風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

3・11から5年

2016-03-12 23:18:03 | 日々の生活
 今年の3・11はあの日と同じ金曜日で、一巡したということは、月日が経つのは早いものだと思う。そして人間の記憶はよくしたもので、心を健全に保つために、5年前のあの日のことは記憶の片隅に追いやっている。
 しかし、それは忘れようのない心の疼きである。午後2時46分、東京にあってすら、かつて感じたことがないほどの大きな揺れに動揺し、港区の36階のオフィスから遠く東京湾を眺めながら、私の世代らしく「日本沈没」の漠然とした恐怖を、東京を直下型地震が襲った場合に遭遇するであろう壊滅的な状況に対する虚無を、ぼんやり感じていた。味気ない非常食をかじっていたら、たまたま外出していた同僚がマクドナルドの暖かいハンバーガーを大量に買い込んで差し入れてくれた。これほどマクドナルドが有難く思えたことはなく、それほど心は沈んでいたのだった。その日はオフィスの会議室で、椅子を並べてコートを羽織って仮眠し、翌日、36階の階段を降り、動き出した電車に乗って帰宅して、ようやく一息ついたのだったが、二日ぶりに湯船につかると、地震の揺れなのか、36階の階段を力なく降りた時の揺れなのか、湯に浮かぶ身体が今なお揺れを覚えていて眩暈を感じ、被災地でもないのに、心が負った傷の深さを思った。
 その後一ヶ月ほどは、地震や津波よりも、放射線被害の恐怖に怯えることになる。新聞や雑誌や関連書籍やネットの記事を読み漁り、「共感疲労」と自ら判断せざるを得ないような気もそぞろの状態に陥った。災害時に被災地に入る医療関係者やボランティアによく見られる現象で、相手の境遇に心を寄せて考え過ぎるあまり、自分のエネルギーがすり減ってしまう状態である。
 ようやく落ち着きを取り戻すと、あらためて、地震、火山噴火、台風、豪雨などの自然災害とともにある日本列島の自然環境の厳しさを、その中に住まう日本人の国民性を思った。西欧文明は自然を超克しようとして大きな壁にぶちあたっているが、日本は自然を畏怖し、自然と共存しようとする。普段は謙虚で淡白なほどの国民性も、またこれほどの危機的状況に置かれてなお、欧米の人々だけでなく中国の人々ですらも驚嘆した、暴動一つ起こることなく周囲を思いやり、少ない救援物資を略奪することなく辛抱強く待って淡々と分かち合う民度の高さは、間違いなくこの国の風土が育んだものだろう。
 そして今、歴史に謙虚に学ぶことの重要性を思う。今朝、辛坊さんの番組「ウェークアップ!」で、南三陸町が高台に居住区を移転している様子を伝えていたが、遅きに失したと言えば怒られるだろうか。また、私たち自身の自己責任にも思いを馳せる。先日、災害を振り返る講演を行った建築学の専門家は、建築基準法など、最近起こった問題に対処するだけであって、将来起こることまで安全を保証するものではない、だから自分のことは自分で守れと、ごく冷静に当たり前のことを諭していた。お上のやることに余り反抗することがないのもまた国民性であるが、それはまあよしとして、お上に依存するほど国民性が劣化したのは、明治以降のことではないかと思う。開国した当初、野蛮と思われていた日本を訪れた欧米人は、一様にその精神性の高さと文化レベルに驚嘆した。危機的状況でこそ、本領を発揮する。3・11は、自然災害の悲惨さとともに、それを克服する日本人を見ながら、本来、日本人がもつ潜在的な強さに思いを馳せるときであってよい。
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