「決断できない日本」(文春文庫)ごとき本でよくも引っ張るものだと思われるかも知れませんが、福島原発問題への対応をアメリカがどう見ていたかといったところの記述はなかなか興味深いものがありましたので、印象に残ったところを拾ってみます。
メア氏が震災対応のタスクフォースに身を投じて早々の震災翌日午後、東京電力から在日米国大使館に「在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか」と問い合わせがあったそうです。これを聞いたメア氏は、その時点では原発の状況に関する確たる情報が入っていなかったので、原子炉の冷却系装置が壊れたことを察知して、戦慄したといいます。しかもこれは、原子炉を傷め最終的に廃炉を余儀なくすることになる海水注入を躊躇っていることを意味し、拙劣な初動対応で貴重な時間を空費した疑いがあることにまで言及しています。本書ではこれ以上触れていませんが、私はこの部分の記述を読んで、施策として稚拙だったかどうかは別にして、在日米国大使館に問い合わせたのが日本国政府ではなく東京電力だったことに衝撃を受けました。政府は機能していなかったのか、敢えて東京電力に責任を押し付けていたのか。
事故発生から数日間、情報が不足し、アメリカ政府は強いフラストレーションに苛まれ、菅政権は何か重大な情報を隠しているのではないかという疑念は、世界にも広がったと、メア氏は言いますが、それは私たち日本人も同様でした。メア氏は、当初から、日本政府は情報を隠しているのではなく、確かな情報を持っていないのではないかと睨んでいたそうですが、それは、日本では、原発で何らかの事故が発生した場合、直ちに運転を停止するという厳しい基準が設けられており、却って情報隠しが横行する温床になっているという見立てです。確かに、東電と経産省の関係もさることながら、以前、河野太郎氏が、東電の資料が“伏字”だらけだったことに不満を述べておられたのを読んだことがあり、東電の体質として特異なものがあることからも、さもありなんと私も思います。
情報不足へのフラストレーションが頂点に達しつつあった16日の段階で、米軍無人偵察機グローバルホークを福島第一原発上空に飛ばして観測した結果、原子炉の温度が異常に高くなっている事実を把握し、原子炉燃料が既に溶融していると判断していたため、米国政府としては、なんと東京在住の米国民9万人を避難させることまで検討していたといいます。これに対し、メア氏は同盟国として一斉避難命令を思い留まるよう提言したことを自負し、結果として、福島第一原発周辺50マイルからの退避勧告程度で済んだことが、日米安保にとって不幸中の幸いだったと強調しています。
とりわけ、アメリカ政府が危機感を一気に高めるきっかけになったのが、天皇陛下のテレビ・メッセージだったというのは、なかなか興味深い指摘です。しかし、私たち日本人には、危機感を強めるよりも、頼りない政府に代わって、戦後最大の国難ともいえる危機的状況に直面した日本国民が一致団結してことにあたるよう、日本国の元首が直接発した激励のメッセージと受け止めたのではなかったでしょうか。
その結果、アメリカ政府は、米国時間16日、藤崎駐米大使を国務省に呼び、You need an all of government approach.といった強い調子で、日本政府が総力を挙げて原発事故に対処するよう異例の注文を付けたそうです。これを読んで、2年前のクリスマス休暇前の出来事をデジャヴのように思い出しました。あの時、当時の鳩山総理は、COP15の晩餐会で隣に座ったクリントン長官に、普天間基地移設の現行計画に代わる新たな選択肢を検討する方針を説明し、結論を暫く待ってもらうよう要請し、基本的に理解してもらえたと記者団に語ったのが、実は独りよがりで、雪の日、クリントン長官はわざわざ駐米大使を呼びつけ、普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設という日米合意の早期履行を求め、誤解を正したのでした。政府が頼りないばかりに、駐米大使もたまったものではありません。
そんなアメリカにとって、菅政権が危機打開へ何ら有効な対策を打ち出せていないことは承知していたものの、翌17日にようやく自衛隊のヘリ一機が三号機に散水したのを見て、日本のメディアが「自衛隊の英雄的な放水作戦」と褒めそやしたのに反し、あの日本政府が成し得たことはこの程度かと、アメリカ側は絶望的な気分を味わったといいます。そして、海水投下作戦は、その効果のほどはともかく、何かをやっていることを誇示せんとする、政治主導の象徴的な作戦、いわば菅総理の政治的パフォーマンスにしか見えなかったと振り返ります。あの段階で執りうる選択肢にはどういうものがあったのか、早く検証結果を聞いてみたいものですが、私たち日本人も、この程度で大丈夫かと、半ば焦燥感に駆られていたのは事実でしたが、情報不足から、とにかく頑張ってほしいという思いが強かったのも事実でした。アメリカ側は飽くまで冷静に事態を注視していたことが分かります。
そしてメア氏は、国務省タスクフォースでの勤務中にも出会った役所的対応を暴露します。原発事故後、米国が日本に支援出来る品目リストを送ったところ、日本からはどの支援品目が必要だといった回答ではなく、支援リストに記載された無人ヘリの性能や特徴に関する事細かな質問だったり、放射能で汚染された場合の補償はどうなるのかといった質問などのやりとりで、およそ二週間が空費され、平時のお役所仕事がまかり通って、およそ緊迫感がなかったと述べています。
日本の危機対応の弱さは、リーダーシップ論としてつとに指摘されて来て、今回はそれに輪をかけて、民主党という政治に不慣れな政権党が、政治主導の美名のもとに、官僚組織を自民党寄りと警戒して信用しないばかりにその力を活かし切れず、さらに個人の力量としても指導力に問題があることで定評のある元・市民運動家の総理大臣を頂いていた不幸がありました。今となっては詮無いことですが。
メア氏が震災対応のタスクフォースに身を投じて早々の震災翌日午後、東京電力から在日米国大使館に「在日米軍のヘリは真水を大量に運べないか」と問い合わせがあったそうです。これを聞いたメア氏は、その時点では原発の状況に関する確たる情報が入っていなかったので、原子炉の冷却系装置が壊れたことを察知して、戦慄したといいます。しかもこれは、原子炉を傷め最終的に廃炉を余儀なくすることになる海水注入を躊躇っていることを意味し、拙劣な初動対応で貴重な時間を空費した疑いがあることにまで言及しています。本書ではこれ以上触れていませんが、私はこの部分の記述を読んで、施策として稚拙だったかどうかは別にして、在日米国大使館に問い合わせたのが日本国政府ではなく東京電力だったことに衝撃を受けました。政府は機能していなかったのか、敢えて東京電力に責任を押し付けていたのか。
事故発生から数日間、情報が不足し、アメリカ政府は強いフラストレーションに苛まれ、菅政権は何か重大な情報を隠しているのではないかという疑念は、世界にも広がったと、メア氏は言いますが、それは私たち日本人も同様でした。メア氏は、当初から、日本政府は情報を隠しているのではなく、確かな情報を持っていないのではないかと睨んでいたそうですが、それは、日本では、原発で何らかの事故が発生した場合、直ちに運転を停止するという厳しい基準が設けられており、却って情報隠しが横行する温床になっているという見立てです。確かに、東電と経産省の関係もさることながら、以前、河野太郎氏が、東電の資料が“伏字”だらけだったことに不満を述べておられたのを読んだことがあり、東電の体質として特異なものがあることからも、さもありなんと私も思います。
情報不足へのフラストレーションが頂点に達しつつあった16日の段階で、米軍無人偵察機グローバルホークを福島第一原発上空に飛ばして観測した結果、原子炉の温度が異常に高くなっている事実を把握し、原子炉燃料が既に溶融していると判断していたため、米国政府としては、なんと東京在住の米国民9万人を避難させることまで検討していたといいます。これに対し、メア氏は同盟国として一斉避難命令を思い留まるよう提言したことを自負し、結果として、福島第一原発周辺50マイルからの退避勧告程度で済んだことが、日米安保にとって不幸中の幸いだったと強調しています。
とりわけ、アメリカ政府が危機感を一気に高めるきっかけになったのが、天皇陛下のテレビ・メッセージだったというのは、なかなか興味深い指摘です。しかし、私たち日本人には、危機感を強めるよりも、頼りない政府に代わって、戦後最大の国難ともいえる危機的状況に直面した日本国民が一致団結してことにあたるよう、日本国の元首が直接発した激励のメッセージと受け止めたのではなかったでしょうか。
その結果、アメリカ政府は、米国時間16日、藤崎駐米大使を国務省に呼び、You need an all of government approach.といった強い調子で、日本政府が総力を挙げて原発事故に対処するよう異例の注文を付けたそうです。これを読んで、2年前のクリスマス休暇前の出来事をデジャヴのように思い出しました。あの時、当時の鳩山総理は、COP15の晩餐会で隣に座ったクリントン長官に、普天間基地移設の現行計画に代わる新たな選択肢を検討する方針を説明し、結論を暫く待ってもらうよう要請し、基本的に理解してもらえたと記者団に語ったのが、実は独りよがりで、雪の日、クリントン長官はわざわざ駐米大使を呼びつけ、普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部への移設という日米合意の早期履行を求め、誤解を正したのでした。政府が頼りないばかりに、駐米大使もたまったものではありません。
そんなアメリカにとって、菅政権が危機打開へ何ら有効な対策を打ち出せていないことは承知していたものの、翌17日にようやく自衛隊のヘリ一機が三号機に散水したのを見て、日本のメディアが「自衛隊の英雄的な放水作戦」と褒めそやしたのに反し、あの日本政府が成し得たことはこの程度かと、アメリカ側は絶望的な気分を味わったといいます。そして、海水投下作戦は、その効果のほどはともかく、何かをやっていることを誇示せんとする、政治主導の象徴的な作戦、いわば菅総理の政治的パフォーマンスにしか見えなかったと振り返ります。あの段階で執りうる選択肢にはどういうものがあったのか、早く検証結果を聞いてみたいものですが、私たち日本人も、この程度で大丈夫かと、半ば焦燥感に駆られていたのは事実でしたが、情報不足から、とにかく頑張ってほしいという思いが強かったのも事実でした。アメリカ側は飽くまで冷静に事態を注視していたことが分かります。
そしてメア氏は、国務省タスクフォースでの勤務中にも出会った役所的対応を暴露します。原発事故後、米国が日本に支援出来る品目リストを送ったところ、日本からはどの支援品目が必要だといった回答ではなく、支援リストに記載された無人ヘリの性能や特徴に関する事細かな質問だったり、放射能で汚染された場合の補償はどうなるのかといった質問などのやりとりで、およそ二週間が空費され、平時のお役所仕事がまかり通って、およそ緊迫感がなかったと述べています。
日本の危機対応の弱さは、リーダーシップ論としてつとに指摘されて来て、今回はそれに輪をかけて、民主党という政治に不慣れな政権党が、政治主導の美名のもとに、官僚組織を自民党寄りと警戒して信用しないばかりにその力を活かし切れず、さらに個人の力量としても指導力に問題があることで定評のある元・市民運動家の総理大臣を頂いていた不幸がありました。今となっては詮無いことですが。