風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

戦後70年:戦後感覚

2015-08-14 00:44:19 | 時事放談
 今宵のNHKニュースウォッチ9の特集で(途中から見たので経緯はよく分からないが)、よりによって昭和20年8月15日、降伏とポツダム宣言受諾を伝える玉音放送が発せられることを知らないまま、特攻で飛び立った若者がいたことを伝えていた。第五航空艦隊司令長官・宇垣纏中将は降伏のことを知りながら命令を発し、また自らもこの日の特攻機(彗星)に乗り込んで自決したのだが、その日の特攻隊員の遺族は今なお憤りを隠せないでおられる。また、初めての任務でこの日の特攻機に爆弾を装着したという整備士の方は、何故、そのとき止められなかったかと今なお悔やんでおられる。なんともやり切れない、それぞれの戦争体験である。
 なお、宇垣纏中将は、ポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため、戦死とは見做されず大将昇級は行われず、また戦後しばらくは靖国神社にも合祀されなかったらしい。むしろ、「停戦命令」後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第三十一条に抵触していたのではないかとする意見もある一方、玉音放送を正式な「停戦命令」と解釈できるかどうかを巡っては見解が分かれており、秦郁彦氏は8月16日16時に発せられた大陸命第1382号および大海令第48号を正式な停戦命令としているらしい(Wikipdia)。玉音放送後の特攻として、その筋では有名な話のようだ。
 さて、今の私たちから見れば、ある種、異常な精神状況だったのだろうと思う。その異常さは、しかし飽くまで平常に対するものであって、今の私たちを正常という安全な立場に置いて、当時の人々を異常と決めつけることには躊躇いがある。なにしろ私には戦争状態を皮膚感覚で理解(想像)できないからだ。そして何より当時の日本人が抱いたであろう、その先にある敗戦の恐怖を共有(体感)出来ないからだ。逆に言うと、日本は戦争に敗れて、ほぼ米国単独の占領により分断の危機を免れ(北海道をソ連に、本州を米国に、四国をフランスに、九州を英国に、分断統治される案も現にあった)、しかも第一次大戦後のドイツに対する過酷な賠償金要求が結果としてヒトラーの台頭を招いた反省から、極めて穏便な占領統治が進められることになるという、その後の歴史を知っている私たちは、全能の神に近い立場で、何故、勝つ見込みのない愚かな戦争を始めたのか、被害が拡大するのを避けるために、もっと終戦交渉を早められなかったのかと、つい考えがちになるのは無理もない。それは、現代に生きる私たちが引きだす歴史の教訓として正しいが、それによって後出しジャンケンのように当時の人々を裁くことは厳に慎むべきだとも思う。私たちは歴史に対してもう少し謙虚であるべきだろう。
 当時の戦争は総力戦であり、国民一人ひとりが窮乏に耐えながら戦争を戦った。特攻であろうと、敵艦に打撃を与えたことに狂喜し、広島で原爆に遭った被害者は、苦しみ、米国を憎み反撃の鉄鎚を加えることを念願しつつ死んで行った。今の私たちの発想からすればちょっと異常な精神状況、いわば一種の熱狂的陶酔感(ユーフォリア)だと、呼ぶのはたやすいが、戦後、GHQの歴史教育のお陰でそんな熱狂的陶酔感(ユーフォリア)から一気に醒めることが出来たのは、ひとえに戦後が幸せだからではないのか。
 歴史にifは禁物だが、想像力を働かせてみる。もし、過酷な占領統治が行われていたとしたら、(ドイツが第一次の後に第二次を戦ったように、日本は第二次の後に)第三次を戦うことはなかったか。あるいはアジアやアフリカ諸国が独立を果たせず欧米諸国の植民地統治が続いていたとしたら、大東亜戦争に負けたことをどう思っただろうか。それでも自ら侵略戦争と認め、屈辱的な植民地支配を受け容れたのだろうか。逆に、日本軍の暗号が敵に簡単に解読されず、日本軍捕虜の手によって作戦が敵に明かされもせず、不時着した零戦が米軍に接収され弱点が解明されるようなこともなく、優位な航空戦を続け、なんとか大東亜戦争をもちこたえ、日露戦争のように、うまく停戦に持ち込めていたとしたら、どうであろうか。歴史は連綿と続く因果の流れであって、東京裁判で裁かれた15年戦争だけを取り出して侵略戦争と呼ぶのは間違っている(侵略戦争と認めるか認めないか、いずれにせよ、である)。つまりは東京裁判は日本の存在自体を(より正確には軍国主義を)悪と決めつけた茶番であって、それによって日本国民を救済したものだ(あたかもナチスを悪としてドイツ国民を救ったように)。両国とも民主的手続きが機能していたにもかかわらず、である(まあ、ナチスは悪事=人道的罪を働いたので、日本の軍国主義を同列に扱うには無理があるが)。
 こうして敢えて歴史のifを想像していると、平和で豊かな戦後感覚こそ一種の熱狂的陶酔感(ユーフォリア)のようにも思えて来るのだが、どうだろうか。かかる次第で、私は、「侵略的」であったこと(別にそれは日本に限ったものではない)、国民を窮乏の極致に陥れ他国民を巻き添えにし「敗戦」に至らしめたことを、大いに「反省」すべきだが、「お詫び」することにはどうしても違和感を覚えるのである。
コメント (2)
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