風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

戦後70年:原爆の日

2015-08-10 09:42:50 | 時事放談
 8月6日に続いて9日は、日本人にとっては忘れられない、それぞれ広島と長崎に原爆が投下された日だ。
 昨日の「サンデー・モーニング」は長崎からの実況で、高齢化する被爆者が伝える当時の悲惨な状況を伝え聞いた岸井成格氏は「原爆が落とされる前に何とかならなかったんですかねえ」と思わず呟いた。そう思いたくなる気持ちは分からないでもないが、終戦をなかなか決断出来なかった当時の日本政府の方針を責めたり当時の状況を悔やんだりするのではなく、当然のことながら、戦争と原爆投下とは分けて考え、先ずは原爆投下を戦争犯罪として追及し、非人道的だとして激しく憎むべき筋のものだ。
 広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とのメッセージが刻まれる、いわくつきの慰霊碑だ。インド人法学者で東京裁判の判事としても有名なラダ・ビノード・パール氏は、「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と、日本人が日本人に謝罪していると解釈し非難した(1952年11月)。また、戦争終結から29年目にしてようやくフィリピン・ルバング島から帰還を果たした小野田寛郎氏(元・予備陸軍少尉)は、この碑文を見て「これはアメリカが書いたのか?」と勘違い(憤慨)したという話も伝わっている。
 このように(ほかにも)碑文の主語を巡っては議論があり、撰文・揮毫した雑賀忠義氏(当時、広島大学教授)は、パール氏に「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」との抗議文を送ったらしい(Wikipedia)。広島市は碑文の趣旨を正確に伝えるため、日・英の説明板を設置し、「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記しているようだ(広島市のWebサイト)。
 志は崇高であり、異論があろうはずはない。しかし、敢えて一言さし挟みたい。日本人は、原爆の惨劇を戦争の過ちへと余りにも短絡的に結びつけたのではないか。短絡的と言って差し障りがあるならば、思考において安易に昇華してしまったのではないか。戦争そのものを愚かだとこきおろすのは簡単だが、原爆投下は全く別次元の問題だからだ。
 勝てる見込みのない戦争を仕掛けた愚かさをとやかく言っても、大筋において(一部には開明的で先見の明があった人がいたとしても、凡そ戦争を仕掛けた当時に入手していた情報は限られ、従い今とは比べものにならないくらい曖昧なものであって)所詮は後知恵でしかない。侵略戦争だったという批判も、大筋において(一部には現場が暴走して侵略的な局面があったとする見解があり、否定できないが、戦争という異常な状況にあって、コミュニケーション手段も限られる中で、イケイケドンドンだったのか、やむにやまれぬであったのか、その間の現場感覚がどこまで共有されていたのかは、今となっては分からない)勝てば官軍の押し付けによる歴史観でしかない。それに対して、原爆投下は、意図された民間人の大量虐殺であり、アメリカ国民の厭戦気分の高まりを危惧し戦争終結を早めるため(一説では本土決戦で米兵100万人を送り込むのを避けるため)とか、ソ連を牽制するため、などと言い訳出来るものではない(今なおアメリカ人の過半数はそう思っているようだが)。日本人に対する人種差別があったとまでは言わない。ウラン型、プルトニウム型、それぞれが人体に及ぼす影響を試す実験場としたものだったとまでも言わない。ただその破壊力を民間人に向けたことの非人道性は、万が一、アメリカが戦争に負けていれば、ナチスのガス室並みに非難されていたであろうことは間違いない。
 アメリカは、私が初めて生活した異国であり、第一子が誕生した思い入れのある地でもあり、自由で公平であろうとする社会のありようには今なお憧れがあり、ブッシュ前大統領の単独行動主義のときにも見放さず理解に努めようと思ったほどで、アメリカを貶めるのが趣旨ではない。ここでは、(アメリカによる)核使用の非を追及することや、世界レベルの核廃絶を願うこと、さらには核使用に至らしめた戦争への反対を主張することの間に、どれほどの葛藤があったのかを、敢えて問題にしたいだけである。そうした思想的な葛藤がない、単なる情緒的な反戦・厭戦は、却って230万人とも言われる戦没者を冒涜するものだと思う。ともすれば日本人は、恨んだり憎んだりする感情を潔しとせず、持て余し、戦争の愚を想う余り、安易な反戦・厭戦に飛びついてはいないか。そしてそれが今の安保法制化を巡る迷走に結びついているように思う。
 斯く言う私も、戦争を忌避するし、多くの日本人が抱く反戦の想いを尊いと思う。しかし、現実の国際政治の場面では、そんな日本人の健気な想いが通じないばかりか曲解され利用されることもあることに、打ちひしがれることがある。
 今年5月22日に閉幕した核不拡散条約(NPT)再検討会議で、日本政府が提案した「世界の政治指導者らの被爆地・広島、長崎の訪問」の文言は最終文書に盛り込まれなかった。(核保有国の)中国がこの文言に強く反対したため、全会一致の採択を原則とする最終文書にそぐわないと判断されたせいである。そのときの中国の言いぐさは何か。「歴史の歪曲だ」「日本は戦争の被害者の立場を強調している」・・・中国は、広島・長崎の人々の、ひいては日本人の崇高な想いをないがしろにし、歴史認識問題にすり替えたのである。日本が犯したとされる南京大虐殺20万人説(最近は30万人とも)は、発生したとされる当時は南京に外国人ジャーナリストが多数いながら誰も問題にしなかったにもかかわらず(つまりはそれが“大虐殺”ほどの問題はなかった根拠ともされるのだが)、東京裁判で突然持ち出され、広島・長崎両市の公式見解として伝えられる犠牲者数21万人(広島約14万人、長崎約7万人)に倣ったもの(つまり原爆被害を相対化するもの)という説があるが、一笑に付すわけには行かない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする