚も、例外なくMBAを引っ提げて他の仕事にチャレンジしましたので、なんとなくその電機メーカーの気持ちは分かりますが、結局、日本の会社はMBAホルダーを活用出来ないだけの話であって、根本的な解決にはならないだろうと思います。そもそもMBAは経営のプロを養成するものであって、専門分野を合致させると言うのはやや的外れとは言えまいか。
以上二つの事象を見ると、日本の経営は、いまなお丁稚から鍛えあげて経営を学ばせる、いわば「育てる文化」が根強いものと言えそうです。これはこれで素晴らしい企業文化であり、高度成長期を通じて、日本企業の強みを発揮して来ました。人材を単なる労働コストと扱うのではなく、投資対象の財産(人財)と見る考え方は、終身雇用あるいは長らく企業に留まってくれることを前提に、常に人材が不足気味で安定的に成長する経済のもとで、またどちらかと言うと匠の技を組織レベルで暗黙知として集積し伝承することによって品質向上を図るトヨタのような企業でこそ、上手く機能して来ました。昨今のように低成長からマイナス成長あるいはデフレ経済に転換した社会、またかつてのハイテクがコモディティ(日用品)化してコスト競争力が主要な課題となった現代にあっては、却って足かせとなり、派遣問題に象徴されるように、徐々にコアでない分野で派遣労働に頼るところが増えてきているのが現実だろうと思います。
日本企業が海外に展開するときに戸惑うことの一つは、こうした人材の流動化の問題であり、韓国や中国企業に遅れをとりつつあるように見える一因でもあります。その意味で、ファーストリテイリングや楽天のように、コモディティの世界で生きていく決断をした会社の中には、敢えて日本語を捨て、日本的経営から脱皮するところが出てきているのも、世の流れなのだろうと思います。グローバルに活路を見出そうとするならば、やや閉鎖的とも映る技術の集積よりも、広く即戦力を活用できるようなオープンな組織体制、文化的な緊張感を保ちながら異文化の中からアウフヘーベンして強い組織を作って行く逞しさといった、やや異質のユニバーサルな経営が要求されます。日本企業は、まさにそうした岐路に立たされ、今はどちらにも成り切れずどちらをも求めて、新たなステージに進む前の産みの苦しみに喘いでいるように映ります。