風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

台湾と香港の旅(中)

2015-08-28 21:09:47 | 永遠の旅人
 香港を、20数年前、まだ中国に返還される前に観光で訪れたことがあるが、返還後、何がどう変わったというほどの勘も記憶も働かない。ただ、当時、香港島がここまで霞んで見えることはなかったと記憶する。それはだがイギリスからの返還という事象とは関係がなく、深センをはじめ隣接する広東省の経済発展による大気汚染のせいだろう。そこで現地の人に聞いたところ、かつての香港を知る人に言わせれば、やはり香港は変わりつつあるのを実感するものらしい。端的に、中国化しているということのようだ。タクシー(的士)の運ちゃんが英語を話せないのは昔からだったのかも知れないが、学校で英語に代えて中国語を教えるようになって、英語を解さない人も増えて来ているようだ。台湾では、第二外国語を英語にするか日本語にするかで今もって悩むらしいが、香港にはそんな選択肢はなさそうだ。不動産をはじめとする物価も、中国大陸からの投資が増えて上がり続けているのは、日本でも報道されている通りである。
 しかし、日本の報道とは裏腹に、雨傘革命は意外にマイナーなものだったらしい。台湾の向日葵革命と何が違うのか尋ねると、勿論、ここ18年の歴史が違うのだが、地続きかどうかで違うのだと諦め気味に話す人がいた。そのあたりは、海を挟んだ日本に対して、韓国が地続きで常に日和見(いわゆる事大主義)なのに似ている。私たち日本人は鈍感なのかも知れないが、国境を接する脅威は別格なのだろう。
 もともと中国4000年の歴史は民主的であったためしはなく、易姓革命を受け入れ、政治とは適当に距離を置きながら、現世をしたたかに生きるのが庶民の知恵というイメージがある。その一つの典型は、「明るい北朝鮮」の異名をもつ、華人の都市国家シンガポールに見ることが出来る。選挙制度はあるものの、事実上の一党独裁であり、現地に所在する日系企業のある社長は、監視社会だから、電話やメールは盗聴されていることを前提に生活していると淡々と語っていた。政治的な自由はなくとも、経済的な自由が認められさえすれば、割り切ってそれなりの生活をすることが出来る・・・中国が目指す(ということは香港の行く末の)国家像の一つは、間違いなくシンガポールにあるように思う。もっとも香港の場合、ここまで経済的に中国に依存し過ぎてしまえば、シンガポールのような独立独歩と違って、緩やかに衰退するばかりのような気もするが。
 上の写真は、二階建バスの向こうに霞む香港島。
コメント
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