70年前の昨日、韓国の初代大統領が「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島領有を表明した。その竹島について、知日派と思われる(しかし親日派かどうかは分からない)アメリカ人学者が現代ビジネスに寄稿された、なかなか日本人からは出て来ない、しかし日韓問題の核心をなすシンプルな論点を面白く思った(*)。
竹島の領有権が日本にあることは、日本人なら誰しも信じて疑わないが、普段は日韓関係において喉元に刺さった小骨のように気にはなりつつ見過ごされがちだ。慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、その他諸々にしても、70年前の竹島領有問題にまで遡って韓国の不当を責めることはしない。だからと言って日本人は竹島問題が日韓問題の根底に横たわる重要問題であることを忘れているわけではなく、その日本人が言わない代わりに件の論者が明快に「韓国は、竹島の領有権放棄によって日本との関係に与えたダメージを元に戻すことから始め、その代わりに安全保障と経済の領域で大きな協力を追求するべきである」と結論づけてくれている。アメリカ人に言われることには何だか忸怩たるものがあるが、至極ごもっとも、だ。原点を忘れるべきではない。
韓国がサンフランシスコ講和会議で図々しくも連合国側に加わろうとして米英から却下された話は有名だ。竹島問題は、当時、韓国がGHQ支配下という制約的な状況の虚を衝いて日本に仕掛けた、ある種の「戦争」と言えるかも知れない。少なくとも韓国人の一定割合は、そこで初めて日本に勝利したと自尊心を満足させているようだし、文在寅大統領はことあるごとに日本には二度と負けないと強がっている。何しろ実効支配しているのだから、黙って支配し続ければいいものを、ことあるごとに誇示するのだから、如何に晴れがましい、ある意味で疚しい気持ちが潜んでいるかが知れる。まあ「戦争」とまでは言わないまでも、積もりに積もった歴史上の怨恨の果ての、今に至る「復讐劇」の始まりを画するイベントだったのは間違いない。
ルトワック氏だったか、戦争で死力を尽くして戦った者同士は後に仲良くなることが出来るが、そうじゃない者同士は難しい、というようなことを言われた。韓国はまさに後者の例で、国家間の関係は清算するのが難しいと感じる。
もっとも国民のレベルで本気で復讐しようなどと思っているとは思えず、むしろ国民は日々の生活の方が大事だし、世代交代とともに記憶も薄れて行くものだと思う。ところが、民族の歴史は永遠に消すことが出来ず、わざわざ寝た子(国民)を起こし、国内で政治利用する輩がいる、というのが実相だろう。しかも、諸外国の目にどう映るかには頓着せず、病的なまでに(と、またしても佐渡金山を世界文化遺産に推薦する問題を巡る騒動を見ていて、そう思う)諸外国を巻き込んで騒ぎ立てて恥じないのは、歴史・地理的に中・露・日の大国に囲まれて肩身の狭い思いをしてきた事大主義の韓国の習い性であり、悲哀と言うべきだろうか。それに対して、引け目があるとは言え日本の宥和的な対応も問題だったのだろう。韓国も十分立派になったことだし、ええ加減、日本に甘えることなく自立して欲しいものだと思う。
ところで、佐渡金山問題は、まさか林外務大臣は根負けすることはないと思いたいところだが・・・。
(*)ロバート・D・エルドリッヂ氏「竹島強奪70周年―韓国はアメリカも認めていない不法行為に終止符を」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91477?imp=0
竹島の領有権が日本にあることは、日本人なら誰しも信じて疑わないが、普段は日韓関係において喉元に刺さった小骨のように気にはなりつつ見過ごされがちだ。慰安婦問題にしても、徴用工問題にしても、その他諸々にしても、70年前の竹島領有問題にまで遡って韓国の不当を責めることはしない。だからと言って日本人は竹島問題が日韓問題の根底に横たわる重要問題であることを忘れているわけではなく、その日本人が言わない代わりに件の論者が明快に「韓国は、竹島の領有権放棄によって日本との関係に与えたダメージを元に戻すことから始め、その代わりに安全保障と経済の領域で大きな協力を追求するべきである」と結論づけてくれている。アメリカ人に言われることには何だか忸怩たるものがあるが、至極ごもっとも、だ。原点を忘れるべきではない。
韓国がサンフランシスコ講和会議で図々しくも連合国側に加わろうとして米英から却下された話は有名だ。竹島問題は、当時、韓国がGHQ支配下という制約的な状況の虚を衝いて日本に仕掛けた、ある種の「戦争」と言えるかも知れない。少なくとも韓国人の一定割合は、そこで初めて日本に勝利したと自尊心を満足させているようだし、文在寅大統領はことあるごとに日本には二度と負けないと強がっている。何しろ実効支配しているのだから、黙って支配し続ければいいものを、ことあるごとに誇示するのだから、如何に晴れがましい、ある意味で疚しい気持ちが潜んでいるかが知れる。まあ「戦争」とまでは言わないまでも、積もりに積もった歴史上の怨恨の果ての、今に至る「復讐劇」の始まりを画するイベントだったのは間違いない。
ルトワック氏だったか、戦争で死力を尽くして戦った者同士は後に仲良くなることが出来るが、そうじゃない者同士は難しい、というようなことを言われた。韓国はまさに後者の例で、国家間の関係は清算するのが難しいと感じる。
もっとも国民のレベルで本気で復讐しようなどと思っているとは思えず、むしろ国民は日々の生活の方が大事だし、世代交代とともに記憶も薄れて行くものだと思う。ところが、民族の歴史は永遠に消すことが出来ず、わざわざ寝た子(国民)を起こし、国内で政治利用する輩がいる、というのが実相だろう。しかも、諸外国の目にどう映るかには頓着せず、病的なまでに(と、またしても佐渡金山を世界文化遺産に推薦する問題を巡る騒動を見ていて、そう思う)諸外国を巻き込んで騒ぎ立てて恥じないのは、歴史・地理的に中・露・日の大国に囲まれて肩身の狭い思いをしてきた事大主義の韓国の習い性であり、悲哀と言うべきだろうか。それに対して、引け目があるとは言え日本の宥和的な対応も問題だったのだろう。韓国も十分立派になったことだし、ええ加減、日本に甘えることなく自立して欲しいものだと思う。
ところで、佐渡金山問題は、まさか林外務大臣は根負けすることはないと思いたいところだが・・・。
(*)ロバート・D・エルドリッヂ氏「竹島強奪70周年―韓国はアメリカも認めていない不法行為に終止符を」 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91477?imp=0
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